南さんのALS日記

難病にかかった毎日の生活報告

我が家に戻ってきました

2017-11-21 22:17:57 | 日記
報告が遅くなりましたがなりましたが、写真のとおり日曜日の夜に自宅の自分の部屋に戻ってきました。
私達は、翌日の月曜はめぐみの家に荷物取って取りに行ったり、自宅を出発整理するなどした後に、皆で食事をしながら、母親の思い出を出発語ってました。「気が強かったなぁ」「セールスか来たり電話があっても速攻で断っていたよなぁ(親父がよう断れないので)」「仕事から帰ってきてすごい要領で晩飯作ってくれたよなぁ(自分の嫁と比べて…)」などなど思い出は尽きませんでたした。
また、本当に顔の広いアクティブな人やったなぁ!バイタリティも凄いし…と改めて感じいっていました。
最後になりますが、母親は皆さんの励ましかあったから頑張れたと思いますし、本当に支えられたと思います。その繋がりを維持する為に、身体のどこが動く限り意識のある限りブログを上げていたと思います。
皆様、本当にありがとうございました!また、何かあれば報告しようと思っていますので、よろしくお願いします。

心安らかに

2017-11-20 00:11:05 | 日記
今日、母が旅立ちました。親父が式場の挨拶で「もっと生きたい!もっとしたいことがあるのに!何で私なの」
と母の心のうちを語っていましたが、本当に口惜しかったと思います。母が本当に治すぞと病気に立ち向かっていたことを思い出させて貰いました。
実家に戻り家族で闘病生活や、親父の看護生活を振り返ってみていると、何か喋りにくいなぁという発病から、住友病院での診断でALSと分かって時のショック、暫くは歩けるし喋れるので懸命にに変わらない日常生活を送ろとうしながらも、針治療などでALSを治癒できないかと頑張っていた姿、歩行が困難になり言葉も不自由になりつつある中でアイパッドと杖で東京の弟のところに泊まり治療に行ったこと、食事の誤飲を防ぐために、喉の手術をして声を失ったてもアイパッドで筆談をしていたこと、いよいよ寝たきりになってもブログを書くために、特注マシーンを懸命に操作していたこと、その頃には胃ろうの手術もし最後には呼吸不全から呼吸機の処置に切り変えたことなどなど、最後はめぐみの家で笑ったいるような顔で旅立ったことを、みんなでなぞっていました。
最後の5年は本意ではないと思いますが、余命3年と宣告されたのが、もう少し頑張ればIPS細胞て治せるかもしれないと前を向いていた踏ん張っていた気持ち・気力だと思います。けれど最後は少し疲れたかも知れません…
これかは、多分この世界のどこで見ていてくれて、「おまはんが、もっとしっかりしないとあきまへん」とまた怒られるような気がしますし、また夢枕でいいので怒って欲しいです。
最後に、さようなら心優しき母へ!心安らかにに眠って下さい

母が旅立ちました

2017-11-18 00:01:35 | 日記
母が約5年間の闘病生活から本日、旅立ちました。
一カ月ほど前から心臓が弱ってきていると主治医の見立てがありまして、今日の午前中からは脈が弱かなっているのをめぐみの家の看護士さんが気付いておられ、昼からいよいよということで、主治医に来てもらい診てもらったところ、13時30分に永眠につきました。
お通夜が明日の19時から、お葬式が明後日の12:30から家族葬にて行います。
場所はベルコシティホールみのお(箕面市西小路2-8-6)です。
本当に長い間、励ましのお言葉やお気持ちを頂きありがとうございました。
母も最後はにこやかな顔です旅立つことができております、これも皆さまとのこのブログでの繋がりのおかげかと思っておりますし、母の笑顔もその現れと思います。
また、明日明後日の最後のお別れについても、報告させていただきます。
ありがとうございました

懐かしい写真です

2017-11-06 20:19:38 | 日記
お久しぶりです。お袋は相変わらずですが、少し心配なのが先日めぐみの家に行った時に、看護師さんから「心臓の力が弱ってきていて、静脈で血を送っている」ような話を教えて貰いました。見た感じ顔のむくみのはあるものの、血色は良かったのですが…
話は変わりますが、この三連休に東京の次男夫婦が帰阪したので、久しぶりに兄弟で実家に集まりました。今回は親父から祖母の話や母と祖母との出会いの話をなど面白い話が聴けました。さて、今夏の写真は、めぐみの家に貼っているもので、その次男の息子二人と父母です。今、子供達は上は大学一回生、下が高校二年生でして
時はかなり経ちましたが、親父は余り変わらないですが、お袋は若々しいですね。
また、良い写真などが有れば、紹介したいと思って居ます。