明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

関東24輩の研修の旅(Ⅱ)・・・⑬

2010-09-15 19:18:16 | Weblog
専修寺の建立について、伝説が伝わっています。
それは、以下の伝説。「親鸞聖人、関東ご教化の最中のできごとです。場所は、下野国の二宮(現在の栃木県真岡市高田)です。
ご教化にお疲れになった聖人は、沼地の高台で野宿されました。そして、夢を見られました。夜明け近くの事です。はるかに上空から声が響きました。『白さぎの 池のほとりに 柳の枝は青く さとりの岩の南に み仏の生まれし国の 種めばえたり』という声でした。聖人は、夢の中で目覚めました。すると目の前に明星童子(みょうじょうどうじ)の姿がありました。そして、明星童子は言われました。『阿弥陀さまは、あなたにお寺をたてる土地を与えられました。先ず、この柳を植え、そして菩提樹の種をまきなさい』と話されました。しかし、親鸞聖人は答えられました。『ここは沼地です。とても無理な相談です』。明星童子は『いや、今にわかります』と言われて、聖人に柳の枝と菩提樹の枝を渡しました。そして、あけの明星輝く東の空に、浄土からのつかいの童子は消えていきました。
夢から醒められた親鸞聖人の周囲は、相変わらず泥池の状態でした。ところが、見る見るうちに水が引いていき、土地が盛り上っていきました。そこで、聖人は柳の枝を植え、菩提樹の種をまきました。この事を聞きつけた人々は各地から集り、お寺をつくり始めました。そして、この地を高田と呼ぶようになり、お寺は専修寺と呼ばれました。」という伝説です。この専修寺建立の伝説にちなんで、現在でも高田本山専修寺では、御影堂(ごえどう)の前には、右に柳の木、左に菩提樹が植えられていますから、注意してお参りしてください。
さて、この専修寺を造営されるために親鸞聖人が住居とされたのが三谷草庵です。車で、10分程の距離。調度、平野部から丘陵に入る入り口にあります。「聖人在世の時代は、ここが中世の街道であり随分と賑わったところではないか」との今井先生の説明。三谷草庵は、後ろの建物。午後4時を過ぎており、おまけに雨降り。カメラ撮影は大変でした。



ここで、一日目の研修は終了。宿泊地の益子町に向かったが、私達は疲労のピーク。バスの中で、たちまちに爆睡状態。運転している仲間の僧侶にはお気の毒でした。しかし、途中で、一大問題が発生。ナビの指示通りにバスは走行していた筈でしたが、砂利の採掘現場に迷い込み立ち往生。あれやこれやと迷ったあげくに、要約にして宿泊場所に到着。一同疲労困憊の状態で到着。ご苦労様でした。


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