南さんのALS日記

難病にかかった毎日の生活報告

今年は甘夏が豊作

2013-04-30 13:51:58 | 日記

 この時期に別府へ行くもうひとつの目的は、Mさんの妹夫妻が栽培されている臼杵の甘夏の山まで出かけて無農薬の甘夏をもぐことでした。28日朝から高速道路で1時間足らず、今年は甘夏が豊作でたわわに実っていました。大きい実だけ取るようにと、贅沢な収穫作業でした。ここでのハプニングは甘夏を積み込んで帰ろうとしたとき、左の後輪がパンクしたのです。でもさすがプロのドライバー、テキパキとスペアータイヤに取り替えて、近くのガソリンスタンドまで走らせ、パンク修理をしてもらい事なきを得ました。よかった。

 27日は一日私の行きたいところを優先してくれたので、私は坊がつる、筌ノ口(うけのくち)温泉、ブナの木の山小屋での昼食と希望を出しました。ところが坊がつるは飯田(はんだ)高原の長者原(ちょうじゃばる)から歩いてしか行けないところだったのです。長者原の遊歩道を散歩することで我慢し、寒の地獄を通り、筋湯温泉を抜けて、久住山の登山口、牧の戸峠で30分ほど登り展望台で九州の山並みを満喫しました。筌ノ口温泉は抹茶色の露天風呂、新緑に囲まれてゆったりと入ました。あとはビールを買い込んでブナの木の山小屋へ、この山小屋はMさんの妹の夫君が50年後にはブナの森になるようにブナの木を植えて育てているところなのです。みんなで作ってきたお弁当を肴に楽しいランチタイムのあと、Mさんから近くに地熱発電所がある、見学させてくれるから行ってみるかと誘われ、行ってみました。九州電力の八丁原(はっちょうばる)発電所、11万kw日本最大の地熱発電所なのです。次に混雑が予想される湯布院を避け日出生台(ひじゅうだい)自衛隊演習場を通ることに、ここでは日出生台演習場での米軍の演習に反対する運動の先頭に立って頑張っておられる江藤さんの説明を聞くことが出しました。これもMさんが途中で電話で話をつけてくれて、放牧作業中の江藤さんが駆けつけてくれたのです。


別府の天女に会いに行ってきました

2013-04-29 14:28:06 | 日記

 25日夜大阪南港からサンフラワーで別府へ2泊の旅に行ってきました。別府に十数年前から親しくしている友人Mさんが、私が難病に罹ったことを心配して、別府へおいでと誘ってくれたので、これまでにも何回か一緒にお邪魔したFさん夫妻、Sさんと私たち夫婦の5人で行きました。Mさんは私より6歳年上で、現役時代自治体労働組合婦人部の活動で知り合ったのです。Mさんは50代で夫を亡くしてからも、定年まで活動を続け、終の棲家は温泉付き住宅で、誰が行っても暖かく迎えてくれて、泊めてくれるのです。友達の友達は友達だと、直接は知らない人だって泊めてくださるのです、それで私たちは彼女のことを「別府の天女」と呼んでいるのです。今回は車一台で5人で行ったので、Mさんも一緒に出かけるとなると大きな車が必要、レンタカーを借りようか、ワゴンタクシーにしようかと相談すると、彼女は電話一本で知人から車検から上がったばかりのワゴン車を借りてくれ、運転手はこれも彼女の知り合いのタクシードライバーを手配してくれて、楽しい旅ができました。写真の整理のパソコン作業に疲れたので詳しくはまた明日。

 


身体障害者手帳

2013-04-25 09:43:15 | 日記

留守中に身体障害者手帳を交付するというお知らせが届いていました。夫と一緒に取りに行きました。総合窓口では結構待たされて、交付された手帳には「音声・言語機能喪失(3級)第2種」とありました。担当係員は手帳を交付したあと、「障害福祉サービスのご案内」という冊子をくれて内容について説明してくれました。でもやっぱり夫の方を向いて説明するのです。筆談パッドで私に説明してくださいと書いてしまいました。帰宅してから冊子を読んでみると、今のところ私が利用できるのは、JRの乗車券が5割引になること、国内航空運賃の割引があることタクシー料金が割引されること、ぐらいでしょうか。


孫たちとの3週間

2013-04-24 09:36:20 | 日記

 23日夜3週間ぶりに我が家へ帰ってきました。夫は出かけていました。部屋に入って一番に気がついたことは、観葉植物がぐったりしおれて瀕死の状態、急いで水をやりました。

 孫たちとの3週間の生活は、私にとっては毎日が発語訓練になりました。というのも彼らの行動の一つ一つに思わず声を上げてしまうことになるのですが、私の言ったことが正確に伝わることはまれで、まるでクイズを当てるように色々解釈してくれるので、思わず笑ってしまうことになるのです。彼らは4年間のインドでの生活ではNHKのテレビしか見れなかったので、見たい番組はいっぱい録画し、学校から帰るとそれを見て、夜はクイズやゲーム番組を食い入るように見入っています。母親が声を大きくして、連絡は、宿題はと尋ねても上の空、挙句の果に毎朝バタバタ劇が繰り返されました。私が少しは役に立ったかなあと言えるのは、孫一人一人に毎日決まった仕事をすることを勧め、上の孫は風呂の準備、下の孫は洗濯物を取り入れること、になったことでしょうか。次男が帰国する6月までは、こんな母子三人の生活が続きそうです。

 


6回目の北京堂鍼治療

2013-04-22 17:28:55 | 日記

今日で6回目の北京堂の鍼治療でした。明日は大阪に帰ります。この鍼治療が私の症状について、目に見えて良くなったとはおもえませんが、舌の動きが少しだけ良くなり、震えが弱くなったことでしようか。鍼治療の状態が自分では見ることか出来ないのでアイパツドで写真をとつてもらいました。関西で北京堂と同じ球麻痺の鍼治療をしているところを紹介してくださるようお願いしてきました。