トーキング・マイノリティ

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大英帝国時代の知識人 その一

2012-10-08 20:53:12 | 読書/欧米史

 デビッド・ジョージ・ホガース(David George Hogarth/1862-1927)という英国人学者の名を知る人は至って少ない。生前は著名な考古学者であり、生国はもちろん欧州でも権威ある東洋学者として知られ、ロンドンの社交界でも高い評価を受けていた。
 だが、死後は忘れ去られ伝記さえないらしい。ホガースの名は彼の教え子で愛弟子でもある人物との関連で出てくる。その教え子こそトーマス・エドワード・ロレンス、所謂“アラビアのロレンス”。ホガース無くしてはアラビアのロレンスは生まれなかったし、彼の人生を概観するだけで大英帝国時代の知識人の考え方が浮かび上がってくる。

 1862年5月23日、ホガースはバートン・アップオン・ハンバーで地元の牧師の息子として産まれた。教育はウインチェスターで受けたが、そこで既に秀才ぶりが評判となった。続けてオックスフォード大学のモードリン学寮に進学、ここで古典に関する学士判定試験で首席、さらに1885年、人文学専攻生として首席となるという、実に優秀な学生だった。
 ロレンスがホガースと出会ったのは17歳の高校生の頃で、当時後者はオックスフォードのアシュモレアン博物館長でもあった。ロレンスがオックスフォード大学一年生の頃、ホガースは45歳となっており、モードリン学寮の評議員だった。

 ロレンスと出会う以前、ホガースは小アジアキプロス、エジプトの考古学的調査を済ませ、アテネのイギリス考古学学院の院長や1897年にはクレタ島、ギリシアとトルコの紛争前夜にはテッサリア(現ギリシア)でタイムズ紙の特派通信員の職務に就いたこともあるという、45歳までに輝かしい経歴を持っていた。
 ホガースはフランス語、ドイツ語、イタリア語、ギリシア語、トルコ語、アラビア語を話せ、当時の英国を代表する知識人であった。広い範囲に亘る問題について、測りがたいほどの知識を持つ文筆家でありながら、必要な時季には行動の人にもなった。名講演者でもあり、他のオックスフォード大学の学者仲間と同じく、社交界で評判をとっていた。もっとも会席で出会った一婦人の述べるところによれば、「皮肉屋で、高等教育を受けたヒヒ」のような印象を与えたという。

 当代きっての学者であり、そちらでは非の打ちどころのなかったホガースだが、私生活面ではおよそ派手とは言えない有様だった。彼は32歳の時、26歳のローラ・アップルビイと結婚したが、すれ違いの多い結婚生活は円満ではなかったらしい。妻は夫の仕事に何の関心もなく、海外に出て度々長期間留守になるため、彼女には息子ほどには親密な関係になかったことが手紙からも知れるという。
 ホガース自身は冷静な気質だったが、妻の理解力不足からくる不安やこらえ性のなさに、気持ちを苛立たせることもあったという。学者によくあるように、ホガースはひとつの目標に精神を集中するという、不必要な空想などしない人物でもあった。

 ホガースにとって、中東は強く感情を惹きつけるものがあり、そこの民衆は彼の本性の中のロマンチックで放埓な本能に訴えるところがあった。その結果、その生活の大部分を現地で過ごし、中東の民衆に関する欧州人の様々な書物を大量に読み漁り、彼らの運命に深く心を傾けた。そのような気質は教え子のロレンスも共通しており、研究者の見解ではロレンスももし戦争がなければ、考古学者として一生を終えたであろうという点で一致している。

 ロレンスが高校時代、考古学者の卵らしく陶器の断片を蒐集していたのも、影でホガースの激励もあった。彼が歴史や文学の書物以外にも夥しい軍事史を読破したのも、単なる軍事オタクというだけでなく実は恩師の勧めもあったのだ。
 ローマの軍政官プロコビウスは正々堂々たる対決戦を避けるための間接的方法の提唱者であり、ゴート族の槍騎兵や洋弓兵の士気を挫いたところのヒット・エンド・ラン式の戦術を述べていたという。ロレンスが後にこの知識を活かしたのは明らかだろうし、ヒジャーズ鉄道へのゲリラ戦による破壊など、ヒット・エンド・ラン式の踏襲としか思えない。
その二に続く

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
もしかすると (LiX)
2012-10-15 20:43:51
こんばんは、
「ヒット・エンド・ラン式の戦術」というのは、「ヒット・アンド・アウェイ式の戦術」のことでしょうか。確かに、ヒットした後、走って逃げることにはなるとは思いますが、野球の戦術の名前になってしまいます。
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RE:もしかすると (mugi)
2012-10-15 22:00:57
>こんばんは、LiXさん。

 実は私は野球に詳しくありませんが、「ヒット・エンド・ラン」の言葉は知っております。そして参考本にも、「ヒット・エンド・ラン式の戦術」と書いてあったので、そのまま引用しました。ロレンスのゲリラ戦も、叩いて(鉄道爆破)去る戦術でした。
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すみません、誤用された日本語でした (LiX)
2012-10-15 22:50:21
ボクシングなどで使われるヒット・アンド・アウェイ(一撃離脱の戦術)は、英語としておかしいようです。すっかり、日本語として定着してしまいましたが。
日本で野球のヒット・エンド・ランとして定着した言葉のhit-and-run の方が、奇襲攻撃やひき逃げという意味であることをさっき知りました。
いや、お恥ずかしい。昔からhitは動詞か名詞で、awayは名詞もありますが、形容詞か副詞だから変だなとは思っていたのですが、思いいたらずに失礼しました。申し訳ありません。
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RE:すみません、誤用された日本語でした (mugi)
2012-10-16 21:28:52
>LiXさん、

 ヒット・アンド・アウェイという言葉がボクシングなどで使われていたとは知りませんでした。検索してみたら、ボクシング以外にも使われているようです。
ttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D2%A5%C3%A5%C8%A5%A2%A5%F3%A5%C9%A5%A2%A5%A6%A5%A8%A1%BC
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