マダム・クニコの映画解体新書

コピーライターが、現代思想とフェミニズムの視点で分析する、ひと味違う映画評。ネタバレ注意!

単騎、千里を走る/仮面の告白

2006-02-04 | 映画分析

母の喪失を巡る、父と息子の確執~修復の物語。日中それぞれ1組の父と息子のドラマをダブらせて、人とのコミュニケーションという普遍的なテーマを描いている 。
単騎千里を走る
(ネタバレ注意!!)タイトルの「単騎、千里を走る」は、「三国志」の仮面劇の演目。後に蜀帝となる劉備の義弟・関羽が、劉備の妻子とともに敵の曹操に捕まるが、劉備への仁義を守り、ただ一人で劉備の妻子を助けて脱出、劉備のもとへ帰ってくるという”家族の再生”の話だ。
 たった1人で中国に渡り、心の中で”家族の再生”を果たす本作の主人公と重ね合わせている。

キーワードが3つある。
 1つ目は” 仮面”。
 母を死に至らしめた父を許せない息子たちと、息子との関係を修復したいと願う父たち。日本人の父・剛一は 、中国人の父・ジャーミンが息子に会えないことを嘆き、仮面を取り外して大泣きするのを見て、「中国人は自分の感情を人前でもさらけ出せる。自分も素直に感情を出せれば息子とここまでこじれなかったのに・・」と後悔する。
仮面は、深層の感情を見せない剛一の隠喩であり、その下の素顔は、感情を豊かに表現することによりコミュニケーションが開けていくジャーミンを表している。
 また、仮面は、父の権力と同一化した記号でもある。その内側には削除された母の痕跡があり、それを覆い隠すツールとなっている。この記号化は、「仮面劇の演者は、素顔が見えないので誰でもいい。いくらでも代わりがいる」という村人のセリフと同通し、演者の個性は無視される。
 さらに、仮面は、他者と自分との境界にも位置している。

 2つ目は”翻訳”。
この役目を果たすために、健一の妻、日本語の達者な女性ガイド、日本語の下手な男性通訳の3人が登場する。彼らが伝える言葉 は、内容が少しずつズレていく。
「健一が会いたいと言っている」と、剛一に伝えた健一の妻の言葉は、事実とは違っていた。剛一は「中国に来たことは健一には内緒に」と言ったのに、彼女は健一に告げてしまう。以前、健一がジャーミンに約束した「単騎、千里を走る」のビデオ撮影も、言葉の上の付き合いだったことが分ってくる。
 剛一は言葉のすべてが真実ではないことを知る 。

女性ガイドは契約が終わると上司の命令で引き上げてしまう。後を引き受けた男性通訳は日本語がおぼつかない。時々女性ガイドに携帯電話で通訳を頼むが、時間がかかり、状況はなかなか進展しない。言葉が通じないので、孤立し、焦る剛一。
 彼は初めて、健一も異国では孤独だっただろう、と思いを馳せる。

翻訳は、言葉の境界を侵犯する行為である。言葉の絶対性の転覆を謀ること。つまり、言葉を反復しながら、置き換えていく行為である。
 ”オリジナルは純粋”という伝統を覆すこの行為は、言葉だけではなく、人が生き延びるために必要な力となり、世界に新しさをもたらす。
また、翻訳は、オリジナルの権威を奪い、新しいイメージを登場させるので、言葉というよりは演技である。言ってみれば、隠蔽された母の死体が、仮面を着けて、生きている人々に混じって踊り回る仮面劇のようなものといえる。

3つ目は”感謝”。
村人の助けがないと一歩も動けない剛一が、最初に覚えた中国語は感謝(謝)。
 村人が剛一との出会いに感謝して開く、一村総出の宴。
 健一は父の中国行きに感謝の言葉を伝える。
 ジャーミンは、剛一が息子のヤンヤンを連れて来ようとしたことに感謝して、仮面劇を演じる・・・。
感謝は、コミュニケーションを開く最大のカギとなるのだ。  

 手間のかかる翻訳や中国特有の文化を体験する中で、ゆっくりとしか動かない時間が、徐々に剛一の心を解放していく。
 ヤンヤンを追いかけ、彼とともに険しい山中を迷う剛一。大人の決めたことには従わなければならない伝統と、父を許せない本音との間で迷うヤンヤンは、健一を追いかけて、何処へ向かおうとしているのか分らない剛一そのものである。二人が来た道を再度通るのは、この反復を意味している。

 剛一は、ヤンヤンと心を通わせることができ、笛をプレゼントする。彼を抱きしめた時、健一との関係に重ね合わせていた。このように心から優しく接したことが一度でもあっただろうか、と反省する。
 仮面を着けていた剛一は、自己と他者の境界をさまよった末に、新しい力を得て脱皮する。つまり、素顔をさらして、他者とコミュニケートする歓びを知るのだ。

最初の目的だった、健一に観せるために仮面劇のビデオ撮影をする旅は、途中でヤンヤンをジャーミンに会わせるための旅ともなる。しかし、ヤンヤンは村へ戻り、さらに健一が死んで、撮影は不要に。そこで、ヤンヤンの様子をジャーミンに伝えるためだけの旅となり、最後には、剛一自身が生きぬくためのパワー源として撮影が必要になる。
 目的は偶然性により、次々に置き換えられ、オリジナルは消滅するのだ。

雲南が好きで、北西部と南東部を旅したことがある。本作の舞台となった北西部の麗江では、迷路のような明・清時代の町並みの奥深くまで歩いた。歴史を感じさせる風格が魅力で、町の人々も親切だった。
 さらに、南東部のベトナム国境に近い奥地では、映画の登場人物たちのように 、日本人と接するのは初めてのよう。素朴で人情の厚い村人たちに招かれてご馳走になったりした。
本作では、善人ばかりが登場するが、実際に田舎ではあの通りである。
★★★★(★5つで満点)

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20 コメント

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TBありがとうございました (ミチ)
2006-02-04 08:11:38
こんにちは♪

いつもながら深い解説に感銘を受けています。

>目的は偶然性により、次々に置き換えられ、オリジナルは消滅するのだ

そうなんですよね、次々に置き換えられていきましたね。

目的がないからとかたくなに撮影を拒んだ高田さんがとうとう撮影をすることにしたくだりが印象深いです。
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なるほど~ (KUMA0504)
2006-02-04 10:27:21
TB&コメントありがとうございました。

「仮面劇の演者は、素顔が見えないので誰でもいい。いくらでも代わりがいる」という村人のセリフに剛一が、反発した真の理由が分かりました。

 確かに、旅をすればコミュニケーション何とかなりますよね。言葉の反復が重要な映画だとは思っていましたが、言葉に出来なくて、これを読んですっきりしました。

ただ、私ベトナムの場合は発音は一切どうやっても通じなくて、筆談も出来なかったので、怖くてあまり遠出が出来ませんでした。思い切って遠くまで行けばよかったかな。
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あるがままに (abarekuma)
2006-02-04 21:45:49
TBありがとうございました。



深い意味合いも知らずに映画を観にいきました。

「単騎、千里を走る」高倉健主演

多分・・・三国志の内容だろうと軽い気持ちで

観ましたが観ている内に深い感銘を受けてしまいました。

現在の日中間の断絶の中でのこの映画・・・



人間の尊厳は尊く受け止めました。



又映画の内容を興味深く読まさせていただきました。

ありがとうございました。
返信する
的確な分析ですね (でんでん)
2006-02-05 22:28:26
こんにちは。

トラックバックありがとうございます。



「仮面」「翻訳」...と的確な分析だと思いました。ボクもおぼろげにそんな印象は得ていたけど、文章に出来ませんでした。ただこの作品で受けた印象、考えが全てなんですよね(^^ゞ
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どうもです! (haruppe)
2006-02-07 21:44:23
TBありがとうございました。

深い洞察、恐れ入ります。

せめて、中国の親子が再開できるような

ハッピーエンドを期待していたので、

残念でした。
返信する
お邪魔します (飯塚)
2006-02-08 00:32:08
TBありがとうございました。

こちらもさせて頂きましたので、よろしくお願いします。

文を読ませて頂きましたが、分析も文章もすごいです。

勉強になりました!



映画の中で私が最も気になった存在は、女性ガイドの

ジャン・ウェンなんです。ほんとにいそうだから。

話自体も、中国の地方でならありえると思います。



では、また覗きに来ますので・・・
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TBありがとうございます (あ~る)
2006-02-08 00:52:03
「 母の喪失を巡る」なるほど。

いつもながら勉強になります。

じわっとくる映画でよかったです。
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はじめまして (シキシマ博士)
2006-02-08 22:25:05
TBありがとうございます。



深い分析に感服しました。

〝目的は偶然性により、次々に置き換えられ、オリジナルは消滅する〟

本当にそうですね。

書き換えられた事を新しい目的として肯定できれば、それだけで世界観は広がって行きますね。

偶然から、必然的な意味も見い出されますね。



とても勉強になりました。

ありがとうございます。

今後も覗きに来させていただきます。
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深く詳細な洞察、感銘を受けました (ヤン)
2006-02-08 23:30:35
この映画の詳細な洞察、深く感銘を受けました。

ひょっとすると原作者の気づかない本質を突いているかもしれないとすら思いました。

チャン・イーモウ作品を少し観ただけの拙い印象ですが、現代中国の拝金主義への批判がこめられているのでないかと考えています。彼のここ数年の映画には「お金」が重要なキーとなっている例が多くあると思うのです。
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TBありがとうございます。 (たると)
2006-02-09 12:03:36
去年まで中国に住んでいたし

殆どの中国の観光名所は行きつくしました。

なかでも一番のお気に入りはこの映画の舞台

麗江です。麗江では素朴な人も多く

四合院(中国伝統建築)のホテルに

泊まりホテルの従業員とマージャンをしたり

従業員の人が出ている舞台を見に行ったりして過ごしました。この映画を見るとその日々を思い出しました。

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