日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

ベツレヘムの星

2017年05月16日 | 教会の出来事

七尾教会の教会員、西野ふきこさんが亡くなられました。91才。

西野ふきこさんは、とても印象深い信徒でしたので、七尾教会に夏期伝にきた神学生、北陸の諸教会で牧会された牧師、いっしょにイスラエルを旅行した人々などに、そのことをお知らせしたい思いがあります。どうしたらよいものかと思ったところ、このブログがまだ使用可能だったので、ここに記すことにします。西野さんのことを思い出して、お祈りに加えていただけたらと思います。

西野さんは、金沢・若草教会で受洗されました。「神様はどこにいらっしゃる?」といきなり教会の中に入っていったのだそうです。その時の牧師は、加藤常昭先生。その後加藤先生ご夫妻の導きで、洗礼を受けることになりました。まだ、加藤先生が補教師だったので、北陸学院の番匠鉄雄先生が授洗牧師となりました。その後、七尾教会に転入されました。

血液型をどうこういうのはどうかと思いますが、ふきこさんはいわゆるB型人間でした。自由な発想と発言。

信仰者としては素朴な方でした。素朴すぎるといってもいいかもしれません。きれいな花を見つけて神様に感謝し、人の為に祈ろうと思えば、突然に大きな声でお祈りが始まる。

一緒にイスラエル旅行に行った時には、十字軍の史跡を見て「聖書のどこにもイエス様が軍隊をもったとは書いてない」と言い出したり、「エルサレムに住んでいるのに、まだイエス様の十字架と復活を信じてない人がいるのか」とプンプンしたり、かと思うと「私たちの本山はどこですか?」と尋ねたり・・・。

そして、七尾教会の歩みの中では、いつも「主の山に備えあり」でした。「神様がなんとかしてくださる」と周りに言い続けて下さいました。1990年の園舎改築と会堂改修。その後の駐車場取得。そして能登半島地震。どんな時にもきっと神様がなんとかして下さると信じて疑わない方でした。そして捧げ物もしてくださる方でした。

年齢を重ね、足が不自由になると、文字通り這ってでも礼拝にでようとされました。以前の会堂はバリアフリーではなかったので、段差のたびに手をついて這っていたのでした。階段もそうでした。みんなが前後を支えながら移動したのです。能登半島地震後の会堂改築で、なんとか西野さんが礼拝生活を続けられるようにと、バリアフリーにしたり、エレベーターをつけたりしました。新会堂になってからは、タクシーからおりて、車いすにのって、礼拝堂に入って、着席するのが毎週のパターンでした。

そんな西野さんが天に召されました。ご自身の意志でもあり、仏式の葬儀になりました。旧家に嫁いだ者として、そうしなければならないだろうと思っておられました。そして、仏式の葬儀だろうとも、神様のみもとにいくことを疑いもしない方なのでした。

仏式の葬儀の前に、牧師といっしょにご遺体の横で祈りをささげ、牧師館に戻ると、「ベツレヘムの星」と呼ばれる小さな花が咲き始めていました。(釜土蘭子)

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夏のおとまり会

2012年07月29日 | 教会の行事

今年の小学生のおとまり会は8月12-13日です。

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ここが七尾教会・・・

2011年05月17日 | 地震のあとで

お昼頃、教会玄関のドアホンがなりました。二人のご婦人が立っておられました。尾鷲教会の・・・とおっしゃられ、突然で申し訳ないのですが、礼拝堂を見せていただけますかとの事でした。

私はそこで幼稚園の方にいかなくてはいけなかったので、牧師がその後応対しました。というわけで後から聞いた話です。

二人のご婦人は、東日本大震災の被災地にボランティアに行かれた帰りだったそうです。まっすぐに帰るのではなくて、少し寄り道をして和倉温泉に一泊して帰ることになりました。そして、通りがかりに、「七尾教会」を発見したのです。

中部教区内の事ですから、「七尾教会」の事、能登半島地震被災教会の事を祈り続けてくださったのでしょう。ふと見たら、そこに教会があった!それをとても喜んで、喜んだまま、教会のドアホンをつい押してしまった・・・。自分の教会に戻ったら、この事を話したいとおっしゃりながら帰られたということでした。

なんだかまたつながりました。祈りの輪とでもいいましょうか・・・。祈りがかなえられる。神様が聞いていてくださる。

きっとお二人は今度は東日本大震災の被災地の為に祈りを続けられることでしょう。そして周りの人に証してくださることでしょう。「七尾教会」がその話に用いられることを感謝したいと思います。(R)

 

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?年ぶりの富山

2011年05月15日 | 地震のあとで

午後、富山二番町教会の就任式へ。

富山に来たのは、実は二番町教会の献堂式以来。そもそも、七尾から出たのが去年9月以来。ずーっと七尾にいて、そのほとんどの時間を馬出町75番地内で過ごしてきた。工事中はだれかが責任者として立ち会うのが原則だと考えているので、離れることはできなかった。ようやく、離れても大丈夫という気持ちになった。

何よりこの間の献堂式に富山からもたくさんの方が来て下さった。そのお礼を申し上げなくてはいけないと思った。献堂式の写真もお渡ししたかった。

そんなわけで、ひさしぶりの富山。就任式。お祝いの会の間に、写真を渡す。

会が終わって七尾に戻ると、8時。(R)

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思い出すこと

2011年05月14日 | 地震のあとで

なんとなく日本の中で、日常が普通になってきている。震災前と同じようなテレビの内容になっている。普通にCMが流れている。そんな中で、震災関係のニュースが減っているような気がする。節電の説明の方が長いような気がする。

なんとなく能登半島地震の後のことを思い出す。ニュースで取り上げられなくなった時、とてもガッカリしたこと。忘れられてしまうのかな?もう終わったことなのかな?そんな感じがした。

自分は今直接何もできないけれど・・・。

思い続けよう、今も避難所で過ごしている人がいることを。今これから、自分の家を離れなくてはいけない人がいることを。今も自分の生活を取り戻せない人がたくさんいることを。まだ大切な人の行方を探している人がいることを。

祈り続けよう。忘れることなく。(R)

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溶連菌

2011年05月10日 | 地震のあとで

カマドタツオの熱、原因は溶連菌。夜になるとかなりの高熱を繰り返し、やっと月曜日からは平熱が保てるようになってきたのですが、大事をとって今日も外出は控えて・・・。体の為には自分の住居の中にいるのが一番いい。当たり前のこと。(厳密に言うと牧師館というのは自分の家ではありませんが・・・)

大震災から2ヶ月。「自分の家」に住めない人がたくさんいる現実。きびしすぎるし、かなしすぎる。(R)

 

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疲れが出ると、熱が出る。

2011年05月08日 | 地震のあとで

昨日の昼間、やっと自分の車のタイヤ交換をした釜土達雄。その後なんだか顔色が赤くなり、夜になったら発熱!39.0まであがってしまいました。

主日礼拝前にはなんとかシャキッとして、自分のつとめを果たしましたが、その後はまた・・・。

「おつかれが出たのかねぇ」と優しい言葉をかけてくれる教会員たちでした。(R)

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2011年05月06日 | 地震のあとで

雨がふる心配もなく、風も強くない朝。新しい建物の窓をあけて、風を通してみました。一瞬ここのまどはどうやってあけるんだっけ?と考えたり。建物を維持していくには空気の入れ換えは大事なこと。

窓をあけながらふと思う。今、日本には安心して窓をあけられない所があるということ。家がたっていても地震であかなくなった窓があるだろう事。窓をあけて空気をいれる、そんな当たり前の事を一日でも早く取り戻すことができますように。(R)

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竣工写真

2011年05月05日 | 地震のあとで

午後2時すぎ、竣工写真の撮影。やっととれました。休日の方が駐車場に人がいなくていいと思われたよう。

「明日は夜の教会の写真をとりにきます」、そういってお帰りになりました。

夕方、高岡教会の風間先生がファミリーでこられました。献堂式は人が多いだろうと言うことで家族は後からの見学となりました。夫妻は間違いさがし(新旧比べ)を楽しみ、子供達はぐるぐる周りながら場所を確かめておりました。(R)

 

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献堂式の写真 前から

2011年05月04日 | 地震のあとで

オルガンの後ろから撮った写真。

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