「黒船」でお馴染みのペリー提督の子孫が来日したそうです。今日は黒船と白船についてお話したいと思います。
時事通信 5月21日より 江戸末期に黒船で来航し日本を開国に導いたペリー提督(1794~1858)の子孫ら24人が21日、幕末最初の開港地となった静岡県下田市で開催中の「黒船祭」に参加、約150年前にこの地に大きな足跡を残した先祖に思いをはせた。
一行はペリーから数えて6、7代目の直系子孫13人を含む親族24人。ほとんどの人にとって日本訪問は初めて。子孫全員が一堂に会するのも今回が初めての機会という。
黒船祭参加を最大の訪日目的としていた一行は前日下田入り。下田港のペリー上陸記念公園で提督の記念碑に献花、遺徳をしのんだ。
■中国と韓国から「正しい歴史認識」を言い立てられて、「仰せ御尤も」とハシャグ人も見受けられますが、多くの日本人はウンザリしているのではないでしょうか?社会人になってからも、歴史関連の書籍を実費で買い集めて学び続けるような御奇特な方は少ないでしょうし、今、40代から50代の皆さんは、中学校あたりで「人民公社はすばらしい」「大躍進運動はすばらしい」「コルホーズとソフホーズの違いを理解しろ」などの社会主義礼賛と、「マッカーサー占領軍による民主化はすばらしい。」「(沖縄は見棄てて)平和憲法はすばらしい」などの米国礼賛とが奇妙に混合した、愚にも付かない「歴史教育」を強いられていますから、何が何やら分からず、NHKの大河ドラマで「歴史を学んでいるつもり」になるぐらいがセキの山でしょうなあ。
■大陸で日本が何をしたのか?明治以来のアジアはどんな激動を通過したのか?日本だけが悪人だったのか?などを自問自答しても、なかなか答えは見つけられず、「反日暴動」などの報道を目にすると落ち着かない気分に襲われて、空元気を与えてくれる言説を求めたりしたい気分になるでしょう。「正しい歴史認識」は西方ばかりでなく、東の米国からも間段なく突きつけられているのです。
「米国がオブザーバーで参加することはない」東南アジア歴訪中だったゼーリック米国務副長官は10日、シンガポールでの記者会見で東アジアサミットについて、こう語った。オブザーバー参加は、町村外相が「米国排除」を解消するため、5月初めのASEANと日中韓の非公式外相会合などで提案したものだが、かえって米側の反発を招いてしまった形だ。
「太平洋は米国が所有しているようなものだ。どうして我々が会議の後の方に座ってメモをとらなくてはいけないんだ」。ある米政府高官は、こんな不快感さえあらわにする。……5月15日朝日新聞「時々刻々」より
■ここで少しばかり、「太平洋の所有者」の歴史を復習します。遠い隣人の米国は、新・大陸の東岸に取り付いて十三州で独立して以来、西へ西へと領土を広げてメキシコから広大な領土をもぎ取り続けて、太平洋岸に達します。ここで御注意願いますが、1853(嘉永6)年に4隻の外輪船を中心とした合計7隻の武装艦艇と3隻の輸送艦で構成された艦隊を率いて「来襲」したペリー提督の米国艦隊は、大西洋岸のヴァージニア州ノーフォーク海軍基地を1852年11月24日に抜錨し、偏西風に乗って大西洋を横断。南アフリカのケープ・タウン、モーリシャス島を経てセイロン島のコロンボ港に到着。それからベンガル湾を横切り、マラッカ海峡を通過してシンガポール港に入ったのが、翌年1853年3月25日でした。マカオ経由で香港入港が4月6日で、こうして大英帝国が拠点としていた港を伝って日本近海にやって来たのです。そして、太平天国の乱で大騒ぎの上海に立ち寄って、いよいよ5月26日、ペリーがハワイよりも興味を持っていた沖縄本島に到着します。名護湾・運天港・平良湾・金武湾・中城湾などを詳細に測量してから、6月9日に沖縄の次に興味深い小笠原諸島に向かいます。米国からの移民と捕鯨船の寄港状況を4日間に亘って調査してから、また沖縄に引き返して上海から届いた燃料を補給してから、薩南諸島に沿って北上して伊豆半島沖に錨を投げ込んだのが7月7日の夕刻で、翌朝には、単縦陣、総員戦闘配置、速力8ノットで相模湾沿岸を行進して、午後五時に浦賀沖に姿を現したのです。
其の弐に続く。
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一行はペリーから数えて6、7代目の直系子孫13人を含む親族24人。ほとんどの人にとって日本訪問は初めて。子孫全員が一堂に会するのも今回が初めての機会という。
黒船祭参加を最大の訪日目的としていた一行は前日下田入り。下田港のペリー上陸記念公園で提督の記念碑に献花、遺徳をしのんだ。
■中国と韓国から「正しい歴史認識」を言い立てられて、「仰せ御尤も」とハシャグ人も見受けられますが、多くの日本人はウンザリしているのではないでしょうか?社会人になってからも、歴史関連の書籍を実費で買い集めて学び続けるような御奇特な方は少ないでしょうし、今、40代から50代の皆さんは、中学校あたりで「人民公社はすばらしい」「大躍進運動はすばらしい」「コルホーズとソフホーズの違いを理解しろ」などの社会主義礼賛と、「マッカーサー占領軍による民主化はすばらしい。」「(沖縄は見棄てて)平和憲法はすばらしい」などの米国礼賛とが奇妙に混合した、愚にも付かない「歴史教育」を強いられていますから、何が何やら分からず、NHKの大河ドラマで「歴史を学んでいるつもり」になるぐらいがセキの山でしょうなあ。
■大陸で日本が何をしたのか?明治以来のアジアはどんな激動を通過したのか?日本だけが悪人だったのか?などを自問自答しても、なかなか答えは見つけられず、「反日暴動」などの報道を目にすると落ち着かない気分に襲われて、空元気を与えてくれる言説を求めたりしたい気分になるでしょう。「正しい歴史認識」は西方ばかりでなく、東の米国からも間段なく突きつけられているのです。
「米国がオブザーバーで参加することはない」東南アジア歴訪中だったゼーリック米国務副長官は10日、シンガポールでの記者会見で東アジアサミットについて、こう語った。オブザーバー参加は、町村外相が「米国排除」を解消するため、5月初めのASEANと日中韓の非公式外相会合などで提案したものだが、かえって米側の反発を招いてしまった形だ。
「太平洋は米国が所有しているようなものだ。どうして我々が会議の後の方に座ってメモをとらなくてはいけないんだ」。ある米政府高官は、こんな不快感さえあらわにする。……5月15日朝日新聞「時々刻々」より
■ここで少しばかり、「太平洋の所有者」の歴史を復習します。遠い隣人の米国は、新・大陸の東岸に取り付いて十三州で独立して以来、西へ西へと領土を広げてメキシコから広大な領土をもぎ取り続けて、太平洋岸に達します。ここで御注意願いますが、1853(嘉永6)年に4隻の外輪船を中心とした合計7隻の武装艦艇と3隻の輸送艦で構成された艦隊を率いて「来襲」したペリー提督の米国艦隊は、大西洋岸のヴァージニア州ノーフォーク海軍基地を1852年11月24日に抜錨し、偏西風に乗って大西洋を横断。南アフリカのケープ・タウン、モーリシャス島を経てセイロン島のコロンボ港に到着。それからベンガル湾を横切り、マラッカ海峡を通過してシンガポール港に入ったのが、翌年1853年3月25日でした。マカオ経由で香港入港が4月6日で、こうして大英帝国が拠点としていた港を伝って日本近海にやって来たのです。そして、太平天国の乱で大騒ぎの上海に立ち寄って、いよいよ5月26日、ペリーがハワイよりも興味を持っていた沖縄本島に到着します。名護湾・運天港・平良湾・金武湾・中城湾などを詳細に測量してから、6月9日に沖縄の次に興味深い小笠原諸島に向かいます。米国からの移民と捕鯨船の寄港状況を4日間に亘って調査してから、また沖縄に引き返して上海から届いた燃料を補給してから、薩南諸島に沿って北上して伊豆半島沖に錨を投げ込んだのが7月7日の夕刻で、翌朝には、単縦陣、総員戦闘配置、速力8ノットで相模湾沿岸を行進して、午後五時に浦賀沖に姿を現したのです。
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