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マダム・クニコの映画解体新書

コピーライターが、現代思想とフェミニズムの視点で分析する、ひと味違う映画評。ネタバレ注意!

六月の蛇★★★★★

2005-03-25 | 映画分析
“人間は死を意識することによって、初めて生を確認できる”をテーマに、ストーカーの男によって覚醒させられる夫婦のありようを描いている。ストーカーという行為は、都市が内包するひとつの闇ではあるが、闇によってしか覚醒させることができないほど病んでしまった現代社会の状況を象徴している。

 このストーカーの職業のカメラマン。人とはレンズ越しにふれあうだけで、暗室に閉じこもって一人で作業をすることが多い。彼はまさに都市の孤独の中に生きているのである。
 その彼に初めて生きる希望を与えてくれたのが、電話相談室のりん子だった。ストーカーはガンに冒されていて死にたいと思っていたが、彼女と電話で話すことにより、“死ぬまでに何かをやり遂げたい”と欲望にめざめ、生命力を得たのだった。

 彼はりん子に「やりたいことを始めた」と電話する。そのやりたいこととは、心の電話で助けてくれたりん子自身にに、“心の底に残っている願望を果たさなくていいのか”と自問させることだった。

 ストーカーとりん子は多くの共通項を持つ。彼の仕事はレンズを介して人と関わるもの。彼女の職業もまた、狭い室内で電話を通して人と会話するもの。彼と同様、日々閉塞感と孤独にさいなまれている。そのうえ2人とも末期ガンに冒されていて、残された時間はほとんどない。
 季節は6月。生命力の根源である“恵みの雨”というこの上ない応援を得て、2人の連帯感は当然高まっていく。

 りん子の夫は潔癖症で、絶えず排水口や風呂を洗っている。彼は“過剰なもの=不安や恐れ”を受け止めないで、排除しているのだ。妻の思いに心を至らせることもなく、母の通夜にも仕事のせいにして行かないような無機質人間である。だが、彼もまた、孤独と闇を抱えて生きているのである。

 タイトルにある通り、蛇が登場する。蛇は“水の神”、“エデンの園の禁断の果実の誘惑者=内なるエロス”という肯定的な要素がある一方、“ストーカー行為の執念深さ”、男根(家父長制・支配)”、“悪魔”といった否定的な意味も持つ。また、本作の中で度々出てくるカタツムリとともに、動作のイメージが、“あらゆるもの(身体、言葉、制度、ワールド・ワイド・ウエブ・・・)に起源や根拠はなく、それに先立つものの痕跡を手掛かりに後から見出されたものにすぎない”ということ、を表現している。つまり、あらゆる存在の関係性は無限に開かれているのである。

 円窓、水槽、排水口、換気扇、パイプ、レンズなどが多用されるが、外部と内部、生と死、聖と俗、光と闇との境界を意味している。ハムスターの回転や扇風機は果てしない“円環=永遠回”。レズを見物する男たち、百貨店や八百屋、相談室で励ました男の子などの視線、フラッシュの光などは人間の“根源的な暴力”を表す。

 ”六月の蛇”なるストーカーによって死を自覚させられたりん子は、心の垣根を解き放ち新たな生命力を獲得する。彼女の夫も2人に触発されて輝き出し、夫婦は究極のエロスを味わう。

 ストーカーが「目的を果たし死へ向かう」と告げる時、りん子もまた、「私もそろそろ行くわ」と言う。エロス(生)とタナトス(死)は、コインの表と裏なのだ。

 隠喩づくしの斬新な映像と演出。我が国最高水準の作品である。(0305)


六月の蛇

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