4年程前2ちゃんねるをしていた頃、やけに議論をしたがる者が日本史、世界史板にいた。とかく他の2ちゃんねらーに議論を吹っかけ、論破することに生き
甲斐を感じているとしか思えない人物。議論をしたがるのは自由だが、議論となれば必ず相手が必要とされる。だが、その類は相手への配慮に極めて欠けるタイ
プだった。
議論大好き2ちゃんねらーの特徴は①まずレスが長文、連続カキコ②「~するのが筋」「議論のマナーはこうだ」③己の意見への 異論、反論にはナーバスな反応を示し、長い反論エンドレス…というところだった。己の掲示板でもないのに異様に長いレスを繰り返すくらい独り善がりで身勝 手な行為もないのだが、「私は一生懸命書いているのだ」「私はこれだけ書いている」と自慢と正当化。この類は自分のカキコに反応しない者を怠慢で身勝手、 議論に値しない、無責任と決め付ける。そして②の例のようにスレッドを仕切りたがり、議論の作法を指示する厚かましさ。反論といえ、「~とは限らない」 「こういう点もある」程度の指摘でも、すぐ批判されたと被害妄想反応を示し、こじ付けやすり替えに熱中する神経症ぶりを露わにする。
2ch に集う目的は人それぞれだろう。議論をしたい者も入れば、単にロムってカキコを見るだけの者、情報収集、ストレス解消の趣味、議論よりも単に「お喋り」を 楽しみたい者…にも係らず議論願望者は議論がなければ、2chの持つ意味も意義もない、とばかり粘着する。この人々は自分がそうでも他人も同じとは限らな い、という単純な事実さえ分かっていない幼稚性。意気込んで長文レスをするものの、知識披露と知識自慢をしたいのは明らかで、それ自体は構わないが、自分 のお株を奪うレスは許さない。
もちろん2chは玉石混同だから議論願望者のような者ばかりではない。世界史板常連の名無しさんに素晴ら しい方がいた。知的で楽しいレスをする彼には色々なことを教えられ、とても参考と勉強になった。ある時、その名無しさんは「ニュース速報板」をこう表現し ていた。「あれは2chで最もひどい粘着香具師の巣窟だ」。私はそれまで「ニュー速」を見たことがなかったが、彼のカキコを見て、決してあの板はロムしないと決めた。いつのまにか名無しさんは2ch世界史板にカキコしなくなり、私も2chから足が遠のいた。議論願望粘着香具師は相変わらず意気軒昂だったが。
2ch 世界史板にある時、「おまいら、世界史が趣味で虚しくないか?」というスレッドがたった。私は一度ロムしただけだが、「このスレ立てたお前こそ、世界史が 趣味なのだろう」と私が感じた感想が書き込まれていた。虚しいくらいなら大抵カキコはもちろんロムさえしないものだが、スレッド主はどうも違うらしく、お まいらのやっているのは自己満足の虚しい自慰行為に過ぎない、もっと有意義な議論を、とぶっていたので、ああ、やはり議論願望粘着君かと思った。ネットは 趣味でやるものであり、楽しくなければする意味がないと考えている私には、この類には嫌悪と侮蔑しか感じない。
精神科医のなだいなだ氏はネット依存症に関して所見を書いていたが、依存症の一つに「コミュニケーション中毒タイプ」 を挙げている。これは掲示板やHPに絶えず書き込みを繰り返す者、ニュース情報を集めたり、議論で全てが解決できると思い込んで、掲示板などに何度も投稿 する者が含まれる。これだけレスをするなら膨大な時間と労力を消費しているのだが、当人は精々首が凝った程度にしか感じてないらしい。彼らがこうした行為 を繰り返すのは、その名の通りコミュニケーションを切望しているからだとか。そう言われれば、2chに見られる議論香具師がまさに当てはまる。ただ、ネッ トに膨大な時間が消費できるとは、かなり暇人なのは確実だろう。
他人には尊大に高邁な理想を求めながら、己自身は全く律せず、やたら説 教と長文レスばかり示すようでは、2chに限らずネットでは誰にも相手にされなくなる。これは現実社会と同じで、付き合って楽しくない者を誰が相手にする だろう。議論香具師はそれさえ気付かず、他山の石とする精神が皆無なのだ。当人はこの上ない知的作業と称しているから救いようがない。議論と称して他人に 執拗に絡んでは、その自我肥大さで相手を辟易させる。知的職業に就くことを望んでも、その力量もない者が知識人のフリの出来るのがネットの世界。現実社会 では社会不適応者であっても。
◆関連記事:「ネット依存症」
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議論大好き2ちゃんねらーの特徴は①まずレスが長文、連続カキコ②「~するのが筋」「議論のマナーはこうだ」③己の意見への 異論、反論にはナーバスな反応を示し、長い反論エンドレス…というところだった。己の掲示板でもないのに異様に長いレスを繰り返すくらい独り善がりで身勝 手な行為もないのだが、「私は一生懸命書いているのだ」「私はこれだけ書いている」と自慢と正当化。この類は自分のカキコに反応しない者を怠慢で身勝手、 議論に値しない、無責任と決め付ける。そして②の例のようにスレッドを仕切りたがり、議論の作法を指示する厚かましさ。反論といえ、「~とは限らない」 「こういう点もある」程度の指摘でも、すぐ批判されたと被害妄想反応を示し、こじ付けやすり替えに熱中する神経症ぶりを露わにする。
2ch に集う目的は人それぞれだろう。議論をしたい者も入れば、単にロムってカキコを見るだけの者、情報収集、ストレス解消の趣味、議論よりも単に「お喋り」を 楽しみたい者…にも係らず議論願望者は議論がなければ、2chの持つ意味も意義もない、とばかり粘着する。この人々は自分がそうでも他人も同じとは限らな い、という単純な事実さえ分かっていない幼稚性。意気込んで長文レスをするものの、知識披露と知識自慢をしたいのは明らかで、それ自体は構わないが、自分 のお株を奪うレスは許さない。
もちろん2chは玉石混同だから議論願望者のような者ばかりではない。世界史板常連の名無しさんに素晴ら しい方がいた。知的で楽しいレスをする彼には色々なことを教えられ、とても参考と勉強になった。ある時、その名無しさんは「ニュース速報板」をこう表現し ていた。「あれは2chで最もひどい粘着香具師の巣窟だ」。私はそれまで「ニュー速」を見たことがなかったが、彼のカキコを見て、決してあの板はロムしないと決めた。いつのまにか名無しさんは2ch世界史板にカキコしなくなり、私も2chから足が遠のいた。議論願望粘着香具師は相変わらず意気軒昂だったが。
2ch 世界史板にある時、「おまいら、世界史が趣味で虚しくないか?」というスレッドがたった。私は一度ロムしただけだが、「このスレ立てたお前こそ、世界史が 趣味なのだろう」と私が感じた感想が書き込まれていた。虚しいくらいなら大抵カキコはもちろんロムさえしないものだが、スレッド主はどうも違うらしく、お まいらのやっているのは自己満足の虚しい自慰行為に過ぎない、もっと有意義な議論を、とぶっていたので、ああ、やはり議論願望粘着君かと思った。ネットは 趣味でやるものであり、楽しくなければする意味がないと考えている私には、この類には嫌悪と侮蔑しか感じない。
精神科医のなだいなだ氏はネット依存症に関して所見を書いていたが、依存症の一つに「コミュニケーション中毒タイプ」 を挙げている。これは掲示板やHPに絶えず書き込みを繰り返す者、ニュース情報を集めたり、議論で全てが解決できると思い込んで、掲示板などに何度も投稿 する者が含まれる。これだけレスをするなら膨大な時間と労力を消費しているのだが、当人は精々首が凝った程度にしか感じてないらしい。彼らがこうした行為 を繰り返すのは、その名の通りコミュニケーションを切望しているからだとか。そう言われれば、2chに見られる議論香具師がまさに当てはまる。ただ、ネッ トに膨大な時間が消費できるとは、かなり暇人なのは確実だろう。
他人には尊大に高邁な理想を求めながら、己自身は全く律せず、やたら説 教と長文レスばかり示すようでは、2chに限らずネットでは誰にも相手にされなくなる。これは現実社会と同じで、付き合って楽しくない者を誰が相手にする だろう。議論香具師はそれさえ気付かず、他山の石とする精神が皆無なのだ。当人はこの上ない知的作業と称しているから救いようがない。議論と称して他人に 執拗に絡んでは、その自我肥大さで相手を辟易させる。知的職業に就くことを望んでも、その力量もない者が知識人のフリの出来るのがネットの世界。現実社会 では社会不適応者であっても。
◆関連記事:「ネット依存症」
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確かに「コミュニケーション中毒タイプ」は困りものなのですが、逆にこれは、現代の人間関係のコミュニケーションの様子を反映しているかと思います。
私が大学生・大学院生の頃ですら、真面目な議論は避けられ、軽い話題が好まれていました。時々、無性に真面目な話題を他人と意見交換したくなったので、こんな人間関係、楽かもしれないけど不毛だな、と孤独を感じたものです。今や多くのブログができ、いろんな意見を知ったり、意見交換も可能になって、ネット社会のありがたさを痛感しています。
ご指摘の例はかなり驚嘆でわかりやすいのですが、線引きは時に難しいです。
私もあるブログ主に「議論と称して他人に執拗に絡む」と思われた節があります。ややショックでした。
しかし、私からすれば、そのブログ主こそ都合の悪い質問は無視してる、冗談で済ましている、と感じたのです。その人のブログのコメント、軽いのりで同調するものばかりで、私はここにもまた大学時代のコミュニケーションのタイプを見た思いでした。
ブログは家のようなものでもあり、私は訪問者にすぎないから、ホストへの礼儀を忘れず、と思う半面、公開して書くなら、発言に責任を持ってほしい、と思ったこともあります。
尊大な態度とか粘着質とか、人によってはそう感じられるし、別の人にはそうでないかもしれません。私には判断がとても難しく、ブログ主の反応から、このくらいは言える人、と判断していますが、時には不毛という感覚を持つことがあります。
これは批判ではなく、こういう考えの人間もいる、ということをわかっていただきたく、コメントいたしました。
「ご指摘の例はかなり驚嘆でわかりやすいのですが、線引きは時に難しいです。」
の「驚嘆」は、「極端」です。失礼いたしました。
拙ブログを読まれて頂いてありがとうございました。
アルコール同様ネットをする者全てが依存症になるわけではないので、「コミュニケーション中毒タイプ」はごく一部でしょう。ただ、その類は他人よりも自分自身を壊している。溺れるのは何かに強い不安があるから、現実逃避するのだと思います。
私の学生時代も同じく軽い話題が好まれていましたね。ヘビーな話題を挙げれば仲間から浮いてしまいますから、やはり周囲にはそれなりに合わせないと。これがネットの世界ならマイナーな話題でも公言出来る。職場の同僚を捕まえて、興味のない話題を持ちかけることは到底出来ないので、そこがネットの良さです。
仰るとおり、明快な線引きは難しい。しかし、一ブロガーからの弁明になりますが、発言に責任を持つのは基本ですが、実際にはネットに限らずマスコミ、政治家、文化人、教職者までが発言には無責任、他に責任転嫁ということも珍しくない人間社会です。発言に責任を取らないのは人間の悪い性ではないか、と私は思ってます。
発言に責任を持つ人が讃えられるというのは、逆にない者が多数となりますね。
このような事を書くといい加減な、と思われるかもしれませんが、君子など滅多にいないし、人のことをとやかく言うのが人間です。ブロガーも様々います。
>ブロガーも様々います。
そうですね、普段の付き合いでもさまざまな人がいて、その中から、議論できる人、流したらいい人と自分でも分けていますね。
ただ、最初の頃、ネットは双方向性(対話)を支えるもの、と思っていたのですが、今はかなり疑問です。
お互い疑問とか意見を言い合うことで、考えの幅を広げていけるのでは、と思っていました。しかし、現実には、お互いが自己弁護になって歩み寄りがないとか、失望してブログを見なくなるとか(それでも別にいいのですが)。また、逆に、誠実に答えようとしたら、一日中ブログにはりついていなければならないかもしれません。それは困った事態ですから、ほどほどでいいのかもと思います。
ただ、振り返ると、考え・知恵を対話を通し共に構築していくということを、学校教育で訓練してこなかったので、結局、お互い言いたいことを言うだけになったり、影で仲間と自己弁護したりしているのかも、と思います。それが人間の性かも知れませんが。
前にも書きましたとおり、身近の人と議論できないことも、仲間を見つけやすくなった、という点で、やはりネット社会に感謝しています。
ありがとうございました。
またもブロガーの弁明で恐縮ですが、ブログを立ち上げた以上アラシや異論反論がくるのは覚悟はしています。批判を受けるのも予想はつきます。ただ、時には不快なコメントもあるのは確かで、「このように書くのは如何なものか」「~するべきです」と言われると、こちらもそれならキミもブログをやってみたら、と内心思いますね。キミの為に書いているのではない、と。
「公式の場で書くなら、発言に責任を取るべきだ」というなら、コメントした者も全く同じなのに、自らはブログを立ち上げもしないでお気楽なものだ、と感じることもあります。
ブログで収入を得ているなら話は別ですが、殆どのブロガーは他にも家庭や仕事もあり、ネットに専念している訳にもいかない。
「議論の作法」などとぶち上げている者は、自ら議論の対象者を狭めている。人はまず雑談などで心を開くのだから、いきなり紋切り型で望まれると、敬遠されるようになるのではないでしょうか。他人との場の取り方は、現実社会でもネットでも同じだと思います。
コメントが長くなってはいけないと思いつつ、あと一つだけ質問させてください。「…コメントした者も全く同じなのに、自らはブログを立ち上げもしないでお気楽なものだ…」
私は自分のブログを持っていません。自分の性格(内向的・自分をさらけ出す(?)のに躊躇。ゆえに自分の生活を描いた日記帳風のブログは読めない。コメントするのに矛盾かもしれませんが。)や、自分の文章力では、わかりやすく書くのに何度も推敲が必要で時間がとられる、性格からしてそんなに頻繁に書かないだろうから、なんだか、サーバーのブログのスペースの無駄、という気もすること等です。お気楽かもしれませんが、時たま自分が本当に疑問に思っているトピックを見つけた時は、コメントしたくなります。特に、日記ではなかったり、何か問題を論じている場合、書き手も何らかの反響を期待しているのではないかと思ったり、書き手が何かを批判している時、こういう見方もありませんか? というのは、迷惑なのでしょうか?
十人十色なので、人の数だけ様々なブログがありますね。
毎日更新(しかも記事も充実している)されている方もあれば、たまに気が向いた時に書く人。人それぞれで構わないと思います。別にブログで金をもらうものではないから、面倒ならやる必要もない。私の場合ネットは情報閲覧と安上がりの趣味に過ぎません。
もちろんブログは読まれてナンボのサイトなので、反応があってうれしくないブロガーなどいないでしょう。
しかし、やはり内心は批判より褒められる方がうれしいのは情けない凡夫の性なのです。そもそも才能がある人は無名のブロガーなどやってませんよ。本好きでも作家になれる方など、ごく僅かです。
私が見た限り、ネット上でギロンギロンという者に限って、実は自分の見方に反する意見を出されると、キレやすい者が多い。