「三軒屋遺跡」は、群馬県伊勢崎市の殖蓮(うえはす)小学校敷地内で2006年から進められている発掘調査で、奈良時代の上野国佐位郡の郡衙(ぐんが)と呼ばれた役所跡から、八角形をした倉跡が発見されて注目された遺跡である。(文献史料『上野国交替実実録帳』1030年の中にある「八面甲倉」という記載事項と一致しており、文献記録に残る地方官衙の内容が発掘調査で発見された初めての事例である)
今回は小学校の旧体育館の下から見つかった関連建物跡(第16次2区調査)の現地説明会があったので見学に行って来たのです。(ゴルフのボランティアを1日キャンセルしてわざわざ伊勢崎まで行って来ました)
「三軒屋遺跡」は南北に細長い台地の先端に位置し、同一台地上北には上植木廃寺が存在し、この地域が佐位郡の中心地であったと考えられている。
(殖蓮うえはす小学校の校庭北にある旧体育館跡)
(伊勢崎市文化財保護課の出浦さんの現地説明)
16次2区は正倉院の東端にあたり、検出された遺構は掘立柱建物や区画溝・竪穴状遺構などで正倉関連の建物とみられている。
(第16次発掘現場全景)
(東側の区画溝全景、西側の正倉以外の施設の可能性が高くなった。南より)
(16次2区の西側で確認された2棟の建物は倉庫の可能性が高い、小学校校舎の下につながっている)
(斜め柱穴の土坑が検出された。斜めに柱が立てられていたことが判明し、幢竿はたさお跡の可能性がある)
今回の発掘調査では正倉院東側の状況がわかり、遺跡の東端から検出された建物跡は正倉以外の施設の可能性が高くなった。
文化財保護課の話によると、今後は正倉域の実態把握のための確認調査を進め、国指定史跡へ向けた調査を実施中とのことで、今後の成果が期待されるのであります。
現地説明会の前の11/23日に坂井秀弥奈良大教授の講演会「古代の役所ーその発見・調査そして保存へー」があったが、参加できなかったので講演会資料をいただいて帰りました。
着々と情報の収集に抜け目ないですね。
「瓦」などの出土品は、ないでしょうか?
建物跡からは、ずいぶん大掛かりな建物のよううに見えます。発掘現場のトレンチを見ると、ワクワクしちゃいます。正倉ということですが、他になにか出土したのでしょうか。
ここから北へ1㌔mのところの上植木廃寺跡からは、八葉蓮華の丸瓦が出土しています。
今後この地域一帯の調査が期待されています。
歴史的背景は全くわかりませんが、どの地域においてもこうした現地説明会は、足を運ぶことによってその時代に生きた人々の息吹が感じられることでしょう。
上野国の国司の交替実録帳に記載された、八角形の正倉が発掘されたのに伴って周辺を調査しているのだそうです。
畿内と異なり、東国でのこの種の事例は少ないので貴重です。