康居2(エフタル時代)
晋の泰始中(265~274)、康居王の那鼻(なび、だび)は西晋に遣使を送って良馬を献上した。・・・康居王・那鼻、ナビとは、盧氏ではないか。
太元中(376~396)、康居は、前秦(苻堅治下、380年頃)の都長安に使者を送って朝貢した。
太延3年(437年)、康居は、北魏へ遣使、朝貢した。
北魏の時代、康居は、嚈噠国(エフタル)に属し、者舌国(しゃせつこく、チャーチュカンド:タシケント)と呼ばれた。
また、康居の後継国家として康国(サマルカンド)があり、
康国は、米国,史国,曹国,何国,安国,小安国,那色波国,烏那曷国,穆国を服属させていた。・・・康国が代表となったのでしょう。
エフタルという国
魏書は、エフタルを大月氏と同種もしくは高車の別種とする。・・・84年、康居は、月氏と婚姻したので、大月氏と同族とする。高車は、北匈奴の娘婿の国。このとき、すでに、康居を後継した小月氏康国がトップとなったのではないか。
通典辺防9は、エフタルの習俗は、吐火羅と同じくすると記し、また「元々の出自を車師または高車または大月氏と同種」ともいう。
加えて「エフタル言語は、柔然:蠕蠕(東胡系)、高車(テュルク系遊牧民)及び諸胡(テュルク系、東胡系、チベット系)と異なる」と記している。
榎一雄は、エフタルが話していたのは東イラン語と思われるという。
以下は、末尾記載の図解を先に読み、呑みこんでください。
前130年の十数年前
A史記は、匈奴が烏孫王昆莫の父を殺した。
B漢書は、大月氏が烏孫王昆莫の父を殺した。
この矛盾は、上記の件の北匈奴を介して解けたのではないか。
史記の匈奴は、北匈奴に遡り、大月氏は、もと北匈奴と同族だから、やはり、大月氏が昆莫の父を殺したのでしょう。同族の争いは常のこと、多々見られます。
史記索隠、夏王・桀の妾を妻とした薫粥(くんいく)は、晋書のいう匈奴の始祖で、夏の末裔かつ匈奴の祖考[父]です。匈奴の始祖・淳維の父でした。
Aの史記が、匈奴というのは、祖考をさすから、新唐書は夏后の苗えいと記した。結果、大月氏本家筋に昆莫の父が殺された。
Bの漢書が、大月氏:夏の本家の祖考:薫育をさし、大月氏本家筋に、昆莫の父は、殺された。・・・同じことでした。
その理由
苗裔とは、薫育の子・淳維が匈奴の初代ですが、祖考の薫育を含めたもの[大祖]と定義されていました。
定義。始祖とは、初代、先祖をさす。諸候は、その大祖に及び、天子はその始祖の出ずる所に及ぶと定義されています。
夏末・殷初[前1600年代]以前から、大月氏の分家は、大康の弟5人が甘粛省タリム盆地やモンゴリアの覇者であった。前1600年頃、分家は本家の薫育と合体した。
ゆえ、匈奴は長らく大月氏に従属していたが、匈奴の淳維の後裔:冒頓単于は、前176年、大月氏から独立を勝ち取ったとなります。
そして、漢書の故烏孫民は、塞種で、大月氏と同族でした。
大月氏の同族は、沢山いるのでしょう。月支胡の支姓の人達もしかり。
月支胡は、北匈奴と同族で、夏王の苗裔ではなく後裔の分家です。月支胡の支[枝]が決め手でした。
大月氏は、昭武九姓の小月氏ではなく、区別されていました。
前176年、冒頓単于は、大月氏から独立したのでしょう。冒頓は北匈奴ではないか。
なぜならば、
冒頓は、一日に日を朝昼夕拝む。冒頓の後裔は、北匈奴単于・蒲奴(46~?)で、甫の字が太陽を表すからです。
例示すれば、慶州北道の蒲項(ボハン)を迎日湾というからです。
したがって、北匈奴:西で白。白フンのエフタルが大月氏のあとのギタ―ラ朝を滅ぼして覇者となった。
これで、辻褄が合いますが、執念深い連中でした。
この後は、隋唐代の西突厥が、西域を支配し、大唐帝国のもと、ビザンツ(東ローマ)との東西交流が進み、シルクロード文化の花が咲くのでした。
図解・・これらの件[経過]は、図解しないと間違いやすい。
陶・虞時代・・・・歴山開拓、舜が開拓。盧満は協力者。虞氏は昭武の祖。
前2070年・・・帝ウ夏后氏の即位。中国科学院の推定。
夏后の大康・・・弟5人(分家)は既に遊牧。月支胡で康居王?
前1600頃
夏后のケツ・・・・殷の湯王に追放される。夏王朝の滅亡。
ケツの子薫育・・・妾を妻として遊牧。薫育は夏后の本家。
薫育と妾・・・・(子供は淳維。北匈奴の初代誕生。薫育は匈奴の大祖:
なおかつ夏后の本家です。)
前176年・・・・・北匈奴の単于・冒頓は、大月氏本家から独立。
成果は、次のとおり。
1、昆莫の父を殺した首謀者は、
史記も漢書も同じ事を表現換えして、どちらも誤認ではなく、読者に注意喚起して、理解できるようにしていました。
2、月氏の構成
ひとつは、昭武の小月氏:先祖の虞舜の出自で、虞氏でした。
他は、大月氏が本家の夏后氏、月支胡が夏后氏の分家筋でした。
ここまでは、整理できたと思いますが、
依然として、大月氏と貴霜族との関係は、未消化で終わりました。
また、康居は、今のところ、推理であって正確かどうか、判りません。