創作のスランプに陥った女流作家の再生物語。 仕事を発注してくれる出版社の社長の愛人でもあるミステリー作> 家サラは、彼のプール付きの別荘でエデイプス・コンプレックスを乗り越え、再起を図る。彼の娘ジュリーの部屋で、書き物と写真を見つけたサラは、それをヒントにジュリーを主人公にしたミステリーを書き始める。 カバーで覆われていたプールは、いつの間にかごみも綺麗に掃除されて、そこに浸るだけで生き返るよう。つまり、創作上で サラとジュリーは一身同体となって、新しい小説の扉を開くの だ。
サラとジュリーは、ある時には同一人物の、ある時には「母と 子」の、また、2人の共通の恋人であるレストランの男スコットは「父」の、それぞれ隠喩となる。
ジュリーは実の母を事故で亡くし、その痕跡(トラウマ)として背中にキズを負っている。彼女は、サラとの間で母と子の蜜月を 再現し、トラウマを克服したいと願うが、サラ(隠喩の母)は
スコット(隠喩の父)を欲望する。
隠喩の父スコットを自分のモノに(同一化)して、隠喩の母サラへの愛憎を乗り越えるジュリー。 しかし、それを果たした途端、どうしても母と子の蜜月を取り戻 したいので、子は父(スコット)殺しをする。「あなたの小説の ために、彼を殺した」と告白するジュリー。
作家であるサラに冷たい愛人は、ジュリーの父親としても冷たい ので、二人は殺人の共犯者になる。
サラの小説が殺人の証拠になるからと、暖炉でスコットの衣服と 共に燃やすジュリー。壁の十字架を取り外すサラ。創作の「復 活」を確信する瞬間だ。つまり、父を殺して母と交わるエディプス
・コンプレックスの完成=言語の獲得=小説の完成。
新しい小説を他社から出版することで、愛人に復讐するサラ。 彼女の小説に協力することで、父に仕返しするジュリー。共犯者の2人は、完全犯罪にほくそ笑む。
召使いのマルセルの娘が小人であること。彼女が「ジュリーのママは事故で死にました」とサラに告げること。サラがマルセルを 誘惑することなど、現実と虚構とがない混ぜになっていて、この映画がサラの小説創作のプロセスを描いていることを思わせる。>
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サラとジュリーは、ある時には同一人物の、ある時には「母と 子」の、また、2人の共通の恋人であるレストランの男スコットは「父」の、それぞれ隠喩となる。
ジュリーは実の母を事故で亡くし、その痕跡(トラウマ)として背中にキズを負っている。彼女は、サラとの間で母と子の蜜月を 再現し、トラウマを克服したいと願うが、サラ(隠喩の母)は
スコット(隠喩の父)を欲望する。
隠喩の父スコットを自分のモノに(同一化)して、隠喩の母サラへの愛憎を乗り越えるジュリー。 しかし、それを果たした途端、どうしても母と子の蜜月を取り戻 したいので、子は父(スコット)殺しをする。「あなたの小説の ために、彼を殺した」と告白するジュリー。
作家であるサラに冷たい愛人は、ジュリーの父親としても冷たい ので、二人は殺人の共犯者になる。
サラの小説が殺人の証拠になるからと、暖炉でスコットの衣服と 共に燃やすジュリー。壁の十字架を取り外すサラ。創作の「復 活」を確信する瞬間だ。つまり、父を殺して母と交わるエディプス
・コンプレックスの完成=言語の獲得=小説の完成。
新しい小説を他社から出版することで、愛人に復讐するサラ。 彼女の小説に協力することで、父に仕返しするジュリー。共犯者の2人は、完全犯罪にほくそ笑む。
召使いのマルセルの娘が小人であること。彼女が「ジュリーのママは事故で死にました」とサラに告げること。サラがマルセルを 誘惑することなど、現実と虚構とがない混ぜになっていて、この映画がサラの小説創作のプロセスを描いていることを思わせる。>
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コメントとTBありがとうございました。
この映画はいろんな暗喩がありますね。
それを探すのもまた楽しみです。
映像の美しさもいいですね。
映画誌に寄稿されているだけあって、
さすがに明確な解釈ですね。
映画を語りあえるお仲間がいていいですね。
自分の意見を相手に伝えることは難しいですが
とても言葉の勉強にもなりますね。
たくさん観られていて、きちんと映画評として
書かれているのがすてきです。
また読ませていただきます。
なるほど、こちらはずいぶんと文学的な分析ですね。
一本の映画をあちこちから語るのも楽しいものです。
ちょくちょくお邪魔するようにします。
コメント有難う御座いました
>レストランの男スコットは「父」の、
それぞれ隠喩となる。
成るほど~とても深く、興味深い分析ですわ!
もう一回観返してみようかしら。
>召使いのマルセルの娘が小人であること
このシーンは、一気にクライマックスへと向かう最中に位置していたのよね?
あまりに異様な小人さんで、背筋に冷たいものが走ったわ。
はじめまして。
TBしっぱなしで、失礼致しました。
どこからがスタートなのか?
1度目観た時は、正直よくわからなかったのですが、そこが魅力で、数日おいてもう1度観て、「あっやられました!」って感じでした。
私もマダム同様、何度も観てしまう映画の1本となりました。
ちなみに・・・他って(何度も観てしまう1本)何がありますか?
ご訪問、コメントありがとうございます。
何度もコメント返しをしようとしたのですが、うまくいかず、5度目の挑戦!
私の何度も観てしまう映画シリーズ。
「Gone with the wind」「カリオストロの城」「007」シリーズ、「ハイヒール」「死ぬまでにしたい10のこと」「キカ」「パルプ・フィクション」「天井桟敷の人々」「レベッカ」「ダイヤルMを廻せ」「シャレード」「デリカテッセン」「スティング」「アウト・オブ・サイト」等など
↑これは昨年2月頃に私がひとりごとで書いていました。監督モノでいくと、デ・パルマ、アルモドヴァル、ソダーバーグ、ヒッチコック、ルコント、最近では周防さんジョン・ウーといったところですね。
それと最近モノでは「イン・ハー・シューズ」です。
・・・あまり共通性はないかな?
とても文学的な解釈に、脱帽しました。
とても深く映画を観て、いらっしゃいますね。
ただ、傷があったのは、背中ではなくお腹だと
思いましたが。
さすがですね。
とても詳細で登場人物の内面に踏み込んだ解釈、
様々な言動の暗喩などとても参考になりました。
1度見ただけでは理解できず、2度見ました。
それでも完全に理解することは難しいですね。
TBさせていただきます。