この“只なる実践”の持続は、“真の自分”に
還り着く道です。
言葉を変えて言うならば“人生一番の大仕事”です。
ですから、生半可な気持ちでは途中挫折となります。
それは“真の自分”ではなく、強大なエネルギーを持った、
自分としている「思考自我」だからです。
また「思考自我」は、超コンピユーターの頭脳で
あるのですね。
それが、本来である“真の自分”を一瞬のうちに覆い隠しているのです。
この自分としている「思考自我」を見極めて行けば、
“絶対安心”の境地となるのです。
これは何も難しいことをやっているのではなく、身体から
離れていく『心』を本来のところに置けばいいのですね。
また、あちらこちらに連れ回す私(自我)を消し忘れれば
いいのです。
とにかく眼には見えるものではないので、わかりづらい
から“実践”が必要となってくるのですね。
この“只なる実践”は繰り返し、繰り返し思考無く
やり続けるということです。
やることがなかったら思考無くやらないのです。
つまり「思考自我」を寄せ付けなく、“只!”に“今”に
撤するということです。
ですがこのブログは、その道案内をしているだけで、
そこに連れて行くことは出来ません。
“只、やる!”のは、幻想世界と『おさらば』する気が
起こった人だけです。
ぜひとも事実世界に目覚めて、穏やかな安らぎのある
“絶対安心”の境地を迎えましょう。
還り着く道です。
言葉を変えて言うならば“人生一番の大仕事”です。
ですから、生半可な気持ちでは途中挫折となります。
それは“真の自分”ではなく、強大なエネルギーを持った、
自分としている「思考自我」だからです。
また「思考自我」は、超コンピユーターの頭脳で
あるのですね。
それが、本来である“真の自分”を一瞬のうちに覆い隠しているのです。
この自分としている「思考自我」を見極めて行けば、
“絶対安心”の境地となるのです。
これは何も難しいことをやっているのではなく、身体から
離れていく『心』を本来のところに置けばいいのですね。
また、あちらこちらに連れ回す私(自我)を消し忘れれば
いいのです。
とにかく眼には見えるものではないので、わかりづらい
から“実践”が必要となってくるのですね。
この“只なる実践”は繰り返し、繰り返し思考無く
やり続けるということです。
やることがなかったら思考無くやらないのです。
つまり「思考自我」を寄せ付けなく、“只!”に“今”に
撤するということです。
ですがこのブログは、その道案内をしているだけで、
そこに連れて行くことは出来ません。
“只、やる!”のは、幻想世界と『おさらば』する気が
起こった人だけです。
ぜひとも事実世界に目覚めて、穏やかな安らぎのある
“絶対安心”の境地を迎えましょう。