日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

会堂が完成したらやってみたいこと

2009年09月29日 | 地震のあとで
おとといの愛餐会の席でも、ちょっと口にしてしまったのだが、新会堂になったらしたいと密かに思っていることがある。
それは、礼拝堂を会場にしたゴスペルコンサート。別に遠いところからアーティストを呼んでくるというわけではなく、教会員の森山奈美さんが所属するグループにしてほしいのだ。意外に思うかもしれないけれど今までしていない。
新しい会堂になったら、町の人に礼拝堂に足を踏み入れてほしい。そして幼稚園の卒業生達にも来てほしい。そんな人たちが入りやすいのは、他でもないみんながよく知っている人がメンバーの一人であるコンサートだろうと思う。

そしてそこでがいいのか、献堂礼拝の時がいいのか・・。どうしても新しい会堂に響かせたいなあと思う曲がある。メサイアのハレルヤコーラス。
先週の能登圏役員研修会で、羽咋の茶木さんとお話しした時も「メサイア」の事が出た。その時、ミッションスクール卒の教会員がクリスマスになると聞きたいねと言っていた。全曲は無理だけどハレルヤコーラスだけでも・・・。そんなことを一週間考えていて、ふと思い出した事。
そうそう、母教会日本橋教会の会堂完成の時に、教会の人が練習してハレルヤコーラスを歌ったのでした。私はまだ中学生でその場にいなかったのですが、後からよく聞かされたような・・・。

初めてであった教会と牧師の影響って大きいなと改めて思った私でした。
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9月の石川地区交換講壇

2009年09月27日 | 地震のあとで
今日は石川地区の交換講壇が行われました。
昨年度までは1月に行われていたのです。が、冬に行うことのリスクは大きかったのです。今年の1月の交換講壇の日には七尾はゲリラ豪雪。礼拝堂の戸を開けるのにも大変な思いをいたしました。七尾にいらした土肥先生も相当な決意で金沢から七尾の雪道を走ってこられたのでした。
さすがにもう1月はやめようということになり、今年度から9月となりました。

ところが、今日は欠席届が多かった七尾教会。地域のイベントなどが多い9月ですから・・・。せっかくの交換講壇なのに残念。出席15名。
七尾教会には金沢元町教会の堀江先生がいらっしゃいました。
礼拝後堀江先生を囲んでの愛餐会。たくさんの手作りのおかずを用意した婦人会の方々が、「残って一緒に食べていってください」と呼びかけたおかげで、礼拝出席者がみな残った昼食タイムとなりました。(もちろん、堀江先生の説教が心に残ったという事も皆が先生ともう少しお話ししたいと思ったのかと思います。
堀江先生のお人柄もあり、皆がよくしゃべった会となりました。会堂建築に関する堀江先生の経験談もあり、「礼拝堂建築には無理と思われることも通ることがある・・・」という深い言葉も心に残りました。また同行された元町教会の長老さんが、実は七尾に親友がいらしてという意外なエピソードがあったり・・で楽しい時となりました。感謝。(かまどらんこ)
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1961年の羽咋教会

2009年09月26日 | 地震のあとで
今日配達された「教団新報」に、大宮教会の疋田先生の文章が載っていました。疋田先生がはじめて教会に導かれた時の事が描かれていました。牧師夫妻と求道者一人の礼拝もあったという1961年の羽咋教会。いろいろな事を考えさせられる文章でした。

1961年といえば、七尾教会は現在地に移転し、現在の礼拝堂をたてた年です。

その後の七尾教会羽咋教会の歩みは、おそらく1961年のちょうどその時にその教会にいた人間の思いとはずいぶん違ったものだったでしょう。その歩みが、時々の教会の決断が、神様の御心にかなうものだったのかどうか。人の思いに流された時も多かったようにも感じます。けれど、にもかかわらず、教会はそこに建てられている。
今、また大きな岐路に立つ2つの教会。祈りつつ御心をたずねることを忘れずにいたいと思います。(かまどらんこ)
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廃止路線

2009年09月25日 | 地震のあとで
日本航空が経営困難な状態というニュースが連日報道されています。その中で話題になっているのが、どの航路が廃止されるという事。非採算路線を廃止する。経営難の中ではしかたのない決断なのでしょう。でもその地域大丈夫なのか・・・。

そして地元紙には、能登でまたバス路線の廃止というニュースがが小さく報じられていました。確かに乗る人はすごく少ないだろうと思うものばかり。一日一便2便とかで、乗ろうと思っても不便すぎるというのが正直なところで、それを利用するより、知り合いに乗せてもらう方がいいなぁと思ってしまうものです。七尾から免許センター行きという線も廃止だそうですが、私も免許証を紛失してしまって免許センターにいかなくてはいけなかったことが一度ありましたが、夫に乗せていってもらいました。

運転ができないと、マイカーがないと生活しづらい、地方の現実です。(かまどらんこ)
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連休後・・・

2009年09月24日 | 地震のあとで
朝、2ヶ月ぶりに病院へ。定期的な血液検査とエコー検査の為です。連休明けなので病院は込んでいるに違いないと思い、朝早く出かけたのですが、あれ?と思うほどすいていて1時間ちょっとで終わってしまいました。
検査で異常はなく、引き続き肝機能をよくする薬を服用しながらということになりました。

幼稚園に戻ると、久しぶりの幼稚園に嬉しそうな子供達の姿がありました。いつもの幼稚園になっていることにホッとします。

幼稚園の玄関には、保護者の方が持ってきてくれた稲穂がさがっています。田んぼや畑がすぐそばにある七尾の町です。(かまどらんこ)
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シルバーウィーク最終日

2009年09月23日 | 地震のあとで
シルバーウィーク(きっと今年だけ使う言葉ですよね)の最終日。
この連休、能登半島では、ツールドのと(自転車で能登半島を回る)、マクベス公演スタートと大きなイベントがありました。観光が大切な地域としては、観光客が来ているというのは大切な事です。県外ナンバーの車が多く走っているのを見ると、よかったなと思います。七尾では、県立七尾高校の創立110年という行事もあり、同窓会出席の為に里帰りした方も多かったようです。

釜土達雄は、富山地区の信徒大会へ。能登半島地震の事を話してきました。連休中にもかかわらず70名以上の出席があったということです。感謝です。
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それぞれの教会の決断

2009年09月22日 | 地震のあとで
今日は、富山二番町教会の小宮山先生を講師として、学びの時を持ちました。
能登の役員達にとっては、あまりにも身近な先生です。

二番町教会の会堂建築の話を具体的にしてくださったのが、興味深いものでした。それぞれの教会にはそれぞれの事情があるものです。
どんな会堂を建てるかは、その建物をつかってどんな伝道・宣教・教会形成をするかなのだと改めて思うのです。
二番町教会は移転に伴って、前の会堂とは全く違う外見の会堂となりました。どうしてそうなったかには、深い理由があるのです。

七尾教会は、今の会堂と変わらないような外観にしようとしています。教会の中で話をする中で、これまでの20年と変わらぬ教会形成をしていきたいと願っているからです。どうしてこういう設計になったのかを問われれば、「・・・です」と説明できるものになったのではないかと思っています。
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交わりの時

2009年09月21日 | 地震のあとで
今日と明日、能登圏役員研修会。能登の3つの教会の役員・長老・執事が集まる会。
研修の間に、それぞれの教会の会員の様子を尋ねたりします。
「・・さんはどうしておいでますか?」
それはまるで親戚の間でする会話のようです。
「お元気ですよ」という声に安堵したり、病気がすすんでしまっている様子に心配したり・・・。どうでもいい会話のようですが、能登の3つの教会にとってこれはとても大事な事です。その中で、互いの教会の様子を知り、祈りあう事になるからです。
信仰生活のささやかなエピソードに、笑いあったりします。

3つの教会が支え合っての能登圏です。
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全員一致で

2009年09月20日 | 地震のあとで
今日の礼拝後、臨時教会総会。七尾教会として礼拝堂の建て直しが決定しました。
小さな教会ですから、これまでも何度か婦人会などの場で、設計図の事や予算の事は話してきたのですが、今日はまたなるべく丁寧に説明がなされました。小さな事でも疑問があれば質問をしてもらいました。全員賛成で可決。決してラクな道ではありませんが、みんなで歩き出すことになります。牧師館建築の時には、地震直後に無我夢中で突き進んだわけですが、2年半の月日がたった今は冷静な分、困難さも目に見えています。

実は七尾教会は、1961年に現在地に現在の会堂を建てた時に、全員一致の行動ができませんでした。会堂移転の中で、教会に分裂が起こり、完成後に約半数の教会員が、教会を離れています。それは辛い経験で、今でもその事をよく知る古い教会員は、細かい事情を話すことはしません。
会堂建築。それは主の体なる教会を建てることなのですが、人の思いが交錯し、前の建物が良かったとか、本当はこういう計画が良かったとかいろんな思いが出てしまいがちなのです。教会の中に一致がない、それは大きな計画をするときに一番おそろしいことです。

全員一致での可決。捧げる者は捧げ、実務を負う者は実務をおい、そしてみんなで祈り・・・。教会員全員がそれぞれの役割を果たす会堂建築でありたいと願っています。この世的には、いえ全国の教会の中でも、小さな小さな七尾教会です。全国の諸教会の祈りに支えられ、主の栄光をあらわす大きな業を成し遂げられますように。
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心配しなくてよい

2009年09月14日 | 地震のあとで
心配しながら、あせりながら、荷物の整理をしていると、ふと思いもかけないものとめぐりあう事がある。幼稚園の古い書類の中になぜか入っていた輪島教会の月報あすなろ、1990年3月号。当時の牧師は小宮山先生。ガリ刷りの手作りのもの。1990年3月といえば、七尾教会は大規模改修の準備をしていた時である。

「心配しなくてもよい」という小宮山先生の説教には、ちいろば先生こと榎本保郎牧師が開拓伝道を始めた教会の土地代金の支払い期限が迫った時のことがあります。支払い前日にどうにもお金ができず、疲れて家に帰った榎本先生が、来ていた手紙をあけるとちょうど必要な分の小切手が入っていた。「予期していない人から予期していないお金が与えられ教会は守られた。」

教会で大きな事業をした経験のある方なら、それぞれにこういう奇跡的な出来事に出会った事があるのではないかと思う。自分も何度も経験した。自分たちの力ではい。神様によって教会が守られるという事を。何度もぎりぎりのところを通った。七尾教会の20年来の長老達はだから今度もゆるがずにいてくれる。

今日の午後は教区の委員会が行われています。心配な気持ちの自分に与えられた御言葉。
「心配しなくてよい」。
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