『スキャンダルの世界史』(海野弘著、文藝春秋)を先日面白く読了した。文字通り、古代ギリシア・ローマ時代から20世紀末までの英雄や有名人のスキャンダルを扱った作品。“世界史”と銘打っていても、この本で取り上げられているのは欧州史で、近代以降は米国史上のスキャンダルも列記されている。そのため内容からは「スキャンダルの欧米史」が相応しいタイトルかもしれない。
本の中で最も私の関心を引いたのが、第三章の「英国貴族の爵位売ります」。1920年代はじめ、英国貴族の爵位が金で取引されるというスキャンダルが起きた。金さえ出せば、貴族になれるということ。爵位を売っていたのこそ誰あろう、首相のロイド・ジョージであった。
ロイド・ジョージは1863年、マンチェスターで中産階級の子として生まれた。幼くして父を亡くし、小学校卒業後は弁護士事務所で書生として働いた体験もある。英国で初めて庶民から首相に登りつめたと言われる所以である。彼の生まれた19世紀は地主貴族が政治を支配する時代だったが、第一次世界大戦後、英国貴族は既に斜陽階級となっていた。
生い立ちもあるのか、ロイド・ジョージにとっては貴族は過去の遺物であり、売れるならば、それで政治資金を作るのに、何のためらいもなかった。彼は1918年から1922年にかけて爵位を乱発、その謝礼で政治資金をつくる。
ロイド・ジョージは自由党員として政治活動を開始、同党員のアスキスが首相となった1908年、彼は大蔵大臣となる。ロイド・ジョージは軍艦の建造費と老齢年金を富裕な地主貴族への増税で賄うという予算案を出すも、上院(貴族院)は否決する。アスキスは一時的に多数の貴族をつくって上院に送り込み、予算を可決する、と脅したため、上院はしぶしぶ予算案の拒否権を諦めた。アスキスは脅しだけだったが、これを後にロイド・ジョージが実行したのはアスキスのやり方を参考にしたのだろうか。
第一次世界大戦が始まり、ロイド・ジョージは軍需大臣となった。大戦中の1916年、アスキスは彼の戦時政策に批判的なロイド・ジョージや閣僚たちによって首相辞任に追い込まれ、ついにロイド・ジョージが首相に就く。ロイド・ジョージは戦時内閣をつくり、チャーチルを軍需大臣とした。
大戦後の1918年、ロイド・ジョージは改めて戦後内閣を組閣した。自由党はアスキス派とロイド・ジョージ派に分裂していたため、彼は保守党と連立を組まねばならなかった。そのため自由党の中で、アスキス派とは別の彼独自の政治資金をつくる必要があった。
1922年、希土戦争が勃発する。ロイド・ジョージはギリシアを支持し、保守党は対照的にトルコを支持した。保守党は自由党との連立を拒否したため、ロイド・ジョージ内閣は終わりを迎える。
ロイド・ジョージが首相辞任に追い込まれたのは、一般にこの戦争が原因だと思われている。しかし、その裏には売爵スキャンダルがあったのだ。保守党が一旦は自由党のロイド・ジョージと組んだのは、労働党の躍進を恐れてのことだった。中間の自由党が崩壊すれば、労働党が圧勝する可能性があり、だからこそ自由党のロイド・ジョージに労働党を抑えさせようとしたのだ。だが、ロイド・ジョージが安易に爵位を売って貴族を量産していることは、地主貴族から成る保守党に不安を与えた。
トルコのベストセラー小説『トルコ狂乱』は希土戦争を描いた作品である。この作品でロイド・ジョージは冷酷な帝国主義者として徹底的な悪役とされている。ただ、この小説の中では彼の売爵スキャンダルのことは全く触れられておらず、海野氏の著作で私は初めて知った。トルコの民族自決と壮絶な独立戦争のため、ロイド・ジョージの野望が打ち砕かれたのは事実だが、彼にダメージを与えたのは肩入れしたギリシアの敗北よりも国内のスキャンダルだったようだ。
その二に続く
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売官は聞いた事ありますが爵位も買えたんですね。
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売官はフランスでも行われていたそうですが、英国貴族の爵位もカネさえあれば買えたというのは驚きました。確かに政治家にとっては、地主貴族より資金になりますから。