第三世界、殊にイスラム圏で、欧米のダブルスタンダードへの批判は主に3点ある。
・「言論の自由」を謳歌しながら、「ホロコースト」に疑問を持つことを禁止しているのは何故か?
・「ホロコースト否定論」を唱えた者は投獄し、イスラム教への中傷誹謗は、どうして野放しなのか?
・イランの核兵器開発はその「可能性」を攻撃するが、イスラエルの「実質的」な核兵器開発にどうして目をつむるのか?
少なからぬ日本人もアメリカ外交のご都合主義に不信と不快を抱いていると思われるが、自称親米タカ派ブロガーの回答は、その動機と背景が伺え興味深い。
-イスラエルの核も核不拡散の目的から好ましくはありません。しかしながら、「好意的なダブル・スタンダード」ならインドに対しても米欧がやっていることです。結局のところ、核保有がテロとのつながりなど国際社会への脅威につながるか否かが重要です。イスラエルやインドには寛大で危険な国の核保有には厳しく当たる、これはリアリズムの観点からも必要悪です。
また、イスラエルとユダヤ・ロビーの話をことさら大きくとりあげることには疑念を抱いています。そもそも、かなりリベラルな論客やシンクタンクでもその種の陰謀論を積極的に論じたりはしません。
それ以上に、私の人生経験からもその種の議論に乗ろうとは思えません。かつて日本国際ボランティア・センターで重要な地位にあった人から、その手の陰謀論をことさら強調する議論を聞かされ続けました。何度か付き合ううちに、その人はそうした裏街道のような国際情勢認識ばかり振りかざしていてもオーソドックスな国際政治論や世界史の知識が欠けていることがわかってきました。何せこの御仁、ノルマン・コンクウェストを知らなかったほどです。
そうした人物が好んで唱えていたユダヤ陰謀論など決して受け容れないと、すでに私は決心しています。政治の議論は論理だけを追えば良いものではありません。それなら、哲学者になれば良いのです。人生と学識に基づいた価値観によってなすものと考えています。そこから、巷の反イスラエル論など取り上げないと決心したものと理解して下さい。
もちろん、イスラエルのやることなすことを全て是認するなど有り得ません。中国への武器輸出など深刻な問題でした…
アメリカ有識者全てが上記のように考えているのではないにせよ、親米ブロガーがあるシンパの意見をそのまま代弁しているのは明らかだろう。インドやイスラエルのような欧米にテロ行為を働く可能性の極めて低い国に、「好意的なダブル・スタンダード」を取るのは、「リアリズムの観点からも必要悪」であり、問題ないとのことだ。
私はこの回答には、反核平和団体の言い訳との類似性を感じる。中国やロシア、北朝鮮、パキスタンの核は平和目的と容認し、アメリカ、インド(たまに英仏)の核武装を糾弾する輩が概ね反米なのは書くまでもないが、親米派もまたアメリカべったりの居直りには苦笑した。
欧米、殊にアメリカの重要な外交政策のひとつに人権が挙げられる。第三世界の人権状況に口ばしを入れ、訓示と説教を垂れる姿勢にかつての大英帝国の面影を見て取れる。国際政治とは冷酷なもので、道徳倫理さえ外交の具にするのは英米に限らない。しかし、己の国の人権問題は棚に挙げ他国を糾弾すれば、非難された方もまた相手の古傷を暴くものなのだ。イラン知識人により11世紀半ば書かれた『カーブースの書』に、現代も通じる次の教訓が記されている。「自分の不幸を喜ばれたくなければ、他人の不幸を喜ぶな」。
21世紀の現代、最も政治のモットーに倫理を掲げるのはアメリカ。『カーブースの書』の諺を応用するなら、「自分の倫理面を非難されたくなければ、他人の倫理を非難するな」となる。アメリカの政策に何も言えない親米派なら別だが、ダブルスタンダードを露骨に駆使すれば信用を失墜するのは、リアリズムの観点からも自然な成り行き。親米のみならず左派さえも、欧米知識人の見解を疑いなしに受け入れる傾向がある初心な日本人と異なり、第三世界はアメリカのいうところの“国際社会”などマトモに信じない。一昔前、イギリスなどインドその他の植民地に対し、盛んに“国際基準”“国際主義”を強要していたが、実態は「このような国際主義など歪んだイギリス・ナショナリズムに過ぎない」(J.ネルー)ものだった。
その②に続く
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・「言論の自由」を謳歌しながら、「ホロコースト」に疑問を持つことを禁止しているのは何故か?
・「ホロコースト否定論」を唱えた者は投獄し、イスラム教への中傷誹謗は、どうして野放しなのか?
・イランの核兵器開発はその「可能性」を攻撃するが、イスラエルの「実質的」な核兵器開発にどうして目をつむるのか?
少なからぬ日本人もアメリカ外交のご都合主義に不信と不快を抱いていると思われるが、自称親米タカ派ブロガーの回答は、その動機と背景が伺え興味深い。
-イスラエルの核も核不拡散の目的から好ましくはありません。しかしながら、「好意的なダブル・スタンダード」ならインドに対しても米欧がやっていることです。結局のところ、核保有がテロとのつながりなど国際社会への脅威につながるか否かが重要です。イスラエルやインドには寛大で危険な国の核保有には厳しく当たる、これはリアリズムの観点からも必要悪です。
また、イスラエルとユダヤ・ロビーの話をことさら大きくとりあげることには疑念を抱いています。そもそも、かなりリベラルな論客やシンクタンクでもその種の陰謀論を積極的に論じたりはしません。
それ以上に、私の人生経験からもその種の議論に乗ろうとは思えません。かつて日本国際ボランティア・センターで重要な地位にあった人から、その手の陰謀論をことさら強調する議論を聞かされ続けました。何度か付き合ううちに、その人はそうした裏街道のような国際情勢認識ばかり振りかざしていてもオーソドックスな国際政治論や世界史の知識が欠けていることがわかってきました。何せこの御仁、ノルマン・コンクウェストを知らなかったほどです。
そうした人物が好んで唱えていたユダヤ陰謀論など決して受け容れないと、すでに私は決心しています。政治の議論は論理だけを追えば良いものではありません。それなら、哲学者になれば良いのです。人生と学識に基づいた価値観によってなすものと考えています。そこから、巷の反イスラエル論など取り上げないと決心したものと理解して下さい。
もちろん、イスラエルのやることなすことを全て是認するなど有り得ません。中国への武器輸出など深刻な問題でした…
アメリカ有識者全てが上記のように考えているのではないにせよ、親米ブロガーがあるシンパの意見をそのまま代弁しているのは明らかだろう。インドやイスラエルのような欧米にテロ行為を働く可能性の極めて低い国に、「好意的なダブル・スタンダード」を取るのは、「リアリズムの観点からも必要悪」であり、問題ないとのことだ。
私はこの回答には、反核平和団体の言い訳との類似性を感じる。中国やロシア、北朝鮮、パキスタンの核は平和目的と容認し、アメリカ、インド(たまに英仏)の核武装を糾弾する輩が概ね反米なのは書くまでもないが、親米派もまたアメリカべったりの居直りには苦笑した。
欧米、殊にアメリカの重要な外交政策のひとつに人権が挙げられる。第三世界の人権状況に口ばしを入れ、訓示と説教を垂れる姿勢にかつての大英帝国の面影を見て取れる。国際政治とは冷酷なもので、道徳倫理さえ外交の具にするのは英米に限らない。しかし、己の国の人権問題は棚に挙げ他国を糾弾すれば、非難された方もまた相手の古傷を暴くものなのだ。イラン知識人により11世紀半ば書かれた『カーブースの書』に、現代も通じる次の教訓が記されている。「自分の不幸を喜ばれたくなければ、他人の不幸を喜ぶな」。
21世紀の現代、最も政治のモットーに倫理を掲げるのはアメリカ。『カーブースの書』の諺を応用するなら、「自分の倫理面を非難されたくなければ、他人の倫理を非難するな」となる。アメリカの政策に何も言えない親米派なら別だが、ダブルスタンダードを露骨に駆使すれば信用を失墜するのは、リアリズムの観点からも自然な成り行き。親米のみならず左派さえも、欧米知識人の見解を疑いなしに受け入れる傾向がある初心な日本人と異なり、第三世界はアメリカのいうところの“国際社会”などマトモに信じない。一昔前、イギリスなどインドその他の植民地に対し、盛んに“国際基準”“国際主義”を強要していたが、実態は「このような国際主義など歪んだイギリス・ナショナリズムに過ぎない」(J.ネルー)ものだった。
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