富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「クリスマスー世の罪を取り除く神の小羊の誕生」 ルカによる福音書2章1~20節

2018-12-14 22:16:58 | キリスト教

 ↑「羊飼いの礼拝 Adoration of the Shepherds」バルトロメ・エステバン・ムリーリョ   スペインの画家(1668年の作品) ロンドン, Wallace Collection

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

 日本福音教団 富 谷 教 会 週 報

  降誕前第1主日  2018年12月23日(日)    午後4時~4時50分 

         礼 拝 順 序

                   司会 田中 恵子姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 231(久しく待ちにし)

交読詩編   97(新しい歌を主に向かって歌え)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳)ルカによる福音書2章1~20節(新p.102)

説  教  「クリスマスー世の罪を取り除く神の小羊の誕生」  辺見宗邦牧師

祈 祷                 

讃美歌(21) 235()

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏

 礼拝後、牧師館リビングルームで愛餐会を催します。午後5時から6時までの予定です。ご参加ください。

      聖書 ルカによる福音書2章1~20節

  2:1そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。2これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。3人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。4ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。5身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。6ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、7初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

 8その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。9すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」13すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 14「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

 15天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。16そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。17その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。18聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。19しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。20羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

                      本日の説教

    ルカによる福音書は、イエスの誕生をローマ皇帝アウグストゥスの治世の時代として記しています。この政治の枠組みに入れた理由は、イエスがすべての人(世界)のために生れたということを明らかにするためと思われます。当時、この皇帝は「全世界の救い主」と称され、人々から「アウグストゥスの平和」とも言われていたので、イエスこそが真の平和の救い主であることを言い表そうとしているのです。皇帝として彼は、紀元前27年~紀元後14年の間、在位しました。

 当時の世界最大の強者である皇帝は、全領土の住民に住民登録の勅令を出しましたが、それは知らずに神の救いの計画に奉仕することになるのです。皇帝アウグストゥスは、神の意図の道具なのです。ナザレにいたヨセフといいなずけのマリアが、ダビデ王の出身地ベツレヘムに行くことになったからです。旧約聖書の預言(ミカ書5・2)には、ダビデの出生地であるベツレヘムがメシアが生まれる所とされています。彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは出産の日をむかえて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせました。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったので、牛やろばを飼う家畜小屋を宿としました。

    ベツレヘムの町の近郊には「羊飼いの野」があります。羊飼いたちが野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていました。すると突然、主の天使が彼らに近づき、主の栄光が周りを照らしたので彼らは非常の恐れました。救い主誕生の知らせは、宮殿の広間ではなく、野原にいる、貧しく身分の低い者に対して、一番先に届けられたのです。「貧しい人に良い知らせを伝える」(イザヤ61・1)の預言が成就したのです。

    天使は、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」と言いました。「この方こそ、主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるあろう。これがあなたがたへのしるしである」と天使は告げました。「メシア」の原語は「クリストス(キリスト)。「主」の原語は、「キュリオス(主、神)」。「主メシア」は神である救い主、を表します。

   すると、突然、この天使に天の大群が加わり、神を賛美して言いました。「いと高きところには栄光神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と賛美しました。イエスは「御心に適う人に」平和をもたらす者であり、「平和の君」(イザヤ9・5)として旧約の預言を成就する人です。「御心に適う人」とは、制限するのではなく、人類すべてを含むものなのです。「地の上に平和が人類すべてにあるように。神の御心に適う者に」という意味です。

 

「羊飼いへの告知」アブラハム・ホンディウス  オランダの画家アムステルダム国立博物館所蔵(1663年の作品)

  「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と天使たちは歌い、羊飼いたちに平和を告げました。この歌は、イエスがエルサレムに近づいた際に、弟子たちが自分の見た奇跡のことで喜び、神を賛美し始めた歌に反響しています。「主の名によって来られ方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光」(ルカ19・38)と歌っています。「天には平和」とあるように、この平和は神と人との和解による神から与えられる平和です。罪から解放され、神の子とされた人間が、人間相互の平和を実現する幸いな人とされるのです(マタイ5・9)。

    天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったことを見ようではないか」と話し合い、羊飼いたちは、急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てました。

「飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子がしるしである」と、天使が告げました。それはあまりにも貧弱な小さなしるしでした。救い主であられる方は、乳飲み子のすがたで生まれたことによって、私たちと同じまことに一人の人間となられたのです。

 「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」がメシアのしるしであるとは、栄光の神の子としての輝かしい風格を捨て、天上の最も高いところから、わたしたしの罪をすべてを負いうために、地上最も低いところに、最も貧しい、最も卑しい者として生まれた神の御子でした。「飼い葉桶の乳飲み子」は、私たちの罪の贖いのために捧げられる動物の小羊ではなく、罪のない神の御子が完全な贖いとなるために、「神の小羊」となって、神の裁きを受けるために世に来られたことを示すしるしです。しるしとは単なる目印ではなく、神の救いの御業を示すしるしです。ヨハネ黙示録(5・12)では、天使たちが「屠られた小羊」を賛美しています。

   ムリ―リョの1668年の絵(最初に紹介した絵)には、「飼い葉桶の乳飲み子」の前に、足を縛られた小羊が描かれているからです。犠牲として捧げられる小羊です。ムリ―リョはこの絵で、「飼い葉桶の乳飲み子」を、私たちに代わってその罪を贖い、犠牲として捧げられる「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1・29)として表現しています。ムリ―リョは、この絵を描く11年前の1657年頃に描いた絵には、小羊を描きませんでした。

     

「羊飼いの崇拝」バルトロメ・E・ムリ―リョ 1657年頃の作品(プラド美術館)マドリッド・スペイン

 「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2・6-8)

  主の僕は、「苦役を課せられて、…屠り場に引かれる小羊のように…裁きを受けて彼は命を取られた」(イザヤ書53章7節)と預言されていました。キリストは神の身分を捨てて「神の小羊、苦難と僕」となり、人々から排斥され、軽蔑される、貧しい、無力な乳飲み子となって誕生し、その寝床を家畜小屋の飼い葉桶とされたのです。そこにはすでに「十字架の死に至るまで」という「神の小羊」となる道が備えられているのです。クリスマスは天地創造以来の「神の愛」による奇跡と出来事です。世のすべての人の救い主となるこのメシアの誕生を天使たちは賛美しました。

 羊飼いたちは、この「しるし」につまづくことなく、この乳飲み子を迎え入れ、神をあがめ、賛美しながら帰って行きました。この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせました。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思いましたが、信じようとはしませんでした。マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、その意味を思い当てようとしていました。

 乳飲み子は成長し、成人となり、神の福音を宣べ伝え、イエスと共に、神の支配が世に来ていることを、神の国についての教えや、さまざまな癒しの奇跡などを通じて、神の愛を伝え、イエスは父なる神の御意志に従い、贖いの業を全うするメシアであることを告げて、十字架の死を遂げられました。死んで陰府(よみ)にまで下ったイエスは、復活し、昇天し、父なる神と共に、世を支配する方となられました。そのことによって、はじめて私たちの罪があがなわれ、神の子され、永遠の命が与えられ、救われるのです。神は、その独り子をお与えになったほどに、わたしたちをわたしたちを愛してくださいました(ヨハネ3・16)。この御子の御降誕をみ使いたちと共に賛美しようではありませんか。

               

  

ヘンドリック・ド・クレルク(ベルギーの画家)

               エル・グレコ(スペイン)

  

アブラハム・ホンディウス  オランダの画家

    

 

 

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