東北歴史博物館の特別展『日本人とクジラ』を先日見てきた。宮城県には捕鯨基地の鮎川港(石巻市)があり、特別展を博物館のHPではこう紹介している。
「四方を海に囲まれた日本列島に住むわたしたちは、古くから海とのかかわりを持ち、多くの恵みを海から授かってきました。「クジラ」もそうした授かり物のひとつで、その歴史は長く、古くは縄文時代まで遡ることができます。なかでも、宮城県は近代捕鯨の中心的基地をかかえ、クジラとのかかわりの深い地域でした。
「クジラ」は、ある時は食料として、ある時は祭の主役として、またある時は芸術の対象として私たちの暮らしの中の様々な場面にあらわれます。この展示では、日本人とクジラのかかわりを「クジラ文化」と捉え、それを紹介します」
会場の入口にはナガスクジラの椎骨が展示されており、その大きさに圧倒されるが、この椎骨が何対も並んでいるという説明に改めて鯨の大きさに驚かされる。最大級の鯨は全長25~30mにもなり、学校のプールよりもデカいということ。もちろんクジラも様々な種がいて、4m以下のものはイルカに分類されるそうだ。
近代捕鯨の中心的基地のある宮城県人にも関わらず、いかに私が鯨にはまるで無知だったのか、本展でようやく気付かされた。かつて鯨の祖先が陸で暮らしていたことさえ、今回初めて知った。
本展は「生物としてのクジラ」「捕鯨の歴史」「クジラの利用」「描かれるクジラ」の順に構成されており、第1章「生物としてのクジラ」のコーナーには鯨の祖先パキケトゥスの骨格標本(複製)が展示されていた。約5千万年前のものとされるが、ちゃんと4本足があって大きさは子馬くらいなのだ。
『メディア猫の目~石巻かほく』というサイトには特別展の記事があり、上の画像はそこからの借用。このパキケトゥスの骨格標本だけでは、素人目にはクジラの祖先とは到底見えない。
祖先から時代は下り、500~250万年前のクジラの椎骨が展示され、さすがにクジラらしくなっている。この間、どんな進化を遂げたのかは不明だが、少なくとも体型面では人類よりも激変している。
「捕鯨の歴史」は興味深く、考えさせられる内容だった。日本で本格的に捕鯨が始まったのは16世紀以降と考えられており、江戸時代の捕鯨の様子を描いた「古座浦捕鯨絵図」(展示№46、文化6年)の写真は写実的であると同時にどこかユーモラス。赤ふんどし一丁の男たちや大杯で飲んでいる着物姿の人物もいる。意外なことに江戸時代までの宮城県は捕鯨がほとんど行われず、庶民はクジラを食べていなかったという。
日本が開国した背景に、アメリカの捕鯨が大きく影響している。アメリカがクジラの乱獲の果て、日本にまで来たことは案外知られていない。アメリカ捕鯨船の乱獲のため日本近海でクジラが激減、日本のクジラ漁が壊滅に追い込まれている。
解説にはペリー来航時に金華山沖には約700隻、九州方面にはその半数以上のアメリカ捕鯨船がいたとあって仰天した。現代はこの国が反捕鯨の急先鋒となっているが、制海権を握られた国は、何時の時代も海の幸を奪われるのだ。
昭和時代、クジラは学校給食の定番メニューだったし、会場ではクジラの竜田揚げ給食の模型が展示されていた。但し、これは宮城県の出展ではなく、埼玉県学校給食歴史館の借物なのだ。私の小中学校時代(70年代)の給食に、クジラの竜田揚げが出た記憶はない。クジラといえば、せいぜいみそ焼きくらいで、固くて不味かった。そのため生徒の多くは食べず残しており、クジラ肉といえば不味い肉の代名詞だった。
それでも、家で食べるクジラのベーコンは美味しかった。私の父はこれを肴に晩酌することがしばしばあったが、今では小パックに入ったクジラのベーコンは市場でも500円ちかくもする高級珍味になってしまった。母の話では戦時中にクジラの脂身の配給があったそうだが、私にとってクジラ肉とは、今でもベーコンなのだ。震災前の鮎川港を映した動画もあったが、この港は今は釣り好きが集まっている。
私はペリーの来航が捕鯨に関連していたことは存じていました。また、このペリー(マシュー)には兄(オリバー)がおり、兄も弟同様、海軍の軍人でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%BC
この兄ですが、日本では弟ほど有名ではありませんが、郡の名前や軍艦のネームシップ(大抵は1番艦)になるほどの英雄だそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%BC%E7%B4%9A%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88
このOHP級ですが、本国アメリカではすべて退役していますが、台湾等で今も現役だそうです。というのも、この艦級が重武装ではなく、余裕をもたせた設計だから、というのがあるそうです(売却先の国に合わせた装備・運用ができるから、というです)。
我が田舎・高知でも観光でホエールウォッチングがあるのですが、釣り人にとっては釣り船で鯨・イルカ類を見かけると、(鯨等から)お目当ての魚が逃げるので、見かけると有難くはありませんね(汗)。
一時期、手に入りにくくて年末に市場を探し回りました。
高知のどこでもというわけでもないようですが、高知以外でも同じ風習のところはあるようです。
一種の宗教行事なので、欧米人に「クジラを食うな」と言われると「クリスマスに七面鳥を食うな」と言いたくもなります。
『言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ 潮吹く魚が 泳ぎよる よさこい よさこい』
私もペリー来航が捕鯨に関連していたことは存じていました。しかし、地元の金華山沖に約700隻の米国捕鯨船が集結していたことは、特別展で初めて知りました。これでは日本近海でクジラが捕れなくなるのは当然です(怒)。
wikiでペリーの兄が英雄だったことを知りましたが、彼の名にちなんだミサイルフリゲートが台湾等で今も現役だったとは初耳です。さすがMars提督、この種の話題には詳しい。
アメリカ独立戦争のことは知られていても、英米戦争はあまり知られていませんよね。
「多くのインディアン部族が消滅寸前まで虐殺され、領土を奪われて散り散りとなった。インディアンを追いだした広大な土地は、アメリカ植民政府の植民地となった」そうで、代理戦争を戦わされた原住民は哀れとしか言いようがありません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E8%8B%B1%E6%88%A6%E4%BA%89
観光客には好評のホエールウオッチングも、釣りキチには不評だったことも知りませんでした。多くのクジラの餌はプランクトンですが、イルカ類は魚ですからね。直接魚を食べずとも、大量にプランクトンを食べるクジラは、魚の餌を奪っているはず。
高知では大晦日に年越しそばではなく、クジラの煮物を食べる処があったとは知りませんでした。しかも、高知以外にも同じ風習があった??長崎ではおせちにクジラを取り入れているようですね。
http://news.livedoor.com/article/detail/11014889/
ちなみに宮城では御歳取りに、子孫繁栄に縁起が良いと子持ちのナメタガレイ(ババガレイ)の煮物を食べる風習があります。尤も年末になると値段が高騰するため、最近では我が家も含め買わない家庭が多くなっています。カレイ1匹で軽く5千円以上にもなりますから。
カレイを食うなと言う欧米人はいないでしょうけど、食うなと言われれば、意地でも食べたくなるのが人情でしょう。