トーキング・マイノリティ

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聖戦ヴァンデ その二

2016-01-23 22:10:35 | 読書/欧米史

その一の続き
 革命で国王夫妻を処刑したフランスだが、アンシャン・レジーム体制の頃、国王はフランス国民に深く愛されていた。王が病人の手に触れると病気が治るという「神聖なる治癒者」という信仰もあったという。王が触れて瘰癧の難病がたちまち治ったという証言まであり、王が患者に手を差し伸べている絵画も多数あるそうだ。これは自国には見られないフランス独特の現象として、当時フランスを訪問した英国人旅行者が特記している。
 にも拘らず、バスティーユ襲撃から僅か4年後に国王は処刑された。そして国王処刑の翌年、恐怖政治を強いたロベスピエールテルミドールのクーデターにより、彼の政敵同様断頭台で絶命する。フランスよりも国王を醒めた目で見ていた英国は、現代に至るまで王室が続いている。

 ロベスピエールを心から崇拝する少年ジュリアンは、まさに革命の申し子のような存在。まだ十代半ばから革命運動に身を投じる。彼の両親も熱心に政治活動をしており、ジロンド派だった父に対し、ジャコバン派を強く支持する母。母の名はロザリーといい、ひょっとして作者・藤本ひとみ氏は「ベルばら」からヒントを得たのか?と憶測したくなる。ベルばらにもロザリーというキャラがいたし、ベルばら続編ではロザリーの一人息子は両親の影響で、ジャコバン派寄りという設定になっていた。

 バスティーユが陥落した日、狂喜するパリ市民を横目で見ながらジュリアンはビラにこんな文句を書き綴る。「バスティーユを陥落させたことは、取るに取るに足らない。王座を打倒すべきである」
 このビラがロベスピエールの目にとまり、やがて彼の目指す革命の方針となった。ジュリアンも演説するロベスピエールを見て、完全な虜となる。革命やロベスピエールのためなら命も惜しくない…とまで思うほど。ジュリアンはひたすらロベスピエールに認められ、彼と一体化することを目指す帰依者となった。

 ロベスピエールにその有能さが認められたジュリアンは、まだ18歳にも関わらずロベスピエールの代理人としてヴァンデ鎮圧を命じられる。現地入りしたジュリアンはヴァンデ地方の地図を見据えつつ、議員や将軍に向かい、こう言い放つ。
この農村地帯。ヴァンデ軍に兵を提供し、彼らを憩わせ、休ませ、食べさせるこの土地、彼らが地形を熟知し、戦いを有利に展開できるこの地方全体が、彼らを擁護しているのです。よって彼らを殲滅し、この戦いを終わらせるためには、現在展開中の局地戦をすべて放棄し、兵を集結させて、まずシャティヨンの奪回、次にショレの攻略。
 そしてこれらに並行させながら森林と農村部の徹底的な破壊、さらにヴァンデの兵となりうるすべての男性とそれらを生み育てるすべての女性の殺害。以上が必要です

 顔色も変えずにさらりと言うジュリアンに、議員や将軍たちは言葉を失う。革命の完成を阻む反徒は、命にかけても絶滅させねばならなかった。1793年8月、そして国民公会は革命政府軍にヴァンデの破壊命令を出す。ジュリアンの提言通り革命政府軍は森林、畑、家、教会を荒らし、現地の人間を無差別に殺害した。キリスト教を弾圧した革命政府軍だが、そのやり方は聖書そのままなのだ。
すなわちあなたの神、主が彼らをあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らとなんの契約をもしてはならない。彼らに何のあわれみをも示してはならない」(申命記7:2)

 上記の“彼ら”とは敵対する異教徒を指しているが、これを「反革命分子」に置き換えればそっくり当てはまろう。神はロベスピエールや国民公会でもいい。
 尤もジュリアンはヴァンデ鎮圧を命じられたといえ、最前線で血刀を振るったわけではなく、ただの1人も殺してはいない。このような過激な思考をする若者が出現するのは、フランス革命に限らない。共産主義だが20世紀の文化大革命時の紅衛兵、カンボジアのクメール・ルージュなどの若者たちも、「反革命分子」の殲滅こそが至上命題となった。
その三に続く

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