1ヶ月前の3月11日の記録。
友人の親子一組とロイヤルウィングクルーズへ。
大桟橋の屋上で軽くおにぎりを食べ、乗船。13:45下船。
その後、徒歩で山下公園へ。目的はハッピーローソン。
ここは、親がちょっとくつろぎながら、室内で子供を遊ばせられる場所♪
小腹を満たしてから子供は遊具へ、親はコーヒータイム。
・・・・と、平和なひとコマをあの地震が襲った。
揺れを感じ始めたときは、すぐにおさまるだろうと思ったが、おさまらない。
皆、屋外スペースへ避難。長く大きな揺れだった。あんな揺れを感じたのは新潟の中越沖地震以来。
揺れがおさまったと思ったら、今度は津波が来るから避難した方がいいとの情報。
余震の合間をみながら、人の流れに従い横浜球場のある横浜公園(広域避難場所)に向かった。
向かう途中の余震でビルがグラグラ揺れているのを目にしたり、ガラスが割れて落下していたのを見た。
横浜公園には近所のオフィス街から避難してきた会社員の方でいっぱい。
電車に乗ってしまえば10分くらいで最寄り駅まで行くけど、電車が全部止まっている。
とりあえず、電車の再開を待つべくおやつタイム。
時間は16時くらい。
これから一体何時になったら帰宅できるのか予想できず。
万一に備えて、近所のコンビニへ。
歩いて変えることも一応考え、食料・飲料・おやつ・雨具(雨がパラパラ降ってきた)・電車の本(息子の退屈しのぎ)・カイロ(寒かった)・パンスト(防寒対策)を買い込み、隣接していたカフェで様子見。
私の携帯から電話はかからなかったけど、主人の職場から電話があり、とりあえず無事が判明し一安心。
携帯のiモードで情報を得ようとしてもつながらず、メールだけはかろうじて送受信できた(タイムラグあり)。
カフェからタクシーや人の流れを見ていたが、タクシーは長蛇の列だと聞き、バスは動いてるが、道路の状態もわからないし、ひどい混雑で子連れには厳しい。
友人とあれこれ相談した結果、ひとまずホテルに行こうと決まった。
カフェの隣がスーパーホテルだったので、息子を連れて行ってみた。が、入り口に『満室』の看板。
そうだよね・・・。
戻って再び相談し、ごく近くにあるラブホテルにだめもとで行ってみることにした。
息子と2人で受付へ。そこの女性へ事情を話してお願いした。
「帰宅する術がなくて、車でも来てなくて、近所のホテルも埋まっていて、ここに来たんですよね?」と確認され、
「連れの男性はいますか?」と尋ねられ、「いません。同様の親子一組と一緒です」と答え、またお願いした。
「通常、子供がいると入れませんが、今日は特別ということで。部屋は選べませんが、いいですか」と。
良かった~。これで外で一晩明かすことはない。 (他にも男性サラリーマンの4人連れなどが来てました)
吉報を友人に伝え、夕食を買い込みホテルへ移動。
このとき既に18時過ぎ。
部屋で食事を取り、ニュースでようやくどんな事態か知った。
電車は今日中に動きそうもない。
一緒にいた友人の旦那さんが車で迎えに来てくれることに。家は近いので便乗させてもらうことにした。
息子は電車の本を読み、友達と歌ったり、ベッドでジャンプしたり。部屋を暗くして、ようやく寝たのは22時頃。
で、迎えの車が到着したのは23時くらい。
迎えに来るのに、渋滞で2時間もかかったらしい。
帰りはスムーズに帰れたが、歩いて帰るだろう人を何人も見かけた。
家に着いたのは24時。
遅い帰宅にはなったけど、家族みんなで揃って眠ることができ一安心。友人に感謝感謝!!!
長いながい一日が終わった。
私にとって、忘れられない1日になるでしょう。
この日、感じたこと・・・
友人と一緒で心強かった
子連れで歩いて帰宅は無理(電車に乗って出かけた場合)
子連れに食料は必須
携帯の充電があってよかった
携帯からの電話は全然かからない
クルーズのため、暖かい格好をしていてよかった
車は便利でありがたい
情報は大切
物資は早い者勝ち
主人が出張でなくて良かった
主人にも携帯電話を持って欲しい(未だに持っていませんが)
あれから1ヶ月。まだホテルにお礼に伺ってないが、近々、行きたいと思う。
今日は何度も余震を感じるけど・・・・・。
地震大国、日本の恐ろしさを知った1ヶ月でした。
友人の親子一組とロイヤルウィングクルーズへ。
大桟橋の屋上で軽くおにぎりを食べ、乗船。13:45下船。
その後、徒歩で山下公園へ。目的はハッピーローソン。
ここは、親がちょっとくつろぎながら、室内で子供を遊ばせられる場所♪
小腹を満たしてから子供は遊具へ、親はコーヒータイム。
・・・・と、平和なひとコマをあの地震が襲った。
揺れを感じ始めたときは、すぐにおさまるだろうと思ったが、おさまらない。
皆、屋外スペースへ避難。長く大きな揺れだった。あんな揺れを感じたのは新潟の中越沖地震以来。
揺れがおさまったと思ったら、今度は津波が来るから避難した方がいいとの情報。
余震の合間をみながら、人の流れに従い横浜球場のある横浜公園(広域避難場所)に向かった。
向かう途中の余震でビルがグラグラ揺れているのを目にしたり、ガラスが割れて落下していたのを見た。
横浜公園には近所のオフィス街から避難してきた会社員の方でいっぱい。
電車に乗ってしまえば10分くらいで最寄り駅まで行くけど、電車が全部止まっている。
とりあえず、電車の再開を待つべくおやつタイム。
時間は16時くらい。
これから一体何時になったら帰宅できるのか予想できず。
万一に備えて、近所のコンビニへ。
歩いて変えることも一応考え、食料・飲料・おやつ・雨具(雨がパラパラ降ってきた)・電車の本(息子の退屈しのぎ)・カイロ(寒かった)・パンスト(防寒対策)を買い込み、隣接していたカフェで様子見。
私の携帯から電話はかからなかったけど、主人の職場から電話があり、とりあえず無事が判明し一安心。
携帯のiモードで情報を得ようとしてもつながらず、メールだけはかろうじて送受信できた(タイムラグあり)。
カフェからタクシーや人の流れを見ていたが、タクシーは長蛇の列だと聞き、バスは動いてるが、道路の状態もわからないし、ひどい混雑で子連れには厳しい。
友人とあれこれ相談した結果、ひとまずホテルに行こうと決まった。
カフェの隣がスーパーホテルだったので、息子を連れて行ってみた。が、入り口に『満室』の看板。
そうだよね・・・。
戻って再び相談し、ごく近くにあるラブホテルにだめもとで行ってみることにした。
息子と2人で受付へ。そこの女性へ事情を話してお願いした。
「帰宅する術がなくて、車でも来てなくて、近所のホテルも埋まっていて、ここに来たんですよね?」と確認され、
「連れの男性はいますか?」と尋ねられ、「いません。同様の親子一組と一緒です」と答え、またお願いした。
「通常、子供がいると入れませんが、今日は特別ということで。部屋は選べませんが、いいですか」と。
良かった~。これで外で一晩明かすことはない。 (他にも男性サラリーマンの4人連れなどが来てました)
吉報を友人に伝え、夕食を買い込みホテルへ移動。
このとき既に18時過ぎ。
部屋で食事を取り、ニュースでようやくどんな事態か知った。
電車は今日中に動きそうもない。
一緒にいた友人の旦那さんが車で迎えに来てくれることに。家は近いので便乗させてもらうことにした。
息子は電車の本を読み、友達と歌ったり、ベッドでジャンプしたり。部屋を暗くして、ようやく寝たのは22時頃。
で、迎えの車が到着したのは23時くらい。
迎えに来るのに、渋滞で2時間もかかったらしい。
帰りはスムーズに帰れたが、歩いて帰るだろう人を何人も見かけた。
家に着いたのは24時。
遅い帰宅にはなったけど、家族みんなで揃って眠ることができ一安心。友人に感謝感謝!!!
長いながい一日が終わった。
私にとって、忘れられない1日になるでしょう。
この日、感じたこと・・・
友人と一緒で心強かった
子連れで歩いて帰宅は無理(電車に乗って出かけた場合)
子連れに食料は必須
携帯の充電があってよかった
携帯からの電話は全然かからない
クルーズのため、暖かい格好をしていてよかった
車は便利でありがたい
情報は大切
物資は早い者勝ち
主人が出張でなくて良かった
主人にも携帯電話を持って欲しい(未だに持っていませんが)
あれから1ヶ月。まだホテルにお礼に伺ってないが、近々、行きたいと思う。
今日は何度も余震を感じるけど・・・・・。
地震大国、日本の恐ろしさを知った1ヶ月でした。