どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王卑弥呼発見なるを変更しました。

卑弥呼の墓の新発見、王都の位置、本名および魏志倭人伝の解明について書きつけます。

天地の相関3

2010年10月20日 13時45分30秒 | 卑弥呼
天地の相関3

天鏡尊

神代七代の第2段 第2の2書に、
国常立尊―天鏡尊―天万尊-阿波なぎ尊―いざなぎ尊がある。
ここでの重要事項は、天鏡尊です。天は、鏡であると云っています。
従って、天人相関つまり天の星と地上の人は、対応します。天と地は、現在のナビゲーターと同じで、天地の相関と言ってもよいとみます。

キトラ古墳の星座図
鏡に映った姿です。皆さん、鏡面の御自身の顔を見て下さい。この世にない姿でした。なぜならば、鏡に映った姿は、実像ではなく虚像ですから、醜いという。もっというと、あなたの顔半分を右と左に分けて見て下さい。入れ替わっています。従って、この世にない顔でした。キトラ星座図は地上を鏡に映した天体で、死んだ人:天上他界者を指しています。言い換えると、鬼席が用意されていました。

鏡像の「醜い」を外して、古代は語れません。虚の状態で語ると、読者は理解しがたいが、このカラ繰りを知れば、虚から実を復元できると。歴史を語る味噌でした。

具体的には、はじめ、頭を横に傾ける人、唐へ行った熟蝦夷の夨(ソク人)の先祖がいて、(方位を90度左回転し)東が、北に変更されています。
次に、魏志にいう東南の方向と言えば、鏡に映った方向で、西北へ行けと云う意味です。また、東へは、逆の西へとなります。
これは、倭人が発言し、魏の書記官に書かせたものです。中国には、気づかれないようにやっています。陳寿は、書記官の記録をそのまま記し、倭人の先祖を文献から割り出して、知っていました。
注目すべきこと・・・明帝のじき直の口語が再現されていました。他は文語です。

地図
大八州生成章では、淡路島、本州、筑紫島、四国が生まれた。「国生み神話」が出て来ますが、先来の國神が、天体と連動した日本列島の測量を既にしていると看做します。神功皇后に地図と戸籍を渡した新羅大明神。これで解ります。

天御中主
七海は、北極星ではなく、天の北極点を天御中主という。その理由は、孔子の時代の前500年ごろ、現在の北極星ではなかったのです。(福島久雄「孔子の見た星空」大修館書店1997)

現在の天御中主は、北極星5星の小熊座のα星です。北極星を北辰という。
江戸期では、北極星は、子(ね)星といい、妙見星という。(野尻抱影)

古来、三光の日月星は、東から西へ運行しています。

天地を逆さにして言う新羅大明神:須佐之男の表現。
東に昇る日が改めて西から昇る時・・・・逆立ちした状態。
閼川(彦山川)の石が逆流して天に昇る時・・・石は星を暗示。
この様な時は貢献できないが、毎年、金銀タク衾を食御子:スサノオが献上しましょう。よくできた子孫です。まるで、スサノオが生きかえったようです。

神功皇后は、筑穂町大分宮で、筑紫の政を決め(首領を須佐之男と為し)、奈良大倭へ行きました。実際には、筑紫の首領は、須佐之男の後裔です。

また、宇佐神宮の境内末社として、大山積神は、亀山神社に祀られています。
天孫達を待ちかまえていたように、亀の上に大山積が乗っています。
大地は亀の上にのっかっている事の証明になっています。そのミニモデルで
しょう。大山積が亀山に載っています。この亀は、丹後の筒川の浦島子で安曇磯良です、天孫に亀の瑞祥を与えています。
高句麗の東明は、スッポンや魚で河を渡りました。鮮卑の檀石槐も然りです。みな、河の神:河伯女の後裔です。
831年、三殿が完成、応神天皇、比売大神、神功皇后が、祀られます。

三殿を遡る
応神を気比大神(スサノオ)、神功を櫛稲田姫に置き代えると原型が見えます。
宇佐神宮の比売大神
中央の比売大神の初代は、宗像三女神。次に俀女A、次に卑弥呼、次に壹與、次に俀女Bが連綿と続きます。
俀女は、2回出てきますが、織り女という星で普通名詞です。たぶん、投馬國(大洲市を代表地点)は、この南の松崎町にある伊予神社の伊予津彦、姫が後裔でしょう。初めの俀女Aは、天照大神が言う愛媛。壹與は、愛媛の後裔でしょう。
ここで、気がつくことは、
大巳貴とタギリヒメ(三女神の長女)が結婚しているから、
大巳貴、俀女、タギリヒメも祭られたと受け取ります。俀女は織り女です。
男系でいえば、スサノオ、大巳貴、卑弥弓呼素、応神天皇の順となり、見事に、国神から天皇へつながりました。

なお、571年、大神比義は、五穀(辰韓言語の乳のこと)を断って三年、宇佐郡厩峯と菱形池の間に鍛冶翁(かじおう)降り立ち、大神比義が祈ると三才童児となり、「我は、広幡八幡麻呂なり、護国霊験の大菩薩」と託宣があった。注:広は光です。
大神比義は、大物主、大田田根子、大三輪氏の後裔で、大国主の代役を引き継いでいました。

親ガメの背中に子亀をのせてー、親亀、こけたら、みな、こけた。
事実は、簡単にはこけません。


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