往年の歌手「ニールセダカ・恋の片道切符」のナニワ版、「♪チュー、チュー、チューウ、タコ(多幸)かいな」のささやかな願いで始まった僕の「ネズミ年・2008年」も間もなく終わる。都会人が故里へ帰る帰省ラッシュも始まった。そして、泣いても笑っても後4日だ。クリスマスが終わった我が街寝屋川も、いよいよ正月モードのファイナルカウントダウン体制に入った。今ではもう口癖になっている僕の「早い、速い」の感慨に象徴されるように、改めて「光陰矢のごとし」の思いを強くしている。
僕の今年は、決して有終の美を飾れたとは言えない。でも、あれやこれやと不満を口にしつつも、こうやって大過なく無事「おおつごもり」を迎えられるということ自体、今の僕の身の丈に合う有終であった、と思いたい気持がどこかにある。そういう意味で、今年の鼠君には何となく感謝、感謝だ。
紅葉の後の落葉で我々の目を楽しませてくれた葉っぱ君も、無事土に還った。近くの公園や家々の植え込みにある冬の花も、決して華やかさはないが、さんさんと降り注ぐ太陽の木漏れ日を浴びて、控え目に、かつ質素に、インディアンサマー(小春日和)の自然界に溶け込んでいる。その花の名は、椿、サザンカ、柊、枇杷などなど。それらの花の蜜を求める愛らしいメジロが、樹上で軽快なメロディーを奏でている。一緒に戯れるのはシジュウカラだ。傍らでスズメも遊んでいる。「我と来て遊べや親のない雀」
その風景の中に居て、ふと僕は思った。我は今、独り身だ。この先、天涯孤独になるかも知れないけれど、こんな世知辛い世の中、こうして人の世のしがらみを忘れてささやかな自然を楽しむ、ことを今後の我が喜び、として生きて行こうと。そんな気持を強く抱かせるこんな都会の中の小さな自然は、心の安らぎを与えてくれる何物にも代え難い癒しの場だ。僕はこの心温まる風景に、寒さなんか一つも感じない。
なので、僕は決めた。してその心は、「来年は、丑(牛)のようにゆっくりと歩んで行こう。そして、ゆっくりともの言わぬ自然を楽しもう」である。そこで思い出すのが「牛に引かれて善光寺参り」の「善光寺」だ。善光寺は、長野市街の北の高地に南面する位置にある。大きな仁王門をくぐると、山門を望む仲見世通りがある。ここの雰囲気は良い。7世紀後半の建立と伝えられるこの名刹は、古来いずれの宗派にも属さずあらゆる人々に開かれた大寺だ。また、女人禁制の寺が多い中で、女人往生を説いた寺としても知られていて、誰もが極楽往生出来るとする寺の教えは広く大衆に支持されている。以来、全国に200以上も「ゆかりの寺」が誕生するまでになった。
民衆の心をとらえたこの寺を、源頼朝や北条氏、徳川家康などの歴史上の人物が厚く庇護したという。僕は、またここにお参りに行きたくなった。個人的に言えば、ここの「戒壇巡り」が僕は好きだ。御堂の下が暗くて周囲が見えないことをいいことにして、あわよくば隣のカワイコちゃんに軽くタッチ出来る、という楽しみがある。でも、何と言ってもこの寺の良さは、「牛に引かれて」の伝説と、まるで「みすずかる信濃の国」の「善光寺平」を包み込むかのような器の広さを感じさせるところにある、と僕は思う。言わば、善光寺は信濃の国のお母さんだ。
では、ここでクイズだ。信濃の国のお母さん、善光寺の近くには昔、「善光寺宿」があった。現在の長野市中央通り界隈だ。ここには、「春風や牛に引かれて善光寺」の句碑がある。さて、この句はいったい誰の句か? ・・・・・。正解は「小林一茶」だ。彼も信濃出身の俳人で、句集「おらが春」はあまりにも有名。冒頭に書いた「雀の句」も、実は彼の作品だ。彼は「田舎者」を自負し、それゆえの反骨心で数々の名句が生まれたという。この因縁を背負い、大阪人の僕も、来年の干支である牛に引かれる思いで生きて行こう。と、またまた決意した次第だ。
現世の日本を俯瞰すると、それにしてもジリ貧の年の瀬になったもんだ、と痛感する。自動車業界の一瞬の転落、建設業界の倒産多発、医師不足の悲劇など暗いニュースが連日報道されている。一番深刻なのは「雇用情勢」だ。この突然の大不況で、街には身寄りのない失業者が激増している。12月24日、クリスマスイブの朝日新聞「天声人語」には、こう記されていた。「誰にでも公平にめぐる季節は、時に残酷だ。どこのきずなにもつながらぬ不安、明日への絶望が路傍にあふれ始めた。そうしたものを包み込む社会の深さが試されている」と。
そうではないか。企業の無責任さもあるが、今この国の政治家に問われているのは、ボランティアの炊き出しに集まるホームレスなど、社会からこぼれ落ちそうになっている貧困者を、一刻も早く救済すること、なのだ。にもかかわらず、小手先、口先だけの策に終始して、与野党とも未だ迅速な対応をしていない。ばかりか、相変わらず党利党略にこだわって、何一つ具体的な行動を示していない。こんな窮地の時こそ、国の司が一丸となり、牛歩ではなく猪突猛進して、弱者救済という大目標に向かって努力するのが本筋だろう。また、それが政治家の役目だ。なのに彼らは、遅々として動きが鈍く旧態依然とした姿からの脱却を図れていない。
国や企業の人災の被害者と言えるこれらの人々にとって、これから迎える年末年始は、助け舟のない長い休日で仕事が見つからないという「絶望の淵」の期間だ。その実情を知っていて知らん顔する、とはなにごとぞ。けしからん。「義を見てせざるは勇なきなり」だ。僕は、政治家や企業トップにこう叫びたい。もう一度言う。「おい君ら、彼らは無事年を越せるのか!? 君らこそ正月休みを返上して、素早くことに当たれ!!」
今日も嫌味な巷のしがらみ(飯島愛さんの孤独死だけはビックリした)は、これだけにしたい。が、もう一つ是非これだけは書いておきたい、という思いで記す。イラクでブッシュ米大統領が「靴投げ」の洗礼を受けた。記者会見での出来事だ。イラク戦争や歪んだ経済で、世界に混乱と怨念を撒き散らしたのは、他でもないブッシュ本人。イラク記者のこんな感情的な行動も、当然と言えば当然だろう。僕はそう思う。
僕の大好きなスキーでは、「ブッシュ」とは「草や木、岩や地肌などの障害物」を指す。なので、スキーヤーはここを避けて滑る。つまり邪魔者だ。こんな危険な「障害物競走」を世界の国々に強いたブッシュは、文字通り自業自得の嫌われ者、そのものだ。幸いにも彼は、昔鍛えたさすがの反射神経(僕並み?)で靴の因縁弾をかわし難を逃れたが、これはある意味、今のアメリカを象徴する姿だろう。日本の中にも、あのテレビの場面を痛快感を持って眺めた人は多い筈だ。そんな心境になって、今年最後のブログをスタートさせる。テーマは、今日も「食」だ。
今年も「変」と「偽」という漢字に代表される「食」にまつわる不祥事が多かった。なので、食害が多い今年の干支、鼠に因んだこの話題で締めくくりたいと思う。高度経済成長期以降の日本の食を振り返ってみると、大量生産、大量消費を美徳とするアメリカ一辺倒の「市場原理至上主義社会」を、ただ闇雲に、しかも足早に歩んで来たように僕は感じる。来年の干支である牛のように、どうしてもっとゆっくり歩めなかったものか、とも思う。
それはともかく、日本はこの間いくつかのショックを乗り越えたところで、バブル崩壊という壁にぶち当たり、それをやっとこさ脱出したと思いきや、今度は100年に1度と言われる世界金融危機の大津波をモロに被っている状態だ。この発端は、米国発のサブプライム問題という、言わば「バクチまがい」のリスクを伴う証券化商品だった。これは極めて馬鹿馬鹿しく腹立たしい悪銭のネタで、僕は呆れ果ててものも言えない気持ちになる。このような経済の大波小波を受けながら、「化けの皮が剥がれた日本の食」も落ちるところまで落ちた、という印象が僕にはある。
こうした状況の中で迎えた年の瀬。日本人は今、食の面でも、それが我が道だと認識していたアメリカ型の生き方に、大きな不信感を持つようになった。そして今後は、アメリカの道以外の新しい我が道に「チェンジ」する術(すべ)を早く見つけなければならない、という感情が徐々に高まりつつあるのだ。これは、当然の成り行き、ではないだろうか。なぜなら、英語と日本語の違いでも分かる通り、食に関しても、弱肉強食の狩猟民族であるアメリカと、古来から慈悲の人徳を育んで来た農耕民族の日本人とでは考え方(世界観)が根底から大きく違う。勿論、国のキャパも月とスッポンだ。だから、何から何までアメリカに追随すること自体、初めから無理があったのだ。こんな認識が僕にはあるし、今や日本中に蔓延する食の崩壊現象も、その延長線上の出来事ではないだろうか。
戦後日本人は「夢を持って生きていれば、自分は何をすべきかが見えて来る」と思っていたかどうかは別として、そう思わせる方向に、アメリカ様に無理やり先導させられたのだ。その結果、あまりに深みにはまり過ぎて我が人徳を忘れ、金の値打ちが人生を豊かにするという間違った幸福感を植え付けられた。この歪んだ心の持ち方の問題が致命傷となり、真の豊かさを追求する姿勢を失わせた、とも言えるだろう。だが、その姿勢から距離を置きつつある今、日本人全ての心の中に、いったい真の豊かさとは何ぞや、という冷めた冷静な目が芽生えて来たのはいいことだ。それはすなわち、未来に向けて一歩前進した姿と言うべきで、そういう時代感覚こそ、日本人には一番相応しい価値観ではないだろうか。
例えばこんな目で、今日のテーマである食を見つめることは最良だ、と僕は感じている。それに、今はもう「消費は美徳だ」と言われる時代ではない。また、こんな不景気な時代は、今までの無駄、贅沢といった飽食の負の遺産を削ぎ落とす「再出発のいい好機」だ。と、ここまで少々抽象的でピントがずれた余計なことを書き過ぎたキライはあるが、日本の質の良い食を見直すためには、我々自身が生きた過去をこうして振り返ることが重要なこと、なのだ。
作家の五木寛之さんは、ある著書の中で、「おい、地獄さ行(え)ぐんだで」で始まる小林多喜二の「蟹工船」が若者の間で読まれていることを例に挙げ、「(今の時代は)本当に地獄が近づいて来たことが実感としてあるのかも知れない」と述べている。我が尊敬する五木さんのこの言葉に反発する訳ではないが、僕はここまでの悲愴感はない。むしろ、さっき書いた通りこんな地獄のような闇の時代だからこそ、はっきりと見えて来るものがあるのだ、とそう信じたい。
若者がこんな感覚にさいなまれるのも、この国のアメリカ迎合主義の弊害だろう。また、こうやって日本の食の過去を振り返ってみても、企業、国、社会がアメリカとの蜜月関係の中で、私益の追求に走り過ぎた。と、思う。特にここ数年は、その歪みが目立ち過ぎだ。解決策として、この混沌とした閉塞感漂う日本を俯瞰した時、その僅かな隙間から希望の星を見つけて懸命に漕ぎ出すことが寛容だ。これが、日本丸の採るべき近未来の針路。だから、そういう意味で今の日本人の冷めた目は、ごく自然な帰結現象かも知れない。
そんな冷めた目で日本の食を見た場合、数々の「偽」もさることながら、ごく身近にある「失われた食の生活習慣」に、僕は深い疑問を持っている。何か? それは、「朝食」だ。この朝食を抜きにしている家庭が増えていると聞く。しかも、それだけではない。最近の調査で、朝食抜きの功罪の罪の部分が大きくクローズアップされた。その罪とは何か? それは「学力」だ。大阪府が実施した全国学力調査と生活習慣調査の結果、朝食を毎日とる子供の割合が多いほど「平均正答率が高い」傾向がうかがえたという。つまり、朝食抜きの子供は、腹ペコで授業に集中出来ない、ことが明らかになった。ということは、大阪流に言えば「朝食抜きの子供はアホ」なのだ。
これは困ったことだ。またまた、大阪から発信するアホな情報が発覚した。この原因については、様々なウワサがある。親が忙しい、家庭生活が多様化した、外食が増えたなどなど。また、貧富の格差もあるだろう。でも、僕に言わせれば、これもアメリカ型の社会にたっぷり浸り過ぎ、日本家庭の朝の一手間が便利さの中に葬り去られたことがその根源にある、ということだと思う。もっと分かりやすく言えば、日本家庭の柱である親がみんな「なまくら」になってしまった、ズバリこれしかない。と、思う。
子供は、何時の世も親の行動、親の言葉を見聞きしながら、己の生きる術を学ぶ。つまり「親の後姿」を子供は常に彼らなりの視線で観察し、小さな生活の参考にしているのだ。手っ取り早い結論としては、これは「なまくらになった親を子供が見て、自分自身もなまくら坊主になった」ということではないだろうか。
評論家の意表をついてもう少し違った見方をすれば、例えば今の子供は柔軟性のない「デジタル思考」の線の細いガキが多い。そのデジタルは、究極的に言えば0か1しかない世界だ。ゲーム機、ケータイ、コンピューター。これらデジタル特有の世界は、大抵AかBかの選択肢、もしくは勝者か敗者の選択肢、しかない。これを、子供は指一本で巧みに操る。こんなゲーム感覚しか持っていない子供が、お母さん(あるいはお父さん)のなまくらな後姿を見た場合、ただ単純にAかBの評価に陥りやすい。こうしていとも簡単に一面的なデジタル思考した子供は、即座に「朝食を作らない僕の親はダメ」と決め付ける。僕は、現実としてこんな子供の思考回路を想定している。一方で、もしも子供にアナログの思考回路があれば、この短絡的思考は弱められる可能性がある、とも思う。
いずれにしてもこんな問題あり、の家庭では、その理由はともかく、きっと親は寝ていたり、グータラ、グータラしているのだろう。そして、親のこんな姿を見た柔軟性のない子供は、益々反発心が募る。その結果、勉強への意欲が低下するのだ。そんな気持に不都合なプラスアルファーがある。それが、前述した授業中にお腹が空くという生理現象だ。お腹が空けば当然集中力や記憶力も低下する。大人と違って、子供の頭脳は単純明快だ。そして、ついに「勉強なんかもうエエわ」となるのでは? このような親のアホが子供のアホを呼び込む構図が、あるのではないだろうか。
このことは、正論でないかも知れないし、アホになった全ての子供に当てはまる訳ではないが、これに関して僕は思い当たるフシがある。それは、いつかのブログに書いた通り僕自身の経験で言えば、現在のような飽食の時代ではなく、国民全体がひもじい思いをした昭和30年代の朝食を作る「お袋の後姿」だ。あの時代、家庭に便利なものはほとんどなかった。一言で表現するなら風景は全てアナログだ。朝食は、精一杯手間隙かけたお袋の手作り。まだ薄暗い早朝から起きて、たっぷり時間をかけて、一所懸命に朝食を作るお袋の後姿に、僕は子供心に感動した。それだけではない。その努力にその都度、感謝の気持を忘れなかったものだ。今思えば、あの後姿は「僕の生きる手本」になったと言い切れる。お陰で、少々のサバイバル生活でもビクともしない自分が今ここにいる、のだ。
僕は思う。今のお母さんは、本当に朝食を作る時間がないのだろうか。あの時代のお袋の苦労を考えれば、今は何もかも便利天国ではないのかとさえ、反発したくなる。ただ、そうではない家庭のお母さんもいることはいる、だろう。なにせこんな社会情勢だ。家計を助ける深夜勤務や早朝出勤などで、朝食を用意する余裕のない家庭も多い筈。しかしそれでも、あのアナログ時代の感覚で言えば、今の方がまし、ではないだろうか。だからこそ僕は、お袋がそうであったように、少々無理してでも子供のために朝食を作って欲しいのだ。
ではこの辺で、今時の「なまくらオカン」の実態を探ってみよう。例えば、いちゃもんの多いテレビの「罪」だ。今の時代、朝食を作っても作らなくても、家事の後には休憩と称するテレビタイムの存在がある。これは便利さの極めつけだ。と同時に、なまくらの極めつけの媒体でもある。その前でゴロゴロし、ことによっては主人が帰る深夜にまで無為な時間を過ごそう、と思えば誰にでも可能だ。それを正当化する言い訳もたくさんある。身体が疲れている、友達との付き合い、などなど都合のいい言い訳で、お母さん自身がテレビの虜になってはいないだろうか?
そのテレビも、例えば「お馬鹿キャラ」を売りものにしたウケ狙い、視聴率優先の安易な番組が多過ぎる。そんな無知を正当化する価値観を植え付ける番組を見ているから、それこそ自分も己のなまくらを正当化する生活習慣に陥ってしまうのだ。そんな乱れた親の習性を、子供は常に小さな目で観察している。このことを、お母さんは想起すべきだ。このような親の怠慢は、子供に悪影響を及ぼすのは確実だ。
そして、結論としてもう一つこういうことが言える。子供が朝食をとって登校するには、お母さんの早寝早起きが必要。朝食を食べればすぐに学力は向上しないが、これを継続すると、相対的に見て双方ともこの生活リズムが習慣になり、子供の学習意欲も増す。こういうことだ。まさに、朝食作りは(お母さんも含めて)学力向上の柱なのだ。その土台となるのが、朝食を作るお母さんの姿だ。それにお母さんは、朝食を作ることによって自分の健康も守れる。つまり、朝食作りは一石二鳥の効果がある、ということなのだ。
子供だけでなく、朝食をとる大学生は、そうでない大学生よりも英語の成績が良い、という研究成果をまとめた岐阜大の教授がいる。この教授は、朝食をとる子供は学業が優れているという教育関係者の指摘を確かめようと、学生とともに調査したらしい。こんな成果が出れば、僕はもう「朝食効果」を疑う余地はない。これからは、グローバルな世の中に対応出来る若い人材が是非とも必要だ。その登竜門として、語学堪能なバイリンガルがもっと育って欲しいものだと思う。そして、朝食で培われた英語力で、もっともっと世界へ旅をして欲しいと僕は願う。
「朝食作りで生きる姿を我が子に示せ」 これを合言葉に「失われた朝食」が日本全体に復活すればそれで僕は満腹、いや、満足だ。それにこれは、かつてあった日本家庭の原風景。その意味でも、僕は熱が入る。もっと言えば、僕は安全・安心な日本の食材を使った朝食が絶対ベスト、だと思う。あの篤姫に成り代わって僕は言いたい。「日本のお母さん達よ、美味しい朝食作りをどうか頼みますぞ!!」 子供達もケータイで、器が小さくなるミジメなKY君になっている時ではない。これだけ物騒な世の中、家で朝食を食べられるだけでも幸せだと思って、思う存分お袋の味を楽しもうではないか。
もうすぐお正月だ。皆さん、大掃除、年賀状はもうお済みだろうか。明けて、一年の計は元旦にあり。家族、親戚が揃う団らんの場で、子供達とともに朝食の良さも是非語り合ってもらいたい。僕もそうだが、人によってはこの年末年始は長い長い連休だ。このお休みこそ、日頃の生活習慣を見直すまたとない絶好の機会だ、と認識してグータラ、グータラ、食っちゃ寝ー、食っちゃ寝ーせずに、有意義に過ごされることを僕は願っている。また、このような生活の根源を成す食の話題で、今年のこのブログを無事終えられたことに、僕自身一抹の喜びを感じてもいる。この際、ベートーベンの第九でも歌おうか。でも僕のブログは悪いことだらけの「/」だしなあ。
さあ、いよいよ最後になった。「朝食」のような「食」に思いを馳せる年末年始も良いが、アナログを再発見する年末年始もまた、それ以上に良い。僕に関して言えば、年末には黒門市場でお節の具を買い込み、実家でお餅を搗(つ)いて、玄関を門松としめ縄で飾る。大晦日には、除夜の鐘を聴きながら、年越し蕎麦を食べ、「NHK紅白歌合戦」を見て、その後の「行く年来る年」で時報が「プッ、プッ、プウー」と鳴ったその瞬間、両手を合わせて「明けましておめでとう、今年もいいことがありますように」と天に向かって祈る。
正月三が日は、お雑煮を食べ、テレビで駅伝を見る。中でも「箱根駅伝」は一番の楽しみだ。それが終わると、伏見稲荷に初詣。その合間には戸外で駒回し、羽根つき、凧揚げなどで汗を流す。ミカンとセットになっている温かい炬燵では、人生ゲーム、野球盤、カルタとり、双六ゲームなどを楽しむ。という「かつてあった定番の年末年始」もサイコーにいいのではないか、とつくづく思う。
そんなアナログの良さを今回も大事にしたい。 実はこの期間、僕は今書いたことを極力実行しようと決めている。これは「時代遅れだ」とデジタル信仰者に言われそうだが、この気概こそ、日本の「チェンジ」に通ずる行動の一端なのだ、と僕は心底そう感じている。再度宣言する。来年は「夢をかなえるゾウ」とばかりあまり気張らずに、新生真弓阪神タイガースの来季のスローガンである「一瞬に集中」して、「身の丈に合った生活」に専念したい。勿論、今日書いた朝食抜きの罪と罰も十分意識して。
僕の好きな歌に谷村新司さんの「昴」がある。その谷村さんが、同名のエッセイを書き上げた。内容はともかく、僕の好きなこの曲は、「生きる無駄、生きた無駄が一つもない歌」だ。「人生万事塞翁が馬」 この馬を牛に乗り換えて、上を向いてゆっくり歩む。これも強いて言えば、僕の来年の目標だ。今年の紅白歌合戦の赤組のトリは、僕と同い年の和田アキ子さんの「夢」 みんな夢を持って生きよう。そうすればいつか夢はかなう。これを第二のメッセージとしておこう。
ところでこのブログ、次週は都合で「お休み」としたい。なので、読者との再会は来年の1月10日以降だ。よろしくお願いする。さあ、さあ、ついに今年ともお別れだ。皆さん、ノロマの牛のようにグータラ、グータラせず、年末年始をどうか有意義に。そして、良いお年を。来年またお会いしよう。お元気で。
僕の今年は、決して有終の美を飾れたとは言えない。でも、あれやこれやと不満を口にしつつも、こうやって大過なく無事「おおつごもり」を迎えられるということ自体、今の僕の身の丈に合う有終であった、と思いたい気持がどこかにある。そういう意味で、今年の鼠君には何となく感謝、感謝だ。
紅葉の後の落葉で我々の目を楽しませてくれた葉っぱ君も、無事土に還った。近くの公園や家々の植え込みにある冬の花も、決して華やかさはないが、さんさんと降り注ぐ太陽の木漏れ日を浴びて、控え目に、かつ質素に、インディアンサマー(小春日和)の自然界に溶け込んでいる。その花の名は、椿、サザンカ、柊、枇杷などなど。それらの花の蜜を求める愛らしいメジロが、樹上で軽快なメロディーを奏でている。一緒に戯れるのはシジュウカラだ。傍らでスズメも遊んでいる。「我と来て遊べや親のない雀」
その風景の中に居て、ふと僕は思った。我は今、独り身だ。この先、天涯孤独になるかも知れないけれど、こんな世知辛い世の中、こうして人の世のしがらみを忘れてささやかな自然を楽しむ、ことを今後の我が喜び、として生きて行こうと。そんな気持を強く抱かせるこんな都会の中の小さな自然は、心の安らぎを与えてくれる何物にも代え難い癒しの場だ。僕はこの心温まる風景に、寒さなんか一つも感じない。
なので、僕は決めた。してその心は、「来年は、丑(牛)のようにゆっくりと歩んで行こう。そして、ゆっくりともの言わぬ自然を楽しもう」である。そこで思い出すのが「牛に引かれて善光寺参り」の「善光寺」だ。善光寺は、長野市街の北の高地に南面する位置にある。大きな仁王門をくぐると、山門を望む仲見世通りがある。ここの雰囲気は良い。7世紀後半の建立と伝えられるこの名刹は、古来いずれの宗派にも属さずあらゆる人々に開かれた大寺だ。また、女人禁制の寺が多い中で、女人往生を説いた寺としても知られていて、誰もが極楽往生出来るとする寺の教えは広く大衆に支持されている。以来、全国に200以上も「ゆかりの寺」が誕生するまでになった。
民衆の心をとらえたこの寺を、源頼朝や北条氏、徳川家康などの歴史上の人物が厚く庇護したという。僕は、またここにお参りに行きたくなった。個人的に言えば、ここの「戒壇巡り」が僕は好きだ。御堂の下が暗くて周囲が見えないことをいいことにして、あわよくば隣のカワイコちゃんに軽くタッチ出来る、という楽しみがある。でも、何と言ってもこの寺の良さは、「牛に引かれて」の伝説と、まるで「みすずかる信濃の国」の「善光寺平」を包み込むかのような器の広さを感じさせるところにある、と僕は思う。言わば、善光寺は信濃の国のお母さんだ。
では、ここでクイズだ。信濃の国のお母さん、善光寺の近くには昔、「善光寺宿」があった。現在の長野市中央通り界隈だ。ここには、「春風や牛に引かれて善光寺」の句碑がある。さて、この句はいったい誰の句か? ・・・・・。正解は「小林一茶」だ。彼も信濃出身の俳人で、句集「おらが春」はあまりにも有名。冒頭に書いた「雀の句」も、実は彼の作品だ。彼は「田舎者」を自負し、それゆえの反骨心で数々の名句が生まれたという。この因縁を背負い、大阪人の僕も、来年の干支である牛に引かれる思いで生きて行こう。と、またまた決意した次第だ。
現世の日本を俯瞰すると、それにしてもジリ貧の年の瀬になったもんだ、と痛感する。自動車業界の一瞬の転落、建設業界の倒産多発、医師不足の悲劇など暗いニュースが連日報道されている。一番深刻なのは「雇用情勢」だ。この突然の大不況で、街には身寄りのない失業者が激増している。12月24日、クリスマスイブの朝日新聞「天声人語」には、こう記されていた。「誰にでも公平にめぐる季節は、時に残酷だ。どこのきずなにもつながらぬ不安、明日への絶望が路傍にあふれ始めた。そうしたものを包み込む社会の深さが試されている」と。
そうではないか。企業の無責任さもあるが、今この国の政治家に問われているのは、ボランティアの炊き出しに集まるホームレスなど、社会からこぼれ落ちそうになっている貧困者を、一刻も早く救済すること、なのだ。にもかかわらず、小手先、口先だけの策に終始して、与野党とも未だ迅速な対応をしていない。ばかりか、相変わらず党利党略にこだわって、何一つ具体的な行動を示していない。こんな窮地の時こそ、国の司が一丸となり、牛歩ではなく猪突猛進して、弱者救済という大目標に向かって努力するのが本筋だろう。また、それが政治家の役目だ。なのに彼らは、遅々として動きが鈍く旧態依然とした姿からの脱却を図れていない。
国や企業の人災の被害者と言えるこれらの人々にとって、これから迎える年末年始は、助け舟のない長い休日で仕事が見つからないという「絶望の淵」の期間だ。その実情を知っていて知らん顔する、とはなにごとぞ。けしからん。「義を見てせざるは勇なきなり」だ。僕は、政治家や企業トップにこう叫びたい。もう一度言う。「おい君ら、彼らは無事年を越せるのか!? 君らこそ正月休みを返上して、素早くことに当たれ!!」
今日も嫌味な巷のしがらみ(飯島愛さんの孤独死だけはビックリした)は、これだけにしたい。が、もう一つ是非これだけは書いておきたい、という思いで記す。イラクでブッシュ米大統領が「靴投げ」の洗礼を受けた。記者会見での出来事だ。イラク戦争や歪んだ経済で、世界に混乱と怨念を撒き散らしたのは、他でもないブッシュ本人。イラク記者のこんな感情的な行動も、当然と言えば当然だろう。僕はそう思う。
僕の大好きなスキーでは、「ブッシュ」とは「草や木、岩や地肌などの障害物」を指す。なので、スキーヤーはここを避けて滑る。つまり邪魔者だ。こんな危険な「障害物競走」を世界の国々に強いたブッシュは、文字通り自業自得の嫌われ者、そのものだ。幸いにも彼は、昔鍛えたさすがの反射神経(僕並み?)で靴の因縁弾をかわし難を逃れたが、これはある意味、今のアメリカを象徴する姿だろう。日本の中にも、あのテレビの場面を痛快感を持って眺めた人は多い筈だ。そんな心境になって、今年最後のブログをスタートさせる。テーマは、今日も「食」だ。
今年も「変」と「偽」という漢字に代表される「食」にまつわる不祥事が多かった。なので、食害が多い今年の干支、鼠に因んだこの話題で締めくくりたいと思う。高度経済成長期以降の日本の食を振り返ってみると、大量生産、大量消費を美徳とするアメリカ一辺倒の「市場原理至上主義社会」を、ただ闇雲に、しかも足早に歩んで来たように僕は感じる。来年の干支である牛のように、どうしてもっとゆっくり歩めなかったものか、とも思う。
それはともかく、日本はこの間いくつかのショックを乗り越えたところで、バブル崩壊という壁にぶち当たり、それをやっとこさ脱出したと思いきや、今度は100年に1度と言われる世界金融危機の大津波をモロに被っている状態だ。この発端は、米国発のサブプライム問題という、言わば「バクチまがい」のリスクを伴う証券化商品だった。これは極めて馬鹿馬鹿しく腹立たしい悪銭のネタで、僕は呆れ果ててものも言えない気持ちになる。このような経済の大波小波を受けながら、「化けの皮が剥がれた日本の食」も落ちるところまで落ちた、という印象が僕にはある。
こうした状況の中で迎えた年の瀬。日本人は今、食の面でも、それが我が道だと認識していたアメリカ型の生き方に、大きな不信感を持つようになった。そして今後は、アメリカの道以外の新しい我が道に「チェンジ」する術(すべ)を早く見つけなければならない、という感情が徐々に高まりつつあるのだ。これは、当然の成り行き、ではないだろうか。なぜなら、英語と日本語の違いでも分かる通り、食に関しても、弱肉強食の狩猟民族であるアメリカと、古来から慈悲の人徳を育んで来た農耕民族の日本人とでは考え方(世界観)が根底から大きく違う。勿論、国のキャパも月とスッポンだ。だから、何から何までアメリカに追随すること自体、初めから無理があったのだ。こんな認識が僕にはあるし、今や日本中に蔓延する食の崩壊現象も、その延長線上の出来事ではないだろうか。
戦後日本人は「夢を持って生きていれば、自分は何をすべきかが見えて来る」と思っていたかどうかは別として、そう思わせる方向に、アメリカ様に無理やり先導させられたのだ。その結果、あまりに深みにはまり過ぎて我が人徳を忘れ、金の値打ちが人生を豊かにするという間違った幸福感を植え付けられた。この歪んだ心の持ち方の問題が致命傷となり、真の豊かさを追求する姿勢を失わせた、とも言えるだろう。だが、その姿勢から距離を置きつつある今、日本人全ての心の中に、いったい真の豊かさとは何ぞや、という冷めた冷静な目が芽生えて来たのはいいことだ。それはすなわち、未来に向けて一歩前進した姿と言うべきで、そういう時代感覚こそ、日本人には一番相応しい価値観ではないだろうか。
例えばこんな目で、今日のテーマである食を見つめることは最良だ、と僕は感じている。それに、今はもう「消費は美徳だ」と言われる時代ではない。また、こんな不景気な時代は、今までの無駄、贅沢といった飽食の負の遺産を削ぎ落とす「再出発のいい好機」だ。と、ここまで少々抽象的でピントがずれた余計なことを書き過ぎたキライはあるが、日本の質の良い食を見直すためには、我々自身が生きた過去をこうして振り返ることが重要なこと、なのだ。
作家の五木寛之さんは、ある著書の中で、「おい、地獄さ行(え)ぐんだで」で始まる小林多喜二の「蟹工船」が若者の間で読まれていることを例に挙げ、「(今の時代は)本当に地獄が近づいて来たことが実感としてあるのかも知れない」と述べている。我が尊敬する五木さんのこの言葉に反発する訳ではないが、僕はここまでの悲愴感はない。むしろ、さっき書いた通りこんな地獄のような闇の時代だからこそ、はっきりと見えて来るものがあるのだ、とそう信じたい。
若者がこんな感覚にさいなまれるのも、この国のアメリカ迎合主義の弊害だろう。また、こうやって日本の食の過去を振り返ってみても、企業、国、社会がアメリカとの蜜月関係の中で、私益の追求に走り過ぎた。と、思う。特にここ数年は、その歪みが目立ち過ぎだ。解決策として、この混沌とした閉塞感漂う日本を俯瞰した時、その僅かな隙間から希望の星を見つけて懸命に漕ぎ出すことが寛容だ。これが、日本丸の採るべき近未来の針路。だから、そういう意味で今の日本人の冷めた目は、ごく自然な帰結現象かも知れない。
そんな冷めた目で日本の食を見た場合、数々の「偽」もさることながら、ごく身近にある「失われた食の生活習慣」に、僕は深い疑問を持っている。何か? それは、「朝食」だ。この朝食を抜きにしている家庭が増えていると聞く。しかも、それだけではない。最近の調査で、朝食抜きの功罪の罪の部分が大きくクローズアップされた。その罪とは何か? それは「学力」だ。大阪府が実施した全国学力調査と生活習慣調査の結果、朝食を毎日とる子供の割合が多いほど「平均正答率が高い」傾向がうかがえたという。つまり、朝食抜きの子供は、腹ペコで授業に集中出来ない、ことが明らかになった。ということは、大阪流に言えば「朝食抜きの子供はアホ」なのだ。
これは困ったことだ。またまた、大阪から発信するアホな情報が発覚した。この原因については、様々なウワサがある。親が忙しい、家庭生活が多様化した、外食が増えたなどなど。また、貧富の格差もあるだろう。でも、僕に言わせれば、これもアメリカ型の社会にたっぷり浸り過ぎ、日本家庭の朝の一手間が便利さの中に葬り去られたことがその根源にある、ということだと思う。もっと分かりやすく言えば、日本家庭の柱である親がみんな「なまくら」になってしまった、ズバリこれしかない。と、思う。
子供は、何時の世も親の行動、親の言葉を見聞きしながら、己の生きる術を学ぶ。つまり「親の後姿」を子供は常に彼らなりの視線で観察し、小さな生活の参考にしているのだ。手っ取り早い結論としては、これは「なまくらになった親を子供が見て、自分自身もなまくら坊主になった」ということではないだろうか。
評論家の意表をついてもう少し違った見方をすれば、例えば今の子供は柔軟性のない「デジタル思考」の線の細いガキが多い。そのデジタルは、究極的に言えば0か1しかない世界だ。ゲーム機、ケータイ、コンピューター。これらデジタル特有の世界は、大抵AかBかの選択肢、もしくは勝者か敗者の選択肢、しかない。これを、子供は指一本で巧みに操る。こんなゲーム感覚しか持っていない子供が、お母さん(あるいはお父さん)のなまくらな後姿を見た場合、ただ単純にAかBの評価に陥りやすい。こうしていとも簡単に一面的なデジタル思考した子供は、即座に「朝食を作らない僕の親はダメ」と決め付ける。僕は、現実としてこんな子供の思考回路を想定している。一方で、もしも子供にアナログの思考回路があれば、この短絡的思考は弱められる可能性がある、とも思う。
いずれにしてもこんな問題あり、の家庭では、その理由はともかく、きっと親は寝ていたり、グータラ、グータラしているのだろう。そして、親のこんな姿を見た柔軟性のない子供は、益々反発心が募る。その結果、勉強への意欲が低下するのだ。そんな気持に不都合なプラスアルファーがある。それが、前述した授業中にお腹が空くという生理現象だ。お腹が空けば当然集中力や記憶力も低下する。大人と違って、子供の頭脳は単純明快だ。そして、ついに「勉強なんかもうエエわ」となるのでは? このような親のアホが子供のアホを呼び込む構図が、あるのではないだろうか。
このことは、正論でないかも知れないし、アホになった全ての子供に当てはまる訳ではないが、これに関して僕は思い当たるフシがある。それは、いつかのブログに書いた通り僕自身の経験で言えば、現在のような飽食の時代ではなく、国民全体がひもじい思いをした昭和30年代の朝食を作る「お袋の後姿」だ。あの時代、家庭に便利なものはほとんどなかった。一言で表現するなら風景は全てアナログだ。朝食は、精一杯手間隙かけたお袋の手作り。まだ薄暗い早朝から起きて、たっぷり時間をかけて、一所懸命に朝食を作るお袋の後姿に、僕は子供心に感動した。それだけではない。その努力にその都度、感謝の気持を忘れなかったものだ。今思えば、あの後姿は「僕の生きる手本」になったと言い切れる。お陰で、少々のサバイバル生活でもビクともしない自分が今ここにいる、のだ。
僕は思う。今のお母さんは、本当に朝食を作る時間がないのだろうか。あの時代のお袋の苦労を考えれば、今は何もかも便利天国ではないのかとさえ、反発したくなる。ただ、そうではない家庭のお母さんもいることはいる、だろう。なにせこんな社会情勢だ。家計を助ける深夜勤務や早朝出勤などで、朝食を用意する余裕のない家庭も多い筈。しかしそれでも、あのアナログ時代の感覚で言えば、今の方がまし、ではないだろうか。だからこそ僕は、お袋がそうであったように、少々無理してでも子供のために朝食を作って欲しいのだ。
ではこの辺で、今時の「なまくらオカン」の実態を探ってみよう。例えば、いちゃもんの多いテレビの「罪」だ。今の時代、朝食を作っても作らなくても、家事の後には休憩と称するテレビタイムの存在がある。これは便利さの極めつけだ。と同時に、なまくらの極めつけの媒体でもある。その前でゴロゴロし、ことによっては主人が帰る深夜にまで無為な時間を過ごそう、と思えば誰にでも可能だ。それを正当化する言い訳もたくさんある。身体が疲れている、友達との付き合い、などなど都合のいい言い訳で、お母さん自身がテレビの虜になってはいないだろうか?
そのテレビも、例えば「お馬鹿キャラ」を売りものにしたウケ狙い、視聴率優先の安易な番組が多過ぎる。そんな無知を正当化する価値観を植え付ける番組を見ているから、それこそ自分も己のなまくらを正当化する生活習慣に陥ってしまうのだ。そんな乱れた親の習性を、子供は常に小さな目で観察している。このことを、お母さんは想起すべきだ。このような親の怠慢は、子供に悪影響を及ぼすのは確実だ。
そして、結論としてもう一つこういうことが言える。子供が朝食をとって登校するには、お母さんの早寝早起きが必要。朝食を食べればすぐに学力は向上しないが、これを継続すると、相対的に見て双方ともこの生活リズムが習慣になり、子供の学習意欲も増す。こういうことだ。まさに、朝食作りは(お母さんも含めて)学力向上の柱なのだ。その土台となるのが、朝食を作るお母さんの姿だ。それにお母さんは、朝食を作ることによって自分の健康も守れる。つまり、朝食作りは一石二鳥の効果がある、ということなのだ。
子供だけでなく、朝食をとる大学生は、そうでない大学生よりも英語の成績が良い、という研究成果をまとめた岐阜大の教授がいる。この教授は、朝食をとる子供は学業が優れているという教育関係者の指摘を確かめようと、学生とともに調査したらしい。こんな成果が出れば、僕はもう「朝食効果」を疑う余地はない。これからは、グローバルな世の中に対応出来る若い人材が是非とも必要だ。その登竜門として、語学堪能なバイリンガルがもっと育って欲しいものだと思う。そして、朝食で培われた英語力で、もっともっと世界へ旅をして欲しいと僕は願う。
「朝食作りで生きる姿を我が子に示せ」 これを合言葉に「失われた朝食」が日本全体に復活すればそれで僕は満腹、いや、満足だ。それにこれは、かつてあった日本家庭の原風景。その意味でも、僕は熱が入る。もっと言えば、僕は安全・安心な日本の食材を使った朝食が絶対ベスト、だと思う。あの篤姫に成り代わって僕は言いたい。「日本のお母さん達よ、美味しい朝食作りをどうか頼みますぞ!!」 子供達もケータイで、器が小さくなるミジメなKY君になっている時ではない。これだけ物騒な世の中、家で朝食を食べられるだけでも幸せだと思って、思う存分お袋の味を楽しもうではないか。
もうすぐお正月だ。皆さん、大掃除、年賀状はもうお済みだろうか。明けて、一年の計は元旦にあり。家族、親戚が揃う団らんの場で、子供達とともに朝食の良さも是非語り合ってもらいたい。僕もそうだが、人によってはこの年末年始は長い長い連休だ。このお休みこそ、日頃の生活習慣を見直すまたとない絶好の機会だ、と認識してグータラ、グータラ、食っちゃ寝ー、食っちゃ寝ーせずに、有意義に過ごされることを僕は願っている。また、このような生活の根源を成す食の話題で、今年のこのブログを無事終えられたことに、僕自身一抹の喜びを感じてもいる。この際、ベートーベンの第九でも歌おうか。でも僕のブログは悪いことだらけの「/」だしなあ。
さあ、いよいよ最後になった。「朝食」のような「食」に思いを馳せる年末年始も良いが、アナログを再発見する年末年始もまた、それ以上に良い。僕に関して言えば、年末には黒門市場でお節の具を買い込み、実家でお餅を搗(つ)いて、玄関を門松としめ縄で飾る。大晦日には、除夜の鐘を聴きながら、年越し蕎麦を食べ、「NHK紅白歌合戦」を見て、その後の「行く年来る年」で時報が「プッ、プッ、プウー」と鳴ったその瞬間、両手を合わせて「明けましておめでとう、今年もいいことがありますように」と天に向かって祈る。
正月三が日は、お雑煮を食べ、テレビで駅伝を見る。中でも「箱根駅伝」は一番の楽しみだ。それが終わると、伏見稲荷に初詣。その合間には戸外で駒回し、羽根つき、凧揚げなどで汗を流す。ミカンとセットになっている温かい炬燵では、人生ゲーム、野球盤、カルタとり、双六ゲームなどを楽しむ。という「かつてあった定番の年末年始」もサイコーにいいのではないか、とつくづく思う。
そんなアナログの良さを今回も大事にしたい。 実はこの期間、僕は今書いたことを極力実行しようと決めている。これは「時代遅れだ」とデジタル信仰者に言われそうだが、この気概こそ、日本の「チェンジ」に通ずる行動の一端なのだ、と僕は心底そう感じている。再度宣言する。来年は「夢をかなえるゾウ」とばかりあまり気張らずに、新生真弓阪神タイガースの来季のスローガンである「一瞬に集中」して、「身の丈に合った生活」に専念したい。勿論、今日書いた朝食抜きの罪と罰も十分意識して。
僕の好きな歌に谷村新司さんの「昴」がある。その谷村さんが、同名のエッセイを書き上げた。内容はともかく、僕の好きなこの曲は、「生きる無駄、生きた無駄が一つもない歌」だ。「人生万事塞翁が馬」 この馬を牛に乗り換えて、上を向いてゆっくり歩む。これも強いて言えば、僕の来年の目標だ。今年の紅白歌合戦の赤組のトリは、僕と同い年の和田アキ子さんの「夢」 みんな夢を持って生きよう。そうすればいつか夢はかなう。これを第二のメッセージとしておこう。
ところでこのブログ、次週は都合で「お休み」としたい。なので、読者との再会は来年の1月10日以降だ。よろしくお願いする。さあ、さあ、ついに今年ともお別れだ。皆さん、ノロマの牛のようにグータラ、グータラせず、年末年始をどうか有意義に。そして、良いお年を。来年またお会いしよう。お元気で。