いるま・風の善さん

中高年オジンの趣味と遊びの日記です。

川越市博物館開館25周年記念シンポジウム聴講

2015年04月13日 | 講演会
 川越市立博物館の記念行事として、企画展『古代入間郡の役所と道』(3/28~5/10)が開催されています。
今回(4/12日)、同博物館の開館25周年を記念してのシンポジウムが川越市文化会館で開催されたので聴講してきました。
 小江戸とよばれている川越からくるイメージは、江戸時代~明治大正期を連想されるかもしれませんが、それより1千年も前にもこの地域(いるま)の中心地であったのです。

(川越市博物館)
シンポジウムの会場は博物館の南・旧川越城跡の喜多院との間にある、川越市民会館・やまぶき会館で行われました。

(川越市民会館)

(シンポジウム会場・やまぶき会館中ホール)
川越市博物館館長(田中信氏)による現在判明している「古代入間郡と武蔵路」についての丁寧な解説があった後、講演に入りました。

(古代入間郡と霞ヶ関遺跡)

 講演1、「郡的世界と郡家の機構ー入間郡家を考えるー」・森公章(東洋大学教授)

(森公章教授の講演)
 講演2、「東山道武蔵路研究史ー入間郡を中心にー」・木本雅康(長崎外語大学教授)

(大木雅康教授の講演)
 講演3、「古代入間郡の実像を求めて」・平川南(人間文化研究機構理事・元民博館長)

(平川南教授の講演)
最後の全体討論では、宮瀧公二・大東文化大学教授のコーディネーターによるパネルディスカッションで、川越市教育委員会発掘担当者の平野寛之氏を加えて最新の解説が論議されました。

(パネルディスカッション風景)
現状入間郡衙・郡丁の場所については、「霞ヶ関遺跡」と考えられていますが決定的な発見はいまだなく、以前謎は解けていないのです。


(東山道武蔵路図)

(所沢市南稜中学校校庭で武蔵路の遺構が発見されたのは、もう20数年前のことであります)

 きしくも2007年に善さんの卒論(奈良大)のテーマ『古代「武蔵国入間郡」についての一考察ー廃道となった東山道武蔵路からみてー』と同じテーマの展示会・シンポを開催していただいた川越市に敬意を表します。(当時卒論の資料を提供していただいた学芸員の方々が、それぞれのところで館長や所長さんになっていて、10年の年代を感じました。)
 その10年の間に新たな発掘・発見もあり、さらに新しい説が展開されるのですが現状、善さんの卒論と同意義の展開がなされているのが確認でき、興味深いシンポジウムでした。

 50年前、善さんの高校生時代にこの場所にあった校舎は移転して博物館・美術館が建っているのです。この本丸御殿も「武徳殿」と称し体育館として しごかれた記憶があります。

(本丸御殿)

(高校跡地・現博物館)

(太田道潅像と蔵造りの家並)

 久しぶりに青空がのぞいた春の日曜日、川越の町を思い出にふけりながら帰路につきました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« トーハク講演会(インドの仏... | トップ | 奈良大ミニ同窓会・甲州路散... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

講演会」カテゴリの最新記事