県立さきたま史跡の博物館25年度企画展 『古代の豪族ー将軍山古墳とその時代』 が開催されているので見学しました。(9/21~11/17)
埼玉(さきたま)古墳群は、9基(前方後円墳と円墳)の大型古墳で構成され、5世紀後半から7世紀初頭までの約150年間に築造されたといわれている。その中で5番目に大きい将軍山古墳は6世紀後半に築造されたと推定され、多くの遺物(太刀や装身具)が出土されている。
この企画展は、6世紀後半の関東地方を代表とする巨大古墳で同じような出土品がある金鈴塚古墳(木更津市)、八幡(やわた)観音塚古墳(高崎市)、綿貫観音山古墳(同高崎市) 4古墳の出土副葬品を展示して、「古代の豪族」の生きた時代に思いをめぐらすというものでありました。
(さきたま古墳公園案内図、将軍山古墳は右上部)
1、「将軍山古墳」は埼玉古墳群内では5番目に大きい古墳(全長90mの前方後円墳)で、主体部の横穴式石室から多くの副葬品が出土しました。
遺物の多くは朝鮮半島との関わりを感じさせるものでした。(馬具・装身具・太刀・武器・武具・鏡・銅椀・須恵器等:県立さきたま博物館で展示)
(整備中の将軍山古墳の航空写真)
(埴輪が並べられ復元されている将軍山古墳全景)
(石室資料館に復元された式室内)
(出土した馬冑:将軍山古墳の写真は、さきたま博物館HPによる)
2、「金鈴塚古墳」は、木更津市の祇園・長須賀古墳群に属する古墳(全長約100mの前方後円墳と推定されている)で、現在は後円墳の中心部のみを残して原形をとどめていませんが、主体部の横穴式石室からは太刀や金鈴などの副葬品が出土している。(木更津市郷土博物館金のすずによる)
(削られてわずかに残った金鈴塚古墳と石室内部 :写真は木更津市郷土博物館による)
3、「八幡(やわた)観音塚古墳」は、高崎市の西方烏川と碓氷川とに挟まれた八幡地区にある古墳(全長約95mの前方後円墳)で、横穴式石室には東日本でも屈指の巨石が使われている。
石室内から太刀・鏡・銅ワン・金環など多くの副葬品が出土している。(横にある観音塚資料館で展示)
(八幡観音塚古墳の式室開口部)
(測量図と石室内部)
4、「綿貫観音山古墳」 は、高崎市東部の綿貫町に所在し、井野川と烏川とが合流する沖積地に築かれた古墳(全長97mの前方後円墳)で、横穴式石室から豊富な遺物が出土しました。(太刀・鏡・金銅製鈴付大帯・馬具等、近くの県立歴史博物館展示)
(盾形の2重堀を持つ、観音山古墳。赤城山や榛名山が見渡せます。)
(観音山古墳石室開口部と石室内部)
(観音山古墳出土品案内)
6世紀後半の関東地方では、全長100m前後の大型前方後円墳が多く築かれている。これは大和朝廷の東国支配に伴う在地豪族とのつながりが感じられ、これら4古墳から出土している太刀や馬具、装飾品などは畿内で製作されたものばかりではなく、明らかに朝鮮半島で製作されたものも含まれている。
これらにより、この企画展では「この時代・6世紀の関東地方の豪族も大和朝廷の政治体制に組み込まれていただけでなく、東アジアの政治動静の影響を受けつつ、たがいが活発な文化交流をはたしていたことがうかがい知れる」としていました。(記事は企画展の図録より抜粋)
久しぶりにさきたま古墳を訪れてみました。現在、二子山古墳ではトレンチによる墳丘確認調査が行われていました。
(現在発掘調査中の二子山古墳、調査結果にも注目したいところです。)
(数年前の二子山古墳)
凄い!!ですね。
驚き!!です。
昨年の映画公開以来、行田市は注目度が少しアップしたみたいで、訪れる人も増えているらしく地元人としては、うれしいです。
これから、寒くなりますから気をつけてくださいね。
コメントありがとうございます。
講演会もあったようでしたが、ゴルフボランティアで行けなくなってしまいました。
私の場合は皆さんと違って、広く浅くですのでそのサワリだけの掲載です。
皆様からの情報もよろしく!
感服しています。
今年の冬は、早く訪れ各地で、雪だよりも
届いて来ています。
お互い、何とかの、冷や水 と 言われない程度に、頑張りましょう!!
週末は、長篠の戦跡に、行ってきます。
不義理をしますが、ご勘弁ください。
今回の企画展は、今までの企画展とは趣が違う展示だったと思います。
現在、金錯銘鉄剣復元品の特別公開も行っております。
御来館お待ちしています。
なお、今年度は二子山古墳及び鉄砲山古墳の調査を行っています。調査結果も後日、公表しますので、もう少しお待ちください。
二子山や鉄砲山古墳の現地説明会があれば、ぜひ参加させてください。