(サンジェルマンデプレの長髪の実存主義者たち)にどれほど憧れたことだろうか。
サルトルに夢中になった頃、サルトルが一番身近な存在だった頃、彼らのことを同時代人だと思い込んでいた。
ある方からDVD「Le Desordre a vingt ans」(思い出のサンジェルマン)を送っていただいて、それを見た。
原案はBoris Vianの「サンジェルマンデプレ入門」。出演者は、Boris Vian, Juliette Greco, Roger Vadim, Jean-Paul Sartre, Simone de Beauvoir, Jean Cocteau等など。実存主義者の穴蔵酒場「タブー」に集まった人々。
それは戦争直後の開放されたParisが産んだ熱狂の焦点だった。40年代の実録映像と、それを60年代の視点で振り返った映像とからなる映画だ。錚錚たる文学者、詩人達が顔を出す。ただそれを除けば、実存主義者達と言うのは、実存主義とは何の関係も無いのだということを改めて認識した。
BarbaraのCheval Blancも、Barbaraはどこかで「BruxellesのL'ecluse」だと言っていたが、むしろBruxellesの「タブー」だったのではないだろうか。
時代も場所も何もかも異なるが、遠くから、あらゆる分野から人が集まったということ、エネルギーに相乗作用があったと言うこと、作られた流行ではなかったこと等は共通だ。
日本で言えば、60年代後半の新宿「風月堂」界隈。もっと客観的に言えば、太陽族や六本木の野獣会の連中に近いような気がする。
リトルマガジン「他人の街」を中心に大阪にもひとつのアンダーグラウンド・カルチャーが存在していたことを思い出す。支路井耕治が次々とイヴェントを企画した頃の大阪にも、さすがに哲学者や、リーダーとなる大作家はいなかったが、詩人を中心としたArtist達の集合としての独自の濃厚なエネルギーはあった気がする。言うまでも無く、サンジェルマンデプレと道頓堀ほどの違いはあったことも確かなのだけれど。
思い出すのも困難なほどに風化してしまった私の中の”あの大阪の仲間達の時代”が、しきりに思い出され、その思い出が映像に何度も被さった。
「タブー」は無くJuliette Grecoもいなかった。なによりその時代を書き留めるBoris Vianがいなかった。風化した時代を振り返って映像化するJacques Baratierもいないのだが。
思うに、カルチャーは常に精神的アウトローによって種を撒かれ、マスコミの扇情と、職業的文化人の理論化によって開花する。
Parisは資本主義的生産本位社会の中にあって、負の要素でしかありえない精神的アウトロー達をも、面白がって抱擁する王者のゆとりを、いつの時代にも有している、と言うことを思い知らされた。
40年代のParisに於いて撒かれたサンジェルマンデプレの種は、68年5月に再び芽を出し、アメリカ合衆国、日本、そして世界へと風媒され、あの前代未聞の全世界的うねりに発展していった、と解釈するのはどうだろうか?
・・・・・追記・・・・・
「思い出のサンジェルマン」のDVDの表紙の上部にある写真の圧倒的美女は一体誰なのだろう。Anne-Marie Cazalisか、若き日のJuliette Grecoか、丸6日ほど調査に時間を奪われているが、日々混乱が増すばかりだ。
混乱の原因は上の写真のように別人とも思える若き日のJuliette Grecoの美貌にある。DVDに於いてAnne-Marie CazalisのキャプションのタイミングがずれてJuliette Grecoの顔に付加されているのも、もうひとつの原因。
・・・・・・・追記:5月17日・・・・・・
Juliette Gréco - Non monsieur je n'ai pas vingt ans :
Juliette Gréco Tribute :