日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

1月1日にしたいこと

2024年09月14日 | 2024能登半島地震

来年1月1日にに能登半島地震の追悼式典があるそうだ。

自分の周囲の人に聞いてみた。1月1日に何がしたいか?

小学生はお年玉をもらいにいきたいそうだ。今年は貰いそびれてしまった。

おせち料理を食べたい。駅伝見たい。親戚で集まりたい。

 

要は普通のお正月っぽいことをしたい。たとえ、仮住まいのうちであっても。わがままかもしれないが、なんかリセットしたい。

 

もちろん亡くなった方への追悼の思い、失われた街への思いもわすれてはいけないのだけれど。

 

年内に修理が終わっているといいのだけれど。どうも無理なのかもしれない。

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秋の遠足

2024年09月13日 | 2024能登半島地震

今日は秋の遠足、富山市ファミリーパークにバスで。

再開したばかりののとじま水族館に行くべきかと迷ったが、子どもたちの気持ちを考えると、富山の方がいいと判断した。

ちなみに、石川県にはいしかわ動物園があるが、七尾から行くには富山市ファミリーパークの方が近い。同じ県だから近いとは限らない。

 

暑い日だったのが、子どもたちは元気に楽しそうだった。行ってよかった。のとじま水族館には別の機会に出かけよう。

富山から七尾に向かう。稲穂がきれいだ。海も美しい。

ただ七尾市に入ったら、ブルーシートが目につく。

夕方のニュースでは、新たに16人が災害関連死に認定されたと言っていた。そのうち7人が七尾市。

 

 

 

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マイホーム

2024年09月12日 | 2024能登半島地震

幼稚園の仕事をしていると、若いご夫婦がマイホームを建てる時に毎年のように出会う。アパート暮らしから自分たちの家マイホームへ。計画を立てる。土地探しから始まって、ローンのこと、建築会社のこと、いろんなことを話してくれる。子どもたちも自分の部屋ができることにワクワク。お部屋の色はどんな色とか、ニコニコして教えてくれる。マイホームを建てる事、それを見守るのは楽しい。

 

ところが今遭遇するのは、高齢者含む家族が地震で失った家を建てようとする話。

建てようとする計画なんてない。その家にずっと住むつもりだった。でも取り壊さなければならない。建て直したい。資金は用意してない。ローンも組めない。義援金は?50代の者でも躊躇う。70以上の人が建築する。バリアフリーにする?お金がないから、小さい家になる。誰の部屋をなくす?狭くする?都会にいる娘息子が帰ってきて迎え入れる部屋は?

一つ一つ決めるために家族で話し合うが、どこかトゲトゲしいものになる。みんなイライラする。

楽しくはないマイホーム計画。今はそんな話しを見守っている。

 

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次の災害に備えて

2024年09月11日 | 2024能登半島地震

今まで全く面識のない、関東地方の大学の先生の訪問があった。教育学部の先生。教師を育成している立場の方だ。東北にも熊本にも行かれて、災害時の話を聞いているという。

災害時、そして被災後の今までの話を、次に教師として震災に出会うかもしれない大学生と考えていきたいから話しを聞かせてほしいという主旨。

いろんなお話をした。地震の揺れが今までのものとは違うこと。七尾以北で地震に遭遇した者は死の危機を感じるものだったこと。予期せず臨時の避難所になったこと。やってみたら案外幼稚園は避難所になれること。そこであったさまざまなエピソード。市役所とのやりとり。

断水期間の事。ずっと七尾にとどまった子どもたちのこと。その心の動き。

そして今、解体待ち、工事待ちの不安。それぞれの経済格差。

どのくらい伝わったかはわからない。学生に伝わったらいいなとこちらが考えることをできる限り話した。

 

おもしろいもので、幼稚園関係者、教育関係者は「次の震災」を想定した話しを聞こうとする。そう言う聞き方なので、私たちの体験も、自分だったらどうするかと真剣にきいてくれる。

けれど最近とても残念に思うのは、「牧師」という人ほとんどがそんな聞き方をしない。「信徒」の人達の方が真剣に聞いてくれる。牧師たちに自分のところもなんかあったらという危機感がないように感じる。

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解体にかかる時間

2024年09月10日 | 2024能登半島地震

7月16日か始まったお向かいの家の公費解体。今日、終わりました。

長い間、その敷地内に置いてあったパワーショベル?が運び出され、最後のお片付け。箒ではいている人に釜土達雄が話しかけました。

なんか笑いながら話していたので、何を話していたのか後から聞いてみました。

「(時間)かかりましたね」

「ああ、台風なかったら一週間早かったんだけど」

「台風来るから現場を養生しろって言われて、解体現場みんな回って対策したから、時間かかった。すんません。」

 

ん?台風対策を解体現場はしてたのか…

七尾の街には解体を待ってる危ない家がそこら中にある。地震の時に潰れてそのままがれきの山になってる所も何箇所もある。風速30mが来たら、大変なことになる。でもその対策はしていない。

 

そんな街中での解体現場はしっかり対策してたのか。

なんか滑稽な感じがする。でも業者さんは自分の仕事に一生懸命なんだ。でもなんかチグハグなんだ。

 

この話を職員たちにすると、一体自分の家の番はいつ来るんだと不安がる。

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笑い合う

2024年09月09日 | 2024能登半島地震

7月16日から始まった幼稚園の向かいのお家の解体。

今日ようやく、土が見えました。やっと終わりが見えてきたようです。毎日、今日はやってる、今日はやらない日と注目しておりました。

 

街には解体待ち建物がたくさん。今にも崩れそうなものがあり、頭上危険の貼り紙が風にひらひら。

雨が降ればブルーシートの屋根が大丈夫かドキドキ。園舎のヒビも気になります。

 

幼稚園の教師たちも解体順番がいつ回ってくるのか?修理の人は来てくれるのか?建て直したいけどお金が足りない……不安だらけです。

 

だからこそちょっとした事で笑い合うように心がけています。七尾の中にいる者同士でこの事態を笑い飛ばす。遠くの人になんか言われたら嫌な気持ちになるけれど、お互い同士なら。

不安だらけを笑いで包みながら、毎日過ごしています。

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七尾市最後の避難所

2024年09月08日 | 2024能登半島地震

今日で七尾市最後の避難所が閉じた。

ある新聞のコラムにその避難所を支え続けた人の姿が描かれていた。

見返り求めず、たくらみなく、いちずに尽くす。

 

今回の地震は元日発災ということもあり、スタートから、地域コミュニティが運営の中心だった。その中でもその避難所の方は、自分のお家のことを後回しににして運営にあたったと聞いた。

いろんな避難所の話を聞いたが、どこも結局地域の人が動いて運営あいていたようだ。

 

一昨日の新聞には『俺は医者だ」は通じない と言う見出しがあった。医療を考えるコーナー。

輪島の避難所にいた医師の回顧。医者としてできるだけの診療をしつつ、地震直後は、人手が足りない避難所でトイレ掃除、かたづけ、ご飯配りなどをした。「俺は医者だしという姿勢でなく、なんでもやるぞという気持ちで活動しないといけない。」

能登で大事なのは「何でもやる姿勢」。能登での医療で求められる事として挙げているのだが、医療以外の場所でもきっとこの姿勢が求められる。

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9月長老会

2024年09月08日 | 2024能登半島地震

9月長老会。

今日は7080の長老が欠席なので、牧師が最年長。

壁が落ちたまま、エキスパンジョイントがぶら下がったまま、の場所で会議。最初の頃はなんだか落ち着かなかったけれど、今はみんな慣れてしまった。

今日は最年長のせいか、牧師が疲れた疲れたを連発。本当に休み無しなので疲れはたまる。誰かが休みをくれるわけじゃない。自分で加減するしかないのは本人が一番わかっているのだが。

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9月8日、主日礼拝

2024年09月08日 | 2024能登半島地震

70代と80代の長老2人が、体調がすぐれず、欠席。残暑バテでしょうか。

というわけで、今日の礼拝出席は9名。

牧師が2番目に高齢だった。

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週刊誌の記事を読んで

2024年09月07日 | 2024能登半島地震

数週間前、ふと手にした週刊誌で偶然ある連載記事を見た。

週刊文春の「大野寿子さん難病の子たちが撒いた種」興味を持って読んだ訳は、大野さんが日本基督教団浦安教会の会員だと紹介されていたから。浦安教会は、今回一番早く手紙を送ってくださった教会だった。地震前に特別な付き合いはない。

浦安教会はどんな教会なんだろうという興味が、この記事に惹かれた理由だった。

 

大野さんという方に魅せられた。メイクアウイッシュという活動をされてきた方。

今発売されている号に載っているのは、その大野さんの葬儀の様子。

「神によって旅に送り出される。それが人生です。」

 

どこかに文春が置いてあったら、是非お読みください。9/12号122ページ。

 

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