マイク・リー監督の最新作。女性の視点で堕胎という深刻な問題を扱っている。切り口はいろいろあるが、私は”ヴェラの行為”に焦点を当ててみた。
ヴェラ・ドレイク
1950年ごろのイギリスでは、1861年に制定された人身保護法により、堕胎が禁じられていた。もちろんわが国では合法化されていたが、イギリスでは1967年まで非合法だった。
そんな中、1929年に、「医師が認めた場合のみ合法とする」と改正されたが、手術費は高額で、貧乏人はヴェラのような非公認の施術をする人に頼るしかなかった。本作の中でも、家政婦であるヴェラの勤務先の金持ちの娘は、強姦されて身ごもったが、大金を払って医師の手術を受けている。
いつの世でも、さまざまな事情により、望まぬ妊娠をする 女性は後を絶たない。近年、諸外国では、バックラッシュにより、堕胎の合法化に反対する人が多数いるようだが、堕胎をすることに罪意識を抱かない女性はほとんどいないといってもよいのではないだろうか。堕胎をした後、体の不調を訴える人が多いのは、生理的にも精神的にもダメージが加わるからである。
当時のイギリスでは、堕胎した女性は、神や生命に対してだけでなく、法に対する罪意識も重なって、精神的に十分裁かれていた。発覚すると、男性の作った法により二重に裁かれるのである。
ヴェラはなぜ、家族に内緒で施術を行っていたのだろうか?
彼女はかつてそんな苦しい経験をしたことがあったのだ。だから、同じ境遇にある女性の心と体の負担を少しでも軽くしてあげて、女性一般の置かれている悲惨な状況を何とか打開したいと思ったのである。無報酬で奉仕していたところに、その願いの強さが表れている。
彼女の、針やフックを使わない原始的な方法とやさしい言葉づかい、さりげない態度に、どれだけ多くの女性が救われたことだろう。
人はいつも誰かに認められたいと思っている。私という人間はどこか他の場所、誰か他の人のためにも存在しているからだ。人は歴史の手段として埋没してしまうのではなく、その存在に創意を取り入れ、お互いに認め合う世界を創りたいと思ったとき、その人の本当の飛躍がある。
ヴェラも平和で幸せな家庭を愛してはいたが、安住を望んではいなかった。困っている女性たちを救うことで、世界と繋がっていたかったのだ。いつかは処罰を受けるだろうということは、暗黙のうちに了解していたはずである。
その日が来たとき、ヴェラの家庭の中に、歴史が錯綜した形で侵入し、公私の境界が攪乱された。それはとりもなおさず、”家庭的なことは、政治的なこと”として、家族をはじめ多くの人々に、堕胎について考える契機をもたらしたのである。
家族に内緒、匿名、無報酬 ・・・。この目立たなくする行為のなんと美しいことよ。
まるで芸術のような美しいイメージで、家父長制社会に異議申し立てを突きつけている。彼女は、自分に身近な世界から、自分の政治的役割を、目立たせずにかつ明白に表現していたのである。
ヴェラの行為は正義に基づくものだからこそ美しい。正義は予測不可能な展望。あらかじめ計算されたものではない。いつ処罰される日が来るのか分らないが、家族にも知らせず、人助けのために違法行為を繰り返す・・・。彼女の心中はパラドックスで麻痺していたのではないだろうか。
しかし、正義は法を改善するための原動力である。 彼女の行為は多くの人々の心を動かした。中でも警察の扱いは特筆ものである。
堕胎を合法化することは、世の流れだった。そうでなければ女性の犠牲者は増えるばかりだ。家庭の平和を犠牲にしたヴェラのような存在が、世界を変えていくのである。
主役の女優イメルダ・スタウントンの 演技のすばらしさ。加えて作品全体を包んでいる空気感のやわらかさ。重厚でありながら、爽やかな感動を与えてくれる、必見の1本だ。 ★★★★★(★5つで満点)
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1950年ごろのイギリスでは、1861年に制定された人身保護法により、堕胎が禁じられていた。もちろんわが国では合法化されていたが、イギリスでは1967年まで非合法だった。
そんな中、1929年に、「医師が認めた場合のみ合法とする」と改正されたが、手術費は高額で、貧乏人はヴェラのような非公認の施術をする人に頼るしかなかった。本作の中でも、家政婦であるヴェラの勤務先の金持ちの娘は、強姦されて身ごもったが、大金を払って医師の手術を受けている。
いつの世でも、さまざまな事情により、望まぬ妊娠をする 女性は後を絶たない。近年、諸外国では、バックラッシュにより、堕胎の合法化に反対する人が多数いるようだが、堕胎をすることに罪意識を抱かない女性はほとんどいないといってもよいのではないだろうか。堕胎をした後、体の不調を訴える人が多いのは、生理的にも精神的にもダメージが加わるからである。
当時のイギリスでは、堕胎した女性は、神や生命に対してだけでなく、法に対する罪意識も重なって、精神的に十分裁かれていた。発覚すると、男性の作った法により二重に裁かれるのである。
ヴェラはなぜ、家族に内緒で施術を行っていたのだろうか?
彼女はかつてそんな苦しい経験をしたことがあったのだ。だから、同じ境遇にある女性の心と体の負担を少しでも軽くしてあげて、女性一般の置かれている悲惨な状況を何とか打開したいと思ったのである。無報酬で奉仕していたところに、その願いの強さが表れている。
彼女の、針やフックを使わない原始的な方法とやさしい言葉づかい、さりげない態度に、どれだけ多くの女性が救われたことだろう。
人はいつも誰かに認められたいと思っている。私という人間はどこか他の場所、誰か他の人のためにも存在しているからだ。人は歴史の手段として埋没してしまうのではなく、その存在に創意を取り入れ、お互いに認め合う世界を創りたいと思ったとき、その人の本当の飛躍がある。
ヴェラも平和で幸せな家庭を愛してはいたが、安住を望んではいなかった。困っている女性たちを救うことで、世界と繋がっていたかったのだ。いつかは処罰を受けるだろうということは、暗黙のうちに了解していたはずである。
その日が来たとき、ヴェラの家庭の中に、歴史が錯綜した形で侵入し、公私の境界が攪乱された。それはとりもなおさず、”家庭的なことは、政治的なこと”として、家族をはじめ多くの人々に、堕胎について考える契機をもたらしたのである。
家族に内緒、匿名、無報酬 ・・・。この目立たなくする行為のなんと美しいことよ。
まるで芸術のような美しいイメージで、家父長制社会に異議申し立てを突きつけている。彼女は、自分に身近な世界から、自分の政治的役割を、目立たせずにかつ明白に表現していたのである。
ヴェラの行為は正義に基づくものだからこそ美しい。正義は予測不可能な展望。あらかじめ計算されたものではない。いつ処罰される日が来るのか分らないが、家族にも知らせず、人助けのために違法行為を繰り返す・・・。彼女の心中はパラドックスで麻痺していたのではないだろうか。
しかし、正義は法を改善するための原動力である。 彼女の行為は多くの人々の心を動かした。中でも警察の扱いは特筆ものである。
堕胎を合法化することは、世の流れだった。そうでなければ女性の犠牲者は増えるばかりだ。家庭の平和を犠牲にしたヴェラのような存在が、世界を変えていくのである。
主役の女優イメルダ・スタウントンの 演技のすばらしさ。加えて作品全体を包んでいる空気感のやわらかさ。重厚でありながら、爽やかな感動を与えてくれる、必見の1本だ。 ★★★★★(★5つで満点)
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TBとコメントを有難う御座いました。
困っている女性を助けるヴェラの行動を見事に解説してくださいました。社会の底辺にいる女性を救いたいと活動されているシスターのことを思い出しました。
女性のために創られた素晴らしい映画でしたね!
TBをさせて頂きます。
TBありがとうございました。
ヴェラの過去について、明白な描写があったかどうか
記憶が薄れてしまったのですが、そうですよね。
服役中の会話で確か話していたような。
なんにせよ、マザー・テレサのような人だと思いました。
ほかの記事も読ませていただきますね。
ヴェラの行為に焦点をあてたレビュー、すごいですね。
困った人を助けているのに、裁きを受けるのは
観ていてやるせなかったです。
ほんとにイメルダ・スタウントンが素晴らしくって、
彼女でなければ、映画の雰囲気も違ってたんじゃないかと思います。
この作品は、アメリカではキリスト原理主義社会らしいといいますか、専ら中絶は悪か、女性の権利か、という切り口で語られていました。
中絶を悪と捉える方は、この映画をとにかく酷評し、女性の持つ当然の権利だと主張する方は、この映画を絶賛する、と行った具合でしたね。
マイク・リー監督の意図はそこには無いと思うんですけがね。
ヴェラへの的確かつ分析的な映画評はすごいですね。
とても参考になります。こちらからもTBされていただきますね。
マダム・クニコさんの記事を読ませていただいて、大変おもしろく、よくここまで分析してお書きになってるなと感心しました。
これからも、記事を追々読ませていただきたいと思います。
私も、so-netのほうでがんばりますので、今後ともよろしくお願いいたします。TBさせていただきますね。
TBとコメント、ありがとうございました。
とても面白い記事で、非常に参考になります。
私は、どちらかというと、イギリスの抱える社会的な病理?あるいは矛盾?という観点で、この映画を見ていました。かつて、下層階級出身のビートルズが、本国では才能を花開かせることが出来ず、アメリカに渡って、ようやくブレークしたような身分社会の矛盾を描いたのかなと。
見る人によっては、男性中心の社会(=法体系)への挑戦というジェンダー的なとらえ方も出来るでしょう。私はヴェラには、そこまでの問題意識はなく、身近な隣人を助けたかっただけのような気がしました。その一方で、純粋な善意と愚かさは紙一重という皮肉も感じました。
ヴェラの夫の弟の妻が、ヴェラを評して「あの人は身勝手なのよ。いつか、大変な事になるわ」みたいな台詞を吐いているのですが、ヴェラの「善意」は、まさに、その予言通りの結末を引き起こすわけです。
一筋縄では解釈できない、奥の深い映画です。
>ヴェラの姿は美しい
ヴェラのような人は世の中にたくさんいただろうけど無報酬で本当にその人のためといってしていた人は少ないと思います。
ヴェラがしていたのは本当に”その人のため”。
こういう時って男性は少しずるいなぁとか思ってしまいます。