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大用、現前するとき、軌則を存せず

凱旋門賞いろいろ

2006-09-14 21:53:45 | 競馬日記
凱旋門賞についていろいろ思い出せないこともあったので、整理してみました。

1.凱旋門賞を勝ったダービー馬(勝った年)
Sea Bird(1965年)、Mill Reef(1971年)、ラムタラ(1995年)、Sinndar(2000年)
ダービーからの直行で勝った馬はいません。4戦目で凱旋門賞を勝ったラムタラですら、あいだにKジョージを使っています。Sea Birdはサンクルー大賞典以来でした。
Sir Percyはどうでしょうか。

2.凱旋門賞連覇
Ksar(1921、1922年)、Corrida(1936、1937年)、Tantieme(1950、1951年)、Ribot(1955、1956年)、Alleged(1977、1978年)
86年の歴史(2回の中止を含む)で5頭だから案外多いですが、最後の達成から30年近く経っています。

3.凱旋門賞を勝ったセントレジャー馬
セントレジャーを勝った年(すなわち3歳時)に凱旋門賞を勝った馬はいません。
Nijinskyが凱旋門賞で負けて以来、有力馬がセントレジャーを避けるようになったこともおおきいでしょう。Sixties Iconは歴史を作れるでしょうか。
両方とも勝った馬であれば、Ballymossは1957年にセントレジャーを勝ち、翌1958年に凱旋門賞を勝ちました。

4.Kジョージを勝って凱旋門賞を勝った馬
Ribot(1956年)、Ballymoss(1958年)、Mill Reef(1971年)、ダンシングブレーヴ(1986年)、ラムタラ(1995年)
両方とも勝った馬ならばMontjeu(1999年凱旋門賞、2000年Kジョージ)もいます。2回目の凱旋門賞は4着でした。凱旋門賞→Kジョージ→凱旋門賞を達成したのはRibotのみ。
Montjeuの子、Hurricane Runはどうでしょうか。

5.ブリーダーズカップと凱旋門賞を勝った馬
該当なし。ピルサドスキーは1996年凱旋門賞2着、BCターフ1着、1997年凱旋門賞2着でした。これが一番惜しいケースでしょう。

6.牝馬の勝利
Pearl Cap(1931年)、Samos(1935年)、Corrida(1936、1937年)、Coronation(1949年)、La Sorellina(1953年)、サンサン(1972年)、Allez France(1974年)、Ivanjica(1976年)、Three Troikas(1979年)、Detroit(1980年)、Gold River(1981年)、Akiyda(1982年)、All Along(1983年)、Urban Sea(1993年)
14頭による15回の制覇があります。牝馬の勝てないレースではありません。古馬の勝利も7回(6頭)あります。


Sir Percy、Sixties Icon、Shirocco、Hurricane Run、ディープインパクト。全て歴史的偉業に挑戦します。

パリ大賞典、仏ダービーからの参戦についても調べようと思ったのですが、施行条件が変わっているのでやめました。

Racingpost.co.ukのエンターページの写真がディープインパクトでした。“The wrap come off Deep Impact”という見出しでした。ベールを脱いだディープインパクト、って感じでしょうか。ロンシャンでの追い切りについて、大きな記事になっていました。タイムは6ファロン72秒(スポニチ記事)。9/7にロンシャンで行われたGIIIバン賞(1400m)の勝ち時計が1分22秒7。まさしく実戦さながらですね。
報知新聞はracingpostのレスポンド・ストーンハム記者がシビアな見方をしていたと伝えていますが(記事)、報道陣が現地の人の対抗心を煽ってしまうことがしばしばあるので、騒がずそっとしておいてあげて欲しいです。フランスRTLの実況アナ、ベルナール・グラス氏が「他の騎手との駆け引きなど戦略勝負が大きい」と語ったと報知は伝えています。戦略勝負はメディアを巻き込んで行われるものであり、レスポンド・ストーンハム記者がracingpost記事中で、ホワイトマズルに騎乗した凱旋門賞ではその乗り方が正しかったか論争を招いた、ってなことを書いてるのは、単なる事実の指摘だけではなくて、伝統あるヨーロッパによる新興国に対する揺さぶりの意味や、新興国蔑視の意味も含んでいるでしょう。単純に武豊を評価するのであれば、シーキングザパールでモーリスドギース賞を勝ったり、アグネスワールドでアベイユドロンシャン賞、ジュライCを勝ったりしたことも評価対象になるでしょう。ファーブル厩舎所属のスキーパラダイスに乗ってムーランドロンシャン賞を勝ったこともありました。このときは大胆な脚質転換で追い込んだんでしたっけ。これらは特に言及されることなくグループ1のレースを54回勝った、という一言の中に簡単にまとめられています。また報知記事中ベルナール・グラス氏の「武にとってはジョッキーとしての資質が試される」という言葉自体、豊に対する揺さぶりでしょう。
ディープには彼らの価値観をひっくり返してやって欲しいです。


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