「/(スラッシュ)」

ナニワのオッサン 怒りのエッセイ!!

/122.木曽路の教訓(流しそうめんと輝く星座)

2007-08-26 11:49:57 | Weblog
 地蔵盆の釣提灯の淡いオレンジ色、ヒマワリの太陽色がまだまだ眩しいが、今の心境は早く秋が来て欲しい、ただその一言だ。 盆明けの年間最大需要に耐え切れず、東京電力がついに電力カット要請に踏み切った。今までの色んなツケが回った感じだ。 せこい話、老人介護のグッドウィルに、派遣労働者が不当なピンハネ分返還要求。妥当な判断だろう。ワーキングプアに勝利を!! ウィシャルオーバーカム、サムデイ。 シャープ液晶大型テレビ、ついに幅2センチの最薄。これも驚異の世界だ。 ファミコン言葉があるという。「~でよろしかったでしょうか」「~になります」 ファミレスやコンビニ店員のあの不愉快な迷惑語を指すらしい。何でもかんでも造語になる昨今、造語の数なら僕も負けない。

 人は、思っている以上にネットワークが狭い。何時も同じ様な人と話をしていても、新しい発想はなかなか生まれて来ない。また、似た様な境遇の人達と話をしていたのでは、生きるヒントも得られないし学ぶことも少ない。これ、今の僕の実感。 太田大阪府知事は、世界陸上が始まった大阪を世界的観光地にすると言うが、気になるのは、あの外国人旅行者の玄関口、関西空港から大阪市内に向かう湾岸道路周辺の醜い風景だ。あれを見れば、第一印象はきっと悪い。この点、太田さん、早く気付いて欲しい。観光地も、人は見た目が9割だ。 僕の大好きな我々世代の青春の巨匠、森田健作さんは、「青春の勲章は、くじけない心だ」と自信満々に謳(うた)った。 あれから40年、今の僕の勲章はいったい何だろう。一つ年上の健作さんの様に、何時までも若い心を持ちたいものだ。今日はそんなくじけない若い心を持った、オジサン2人の青春旅行記だ。

 2人のオジサンとは、僕と競馬の調教師になり損ねたという手先の器用な僕の友人だ。その2人が、盆休みの平凡な生活パターンを変えようと、日本列島が猛暑に襲われた14~16日にかけて、危ない車で木曽路を訪ねた。
 今回巡ったのは、木曽路はすべて山の中、木曽十一宿の中でも北から2番目にあたる奈良井宿から木曽福島、そして、蕎麦畑の向こうに雄大な御嶽山が望まれる開田高原だ。奈良井宿は、山深いところにあり標高は1000メートル足らず。開田高原は、1200~1300メートルで本来は涼しい筈なのに、想像通り猛暑の影響で日中は暑かった。だけど、木曽路を巡る僕の心は熱かった。

 京と江戸を結ぶ中山道69宿の要所奈良井は、江戸時代、旅籠や問屋などが軒を並べ、「奈良井千軒」と呼ばれたほど賑わいをみせた。宿場町の面影を残す旧街道沿いには、酒屋の杉玉(酒林)、旅籠の軒灯、千本格子、くぐり戸などの由緒ある家並みが続く。豊富な木材を利用した伝統工芸品も多く、特に木櫛(きぐし)に漆をほどこした美しい「塗り櫛」は女性に人気がある土産物だ。
 奈良井の町も、南木曽の妻籠や馬籠と同じく国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、その歴史的風土に触れるだけでも大きな価値がある。旧街道をぶらり歩いていると、よくありがちな観光用に整備された町ではなく、派手さはないが、今も人々がじっくりと質素に生きている町といった生活感があり、かつ町自体に言い様のない風格がある。イタリアの芸術の都フィレンツェから取材スタッフが来て、長期間滞在したというエピソードもうなづける。

 奈良井宿が賑わったのは、南に木曽路最大の難所とされた標高1200メートルに近いある峠があったからだ。ここでクイズだ。その峠の名前は何か? ・・・・・。正解は「鳥居峠」 この峠は、太平洋に流れる木曽川と日本海に流れる日本一の大河、信濃川の支流である奈良井川、梓川、犀川、千曲川などの分水嶺にあたるところだ。それを想うと、中山道の石畳が一部復元された峠道も僕には癒しの道だった。急坂も全く気にならない。僕はこの峠に昔から興味があったが、何故か訪れたことがなかったので、往時の旅人を偲びながら感動もひとしおだった。峠から次の宿、薮原まではすぐだ。再度奈良井宿に引き返し、辛うじて泊まれた旅籠の木曽の檜風呂は、臭いも雰囲気も最高だった。これが一日目。

 先を急ごう。二日目は、R19で「入り鉄砲に出女」の福島関所跡へ。木曽福島も宿場町として栄えたが、どちらかと言えば木曽路の行政の中心としての役割が大きい。木曽川に張り出す様に建てられた、生々しい崖屋(がけや)造りの家々は未だ健在で懐かしかった。この後、R361で開田高原に向かった。
 開田高原は、白い可憐な花をつけた蕎麦畑の清涼感を運んでくれる風景もステキだが、何といっても圧巻は、遠望する標高3067メートルの霊峰御嶽山だ。中央に主峰・剣ヶ峰、周囲には摩利支天(まりしてん)山などの外輪山を従え、堂々たる存在感で眼前に迫ってくる。この摩利支天山のネーミングに僕は興味があった。それは、北アルプス剣岳の三の窓付近の「クレオパトラニードル」という岩峰と同じく、印象に残る女性的な名前だったからだ。摩利支天よ永遠なれ!! この開田高原で「一泊」して、翌日木曽川沿いを寄り道しながら、猛暑の中を大阪に帰った。

 この二泊三日の「思いつき速実行旅」の中で、面白いことが二つあった。と言うより、自ら演出したという方が正しいのかも知れない。一つは、開田高原付近の王滝川支流のまた支流、名もなき清流での「そうめん流し」だ。僕の好きなブランド「揖保の糸」を中央アルプスの冷たい清流で流そうと、適当なところで車を止め、予め用意した約1メートルの青竹の半筒2本を手に、いいオジサン2人が名もなき清流を遡るが、いい場所がなかなか見つからない。やっと見つけた絶好のそうめん流しポイント。だが、好きなヤツは必ずいるものだ。そこには、先着の若者、アベックがいた。でも、腹がもう限界。ここをそうめん昼食の場所と決め、川の片隅に竹筒をセット。出来た!! 見事な約2メートルの段差付きそうめん流し台だ。
 次は、携帯ガスコンロに平鍋をセット、川水を沸騰させ揖保の糸をゆでる。そうめんをザルに入れ、清流で冷やす。そうめんつゆも。さあ、スタンバイ完了だ。この2メートルのそうめん流し、自然の風景に見事にマッチングして、雰囲気にピッタリの本格味だ。そうめんをワンサカ持参したので、若者にもアベックにも賞味してもらったが、これがまた大好評だった。

 もう一つは、開田高原付近(あまり声を大にして言えないので、付近とする)での、星空見物と野宿だ。怪しかった雲行きも夜半前になると万事休す。ここにも先人がいたが、闇夜のこと、いちいち気にしていられない。路上にテントシートを広げ、敷きパットをしいて、枕を頭に「見あげてごらん夜の星を」 おっと、その前に中年線香花火大会だ。目立たずそれでいて雰囲気抜群と思いきや、あまりの優雅さにまたまた人が集まって来た。これも大好評で、特に女の子は大絶賛の嵐だ。
 夜のしじまの星空もロマンチックだった。場所柄、満天の星とミルキーウェイとは行かないまでも、この路上泊、手を変え、品を替え、酒も混じって、女も混じって、永遠御来光まで盛り上がってしまった。皆さんもひそみに隠れて一度やってみては。 以上何があるか分からない面白かった出来事だ。

 しかし、このまま終わってしまったのでは、今日の「/」は成り立たない。よって、遅ればせながら「/」を書くことにする。今回の旅で、気になったことが一つある。それは、旅籠宿の主人が、夕食中にはからずもしみじみと語った次の言葉だ。「奈良井の宿も、妻籠や馬籠の宿も伝統的な木曽路の風景、風土を守りながら、誠心誠意お客さんと接しているつもりですが、一部の観光客の心ない発言には何時も失望感を覚えます」
 どこの観光地にも、旅のマナーが不足している観光客はいることは確かだ。僕も国内外を問わず、ありとあらゆるところでそんなシーンを見て来た。が、この奈良井宿に限って言えば、いかにも豪華絢爛な「お祭り騒ぎ的物見遊山」を期待しているお客さんはいない筈だ。また、木曽路はそんなコンセプトの観光地ではない。と理解していたが、あに図らんや、そんなこの場の雰囲気に似合わない、とんでもなく身勝手な客がまだまだ後を絶たないのだそうだ。 僕は思う。誰でも自分の思い描く旅のシナリオはある。しかしそのシナリオは、行く先々の宿のコンセプトによって変わっていくべきものなのだ。また、そうすることが旅のマナーだろう。

 例えば、伝統的保存地区を残す奈良井宿に泊まって、巷でよくありがちな酒宴の席にコンパニオンを呼んで、魚などの豪華船盛り料理に舌鼓を打ち、ドンチャン騒ぎをした後、大露天風呂で優雅に過ごすなどというセッティングは、到底不可能なことだ。こんなことは始めから分かり切っている。それを無視して、過剰サービスを求める客や、些細なことにいちいちいちゃもんをつけるご都合主義の客。こんな客は、客として最低ではないだろうか。それに、この様なその場外れの身勝手な客の態度は、見ていても醜いものだ。

 あのフィレンツェにも匹敵する風土を持つ奈良井の非日常の中に、普段の日常の悪態をそっくりそのまま持ち込んだかの様な旅人。これは、旅人と言うより、日常そのものの俗世間人の風景だろう。「じゃあ、君達は何故旅に出るんだ」 僕は思わずこう叫びたくなる。非日常の中で、日頃の生活感を出し過ぎるのも考えものだ。これがもし、旅人のマナーに厳しいドイツなどの宿泊地であれば、「ご不満なら、もう帰って下さい」 という結果になるだろう。

 宿の主人はこうも言った。「今は奈良井のどこの宿も、木曽路の伝統を守りながら、生き残りを賭けているんです。生活がかかっているんです。よく企業の人が、生き残りを賭けた戦いと言いますが、あれは間違いです。厳密に言えば、あれは勝ち残りというべきです。僕たちはあれとは違う」
 僕はドキッとした。この人は賢明な人だ。的を得ている。そう思った。バブル以降、日本の観光地も発想の転換を求められている。その言葉通りの発言だ。こんな立派な宿の主人の話を聞けるとは、想像もしていなかっただけに、僕は今回の旅で奈良井の器の広さを知らされた感じがした。このことだけでも大収穫。猛暑の木曽路での、主人の熱いメッセージだった。

 随分とブログが長引いてしまった。僕の趣味の範囲だからかも知れない。もう少し木曽路の話をする。昔、好きだったクイズのファイナルを狙って、もしや? と思い、中山道の木曽十一宿を僕流に丸暗記したことがある。それは、「煮え悩み、気上げ素腹の溝の妻」だ。題して、「我を忘れて悩む妻」 だが、今考えると相当理解に苦しむ。実際の十一宿は、北から、「贄川、奈良井、薮原、宮ノ越、木曽福島、上松、須原、野尻、三留野(みどの)、妻籠、馬籠」だ。丸暗記のお陰で、今もすらすら言えるからまだ大丈夫だ。
 僕は何故覚えようとしたのだろうか。それはやはり木曽路が好きだったからだ。そして、今回の鳥居峠で、曲がりなりにも足掛け40年で「木曽路完全踏破」を達成した。(細かく言えば?が付く。旧街道が確認出来なかった場所やバイクでの走破が含まれている)

 自然を愛する旅人にとって、木曽路はそれこそ山の中という特別の場所だ。僕は他人の旅を干渉する立場にはないが、皆旅のマナーを守って、日本の屋根を貫いて続く、かけがえのない中山道随一の山路を大切にしようではないか。いにしえ人は、山あり谷ありの木曽路を抜けた後、つかの間の開放感を味わったという。僕も今回の旅で、日本海と太平洋の分水嶺の鳥居峠に立って、木曽路完全踏破という開放感を味わった。ただし、名もない清流と御嶽を見渡せる開田高原の自然を少し汚してしまった「そうめん流し」と「輝く星空見物」だけは、「ここだけの話」だ。あれも青春の勲章、僕の「はまり役」だとは思うが。

/121.中華航空機炎上(坂本九ちゃんの空)

2007-08-25 01:22:46 | Weblog
 暑い、火の様な残暑だ。「心頭滅却すれば火もまた涼し」とてもこんな心境にはなれない。よって思考能力もゼロだ。 これだけ暑い夜は、自分の周囲を冷たく、涼しくして寝るのがいいということが今頃になって分かった。例えば、毛布、羽毛布団類はどこかにしまい、寝床は、畳かフローリング上に薄い敷布団にシーツ、掛け布団代わりはタオルケットの軽装備が最適。これは、山小屋の雰囲気で僕に合っている。気がつくのが遅過ぎたが意外に良好だ。しばらく続ける。

 おめでとう三題。 夏の高校野球、緊張の開幕戦からの長い道程を無欲で勝ち進んだ佐賀北高校、優勝おめでとう。がばいパワーの君達は、特待生もいない普通の高校生、すがすがしい県立の星だ。 世界競泳、相変わらず強い平泳ぎの北島康介君、背泳ぎのニューフェース入江君、二人併せて金メダルおめでとう。このイベントにあえて苦情を言わせてもらえば、インタビューなど、水周りに芸能人は不要だ。返って臨場感がなく場がしらける。 24時間テレビの萩本欽ちゃん、猛暑の中、涙の70キロ完走おめでとう。中継は高視聴率、ちょっとショーアップし過ぎだが、国民的人気者を証明した格好だ。

 今日から大阪で世界陸上が始まった。女子棒高跳びのイシンバエワ。「気温と湿度が高いのは覚悟して来た。忘れられない大ジャンプをする」この言葉の力、出場キャンセル組に届け!!  横綱朝青龍は、ズバリぶさいく。師匠も相撲協会もぶさいく。僕は言葉がない。 「お帰りなさいませ、ご主人様」和歌山の県施設を利用したメードカフェが開店断念。メードカフェはカルチャーのひとつ? いや、昔から生き延びる性風俗産業の変形だろう。僕は、業者より県職員に軍配を挙げる。 学校給食に出て来るデザートの夏の定番が「冷凍ミカン」なら、「サラリーマン体操」は、今時NHKの定番らしい。 僕が何時も感心するのが、あの江夏豊さんの野球解説だ。さすが、投球術の天才、言うことも的を得ている。単なる感だけではない、何かがある。

 ニュースステーションで見た観光立国スイスのリゾート、ツェルマットのエコ対策は、並ではなく徹底している。アルプス氷河融解を目のあたりにして、住民が目覚めた結果だという。カールだけの日本も油断禁物だ。 ここで恒例のクイズだ。その哲学的な風貌で「森の賢者」と言われる鳥は何か?・・・・・。正解はフクロウだ。フクロウは昔、神社や民家近くの老木の穴で子育てしていた。日本人も森の生物に目覚めて欲しい気がする。そう言えば、フクロウだけではなく、今頃は雑木林のクヌギやナラなどの広葉樹にはカブトムシ、クワガタ、メンコにちょっと怖いスズメバチもワンサカいて、ギンヤンマやタマムシ、イナゴなどもみんな友達だった。そして、草原に寝転ぶと様々な生物が湧いて出て来た頃が懐かしい。これらは全て飛んだり、跳んだりする鳥や昆虫だが、今日はもっと大きい人工の飛ぶ翼の話だ。

 20日午前、那覇空港で、台湾から到着した中華航空機(ボーイング737ー800型)から煙が立ち上った。そして、日本人を含む乗客・乗員165人が機内から脱出した直後エンジン付近で大爆発、黒煙と共に瞬時に燃え上がり機体は見るも無惨な姿に変わった。 火災原因となった燃料漏れは、右主翼とエンジンの接合部(パイロン)内部で発生した可能性が高い。直近の調査では、右主翼内の燃料タンクにアームのボルトが突き刺さったことが判明した。 この航空機事故は、テレビ報道で見る限り、乗客はまさに間一髪で九死に一生を得たという感が強い。全員無事だったのは奇跡的だ。もし、これが飛行中であったならと思うと、背筋にゾッと悪寒が走る。

 中華航空機と言えば、1994年にエアバス機が名古屋空港で墜落炎上、多数(264人)の犠牲者を出したことはまだ記憶に新しい。98年には、台北国際空港で着陸に失敗し民家に墜落、02年にも、台湾海峡で墜落し、いずれも200人以上が犠牲になっている。断然事故発生率が低いとされている航空機事故が、これだけ連続するのも珍しいし、この台湾から沖縄路線は中華航空の超人気コースだ。それだけに、この際中華航空は、今回の事故の原因究明だけでなく、過去の事例を詳細に分析し、運行体制や乗員教育、航空機整備等再点検が必要だ。そうでないと、一番大事な空の安全は守れない。この点、事故原因を言及しなかった中華航空社長の記者会見は興醒めだった。大丈夫だろうか。

 もう一つ気になったのは、アルミ合金などの素材を使って軽量化を追求し、燃費を向上させた最新鋭機が、今回の様な火災には極めて無力であることだ。「アルミ合金は熱に弱い。初期消火に失敗すればひとたまりもない」という航空関係者の陰の声もある。アルミ合金の一種であるジュラルミンの場合、鉄の3分の1の重さで機体の軽量化には役立つ。しかし、1200度で溶ける鉄に比べ熱に弱く、650度程度で溶け始めるらしい。だから、一度火の手が回ると機体の変形が激しく、自重で崩壊するのも早い。僕は、あっという間に燃え上がる中華航空機の映像を見て、思わずあの悲劇の飛行船「ヒンデンブルグ号(ドイツ)」の最後の姿を想像した。どちらにしても、衝撃的な現場の機体火災と悲喜こもごもの人間模様ではあった。

 日本の航空機事故も、僕の記憶では、しばしば連鎖反応的に発生する。それを考えると今後に「暗雲」で不気味だ。詳細は思い出せないが、あの「上を向いて歩こう」の九ちゃんが逝った、日本航空の「御巣鷹の尾根」の惨劇が特に強く印象に残っている。 離着陸時が一番怖いと言われる航空機事故、その原因には色々な要素があり、事故の種類も多種多様、千差万別だ。が、今回の様に、機体が静止した状態での事故は少数派ではないだろうか。この辺で、僕なりに航空機事故の原因を探ってみることにする。

 一番多いと思われるのは、自然現象、特にシビアーな気象現象が主因となる場合だろう。色々あるが、思いつくままに代表的なものを羅列すれば、例えば、落雷、着氷、乱気流、台風、発達した低気圧や活発な前線、濃い霧や煙霧による視界不良などなどだ。この内、落雷(サンダーストーン)や乱気流(タービュレンス)は、映画でもお馴染みだ。 僕もこの乱気流に巻き込まれた経験がある。遭遇した場所は、三重県と滋賀県境の鈴鹿上空だ。その時は突然航空機が急下降し、しかも左右に激しく揺れた。棚の荷物が客席に飛ぶ。乗員が天井にジャンプする。女性の断末魔の悲鳴。その間数分、一瞬死を覚悟した。機体が地上に落ちればまず助かるまい。気が動転して、後は運を神に祈るだけ。こんな経験がある人も多いだろう。

 日常で、落雷の中を航空機が航行するシーンもよく目にする。今なら成層圏まで勢力を伸ばす入道雲が怖い。あの雲の中は、激しい上昇流と下降流で、それこそ生き地獄の世界だろう。 ものの本によると、人間の目で確認出来ない乱気流の典型的なものには、山岳波(山越え気流)による晴天乱気流(CAT=クリアーエアータービュレンス)があり、これらは天気が良好なのにも拘らず、山岳地帯の上空で突然遭遇する厄介者だ。僕がひどい目に遭った鈴鹿上空もその可能性が大だ。これに関しては、昔BOAC機(イギリス)の富士山上空でのCAT事故があった。間違いかも知れないが、僕の記憶に残っている。
 最近では、積乱雲や前線活動によるダウンバースト、強い風の方向が異なる上空のウィンドシャー、大小のトルネード(竜巻)、山の谷間から加速しながら上空に吹き上げるアップウィンドなどが注目されている。

 自然の営みもシビアーになると、一見強固に見える航空機も木っ端微塵の運命にある。変わったところでは、鳥類やバッタ、ミツバチなども、ことによっては航空機の天敵だ。西高東低の冬将軍に誘発される事故も多い。この自然現象は、人間がコントロール出来ないだけに、科学技術を駆使してシビアー現象を事前にキャッチするのが一番だ。気象衛星やドップラーレーダーなどの最新鋭機器を使って、航空会社、防衛省、気象庁、航空局など関係機関の連携が必要だろう。各地の空港に行けばそれらの施設がある。また、航空機同士の空中衝突などの人為的なミスをなくするためには、当事者の日々の訓練と監視が必要なのは言うまでもない。

 今は縁遠いが、若い頃の僕の友人に、自衛隊のパイロットと航空管制官がいた。一時期、両者共同じ官舎で住んでおり、世代が近いとあってよくスナックなどに飲みに行ったものだ。その時の某管制官によると、彼が調布や八尾の小型機(セスナ)専用の飛行場に勤務していた時代は、仕事柄オーナーパイロットや小型機の航空会社のパイロットと知り合いになり、役得で何度も搭乗させてもらったらしい。(そりゃあそうだろう。僕も彼のお陰でよくセスナに乗っけてもらった)
 今だから言える彼の話の中で、怖いのは次の発言だった。「僕の知り合いのセスナのパイロットは、ほとんど全員航空機事故で死んでしまったよ」 よく聞くと、セスナは大型旅客機と比べてあまりにも小さいので、前記した気象現象の影響をモロに受けるという。極端に言えば、調布や八尾の飛行場を飛び立つと、多摩川や大和川の上空でも、周囲との温度差で小さい乱気流が発生するらしい。この小さな乱気流がセスナ機には恐怖。それほどセスナ機は気流の影響を受けやすいのだ。

 更に怖いのは、自衛隊のパイロットの話だ。彼は以前、僕が乱気流に遭遇した鈴鹿の上空で、発達した積乱雲の中に入ってしまい、コックピット(操縦席)の中の計器が全て使用不能に陥ってしまった。仕方なく運を天に任せて、まるでプランクトンの様にさ迷う内に、気がつくと何と奈良県の吉野山の上空まで流されていたということだ。これも怖い話だ。 また彼は言う。「知り合いに、横山やすしさんの様な怖いもの知らずのオーナーパイロットがいて、彼は弱い台風の目の中に入って、北海道まで行った」と。 この真相のほどは不明だが、これを語る彼は真顔だった。しかし、案の定、無謀なオーナーパイロットは、数年後に航空機事故で亡くなったそうだ。 この二人の話を聞いて僕は思ったものだ。「あんな怖いセスナ機よりも、やはり大型旅客機の方が数段安全だよな」 この様に、大型旅客機よりも遥かに小さく、かつ事故率も高いセスナ機で、それこそ命を賭けて日本中を飛び回るパイロットがいることを知らない人は案外多い。以上は余談だ。

 中華航空炎上事故の延長として、本筋を離れて取り留めのないことを書いてしまった。横道にそれるのは、旅好きの僕の特権だと思って諦めて欲しい。(本論に戻って)僕は思う。今回の事故の教訓は、誰も承知の通り航空機の安全安心だ。言うのを忘れていたが、航空機事故の直接的原因が主に気象現象であるとするなら、間接的原因(そうとも言えないが)は、人間の目の確かさ、つまり過去の事故を勘案して、機体の構造的欠陥はないか、整備点検に不備はなかったかという航空会社の社会的責任だ。この具体的なチェック体制が確立されない限り、航空機の安全安心は心もとない。

 今や、日本人の海外旅行者は年間1700万人だ。規制緩和による「空の自由化」を背景に、航空業界は世界的競争が激化している。これに伴い、航空会社も右肩上がりの時代に比べ、今風のシステムに大変身した。古きよき時代の、気位の高いスッチーは今はもういない。コスト削減、組織のスリム化、低コスト運営。国内では、新幹線VS航空会社の構図もある。この過当競争の中で、ややもすると見失いがちなものが「安全運行」だ。この公共交通機関の基本原則に戻って、航空会社は誠心誠意乗客の安全に取り組むべきだろう。そう言う意味では、今回の中華航空機事故は不幸中の幸いでは済まされない。ただ運が良かっただけだ。

 最後に情緒的な一編。思えば、あの御巣鷹の尾根に散った坂本九ちゃんが、「♪涙がこぼれないように」と上を向いて歩いた、優しい眼差しの向こう側に見たものは、夏雲を背景に青空の中に飛行機雲の筋を引く「エアラインの雄姿」だったのではないだろうか。それが、民の心が温かかった昭和30年代の空の象徴だとすれば、あの時代の人々の憧れと切ない思いを受け入れるかの如く、現在のエアラインも果てしない天空に、安全安心の大きな弧を描いて欲しいものだ。そうすれば、九ちゃんの歌の様に、世界の空にその願いが届く。

/120.天下りと公務員改革(トップはヒラメ人間)

2007-08-19 14:20:24 | Weblog
 東日本は猛暑から一転して秋の気配が感じられる様だ。なのに大阪は残暑というにはあまりにも酷過ぎる。まだ当分この暑さに悩まされそうだ。そう言えば昔は今頃、ヒグラシやツクツクボウシが過ぎ行く夏を惜しむかの様に独特の音色で鳴き、秋色濃い静かな森に季節変わりのアクセントをつけていた。が、そんな風情は今はない。近年の温暖化の傾向をみれば、暦を無視して、大阪の夏は9月いっぱいまで続くと判断した方がいいだろう。カレンダーの表示が空しい。

 終盤を迎えた熱闘甲子園の陰で、我が虎軍団がじわじわ上昇している。気がつけば首位が目と鼻の先だ。嬉しい。阪神頑張れ。 先日、蒸せかえる様な梅田の夜の巷で、タレントの山本モナさんに偶然遭遇した。涼しそうな光る眼差し、すらりとした体型、一瞬ドキッとした。久し振りに見つけた芸能人、ミーハーの僕は何故か嬉しかった。 盆期間の海外旅行、日本からの旅行者は円高差益でホクホク顔らしい。これも嬉しい誤算だ。 中国だけでなく、他のアジアの国の製品にも不良品あり? またか。これは嬉しくない。こうなれば、日本品しか売らない店があっていい。それが一番安全安心? しかし、残念ながらここまで言えない。 何と大阪の勤務医の6割が、自分の将来に希望が持てないという。また、法を守った働き方では医療が成り立たない状況らしい。これは、嬉しくないを通り越して、ヒポクラテスもビックリの非常事態だ。

 以下インパクト情報3題。 経済のグローバル化は、企業合併・買収(M&A)による規模の拡大競争を促している。90年代からこの傾向が顕著だ。いかに企業が生き残りを賭けた戦いという大義名分があるとは言え、合併して大きくなった企業が必ずしも成功している訳ではない。現実に、日本企業がM&Aをして成功している例は半分ぐらいで、必ず社会的弊害もある。このグローバル化は、日本国内で生産販売して生き残ろうとする中小企業などのハザードになっているうえ、グローバル化による企業不安が国内産業発展の停滞を招き、非正規雇用者の増加、ひいては格差社会を助長する要因になっている。言葉はいいが、この言葉の裏側はかなり深刻だ。

 情報誌「ぴあ」の表紙を31年11ヶ月描き続け、ギネス記録になった及川正通(まさみち)さん。戦後中国大連から引き揚げ、地元神奈川の少年デザイナーに採用され、16歳から現場を学んだ。その後、「主婦と生活社」に転職し横尾忠則さんと意気投合。横尾さんの紹介で寺山修二さんを知り、劇団「天井桟敷」のポスターを手がけたという。学園紛争や70年安保の激動期から現代まで、その時々の「ぴあ」の顔を描き続けた当世の浮世絵師だ。継続は力だが、その人脈に隔世の共感を覚える。

 元県立広島商業高校のエースで技巧派の左腕、佃正樹さんが逝った。現解説者、達川光男さんとバッテリを組み、あの江川卓投手を擁する栃木の作新学院と準決勝で対戦。バントなど機動力を駆使し、足、頭、技を使って少ない安打で緻密な野球を展開し、予想を覆して僅差で勝利した。そして、勢いに乗って昭和48年の第55回大会を制した話は今でも語り継がれている。柔よく剛を制する広商野球の真髄を見せつけた勝利の立役者であり、僕の中では、ポスト万博時代の高校野球界を代表する名投手だった。心より冥福を祈りたい。

 95歳の今でも、現役で国際舞台で活躍する聖路加国際病院理事長の日野原重明さんが、朝日新聞にこんなことを書いていた。「米国やオーストラリアなど英語を使う国の小学生を相手にしていると、日本人の小学生とは明らかに違いがあることに気づきました。まず教室に入って、みなさんの中で自分がいま生きているとはっきり言える人は手を挙げてくださいと言うと、日本の子どもも外国の子どもも、みな手を挙げるのですが、挙げ方がまったく異なります。外国の子どもはためらいもなくさっと勢いよく手を挙げます。ところが、日本の子どもは左右の友だちの様子をうかがってから、少しづつ手を挙げるので、みなの手がそろうには時間がかかります」
 (中略)「(他にも色々質問したが)日本の小学生は反応が遅く、答えるのにも時間がかかります。当てられてから、しばらく考えこんでしまう子どもも多いのです。日本の子どもは、自分から進んで発言する訓練をほとんど受けていないことが影響していると思われます。このことは、大学生になっても社会人になっても影響を及ぼし、国際社会で発言できない大人になってしまうのではないでしょうか」

 この日野原さんの海外の小学生から学んだ教訓を読んで、僕はしみじみ思った。そうだ。この状態で大きくなり、たとえ学校の成績が良くても、融通の利かない器の小さい人間に成り下ってしまったのが、何を隠そう今の日本のトップ官僚ではないだろうかと。

 日野原さんの言おうとしたことが、必ずしも日本のトップ官僚のことではないにしても、僕が元公務員時代に常々感じていたのが、あまりにも自発性がなく、かつ煮え切らないトップ官僚の優柔不断な態度だった。そして、一番気にかかっていたのが、これらの官僚達は紙の上の教育程度は抜群だが、実社会での教育程度はじれったいほど低過ぎるという僕なりのジレンマだった。 果たして、あれから10年以上経過した今、日本のトップ官僚達はどう変わったのだろうか。僕は非常に興味があるが、この疑問に早くも結論を言わせてもらえば、恐らく彼(彼女)らは少しも変わっていないだろう。これが僕のウソ偽らざる心境だ。

 55、8歳。朝日新聞によると、霞ヶ関で働くキャリア官僚が「肩たたき」で退職する平均年齢だ。定年を前に次々と辞めて行くのには訳がある。国の省庁は事務次官を頂点とするピラミッド型の組織だ。地位が上がるほどポストは限られ、昇進出来なかった人は行き場をなくする。しかし、これらの人達に何の見返りもなく定年前に辞めさせる訳には行かない。だから各省庁は、外郭団体や企業に天下りを斡旋し早期退職を促す。すると本人は納得する。当たり前だ。最高の行き場に文句などある筈がない。これが、天下りをなかなか止められない負の構図だ。そして、これがなくならない限り、天下りはこれから先も後を絶たない。この天下り方法を断つことが、早急に解決すべき問題だろう。既に人事院もこの対策に動き始めているが、今の段階では飽くまでも先行き不透明だ。

 更に問題点がある。政府の進めている公務員制度改革の全体像が、我々国民には全く見えていないということだ。 公務員制度改革は、早期退職勧奨や天下りの是正、能力主義の導入、採用の仕組みの見直し、官民交流などが複雑に絡み合う。この一つ一つもなかなか難解だ。 今日は、元公務員の僕が思う観点から、これらの問題点を紐解いて行くことにする。難しい話は抜きだ。
 その前に、もう一度キャリア公務員の覇気のなさを暴露しておこう。簡単に言えば、僕の思い浮かぶ積年のキャリア像は、積極性と行動力が全くない鉄仮面、人間的魅力、面白みに欠ける頭の固い人畜無害人、リーダー性と柔軟性を持たない不気味な若年寄、などなどないないづくしのデジタル人間と言った印象だ。従って、これらのキャリアの特質をも加味して、話を進めてみたい。

 まず、早期退職勧奨と天下りの是正。僕が思うに、これらは本人の心次第だろう。前述した様に、いくら先がつかえていても、誰かが天下りを斡旋しない限り、人事院がその対策に乗り出す筈だ。未練を残さずただ一言、「いやです」と言えばそれで済む。後は組織の問題だろうしそれが本筋だ。僕ならば、思い切って拒否するだろう。これ以上言う意見がない。が、天下りに関して言えば、受ける民間も悪い。合同庁舎勤務時代は、それらしき人間が真昼間からオフィスをウロウロしていた。深くは追及しないが民間も反省すべきだ。

 次に、能力主義の導入。これも新しい公務員職場の改革として当然のことだろう。民間は既に成果主義に移行している。今の社会趨勢から見て、これはいたしかたない方向だ。僕流に言えば、本人を紙の上の能力から実社会への能力に変換させる。また、個々の日頃の行動を冷静に分析し、本人の社会的能力に応じて適材適所に人員を配置する。そこからがその人間の真のスキル発揮の場だ。紙の上でない能力を存分に発揮する人もきっといると僕は確信する。現にそういう人は現役時代に山といた。そんな人がいてこそ公務員も進化する。

 次に、採用の仕組みの見直し。上記と関連するが、これが最大のネックだ。国家公務員は大まかに言えば、全て最初の試験で将来が決定される。昔なら、初級、中級、上級、この評価がよっぽどでない限り崩れない。特に、入省、入庁時の扱いが他とは違う上級職は不動に近い。しかしながら、僕の経験では、これらの人間ほどより頭でっかちで、面白くない公務員で、インパクトのある人物がいない。
 余談だが、もしあの試験に、体力と行動力を問われる僕の好きなサバイバル力が課題としてあるとするなら、ほぼ全員失格の憂き目に会うだろう。特に僕は、彼らの運動能力をよく観察させてもらった。あの時のドンクサさを思い出すと、冷たい様だが言わずもがなだ。そういう意味で、キャリアにももっと肉体派の使命感を持った意欲的な「アナログ人間」がいてもいいと僕は思っている。公務員もアナログとデジタルのバランス総合力が大事だ。
 そして、もう一つ、もし仮に公務員の勤務評定に、世間の女性好感度というのがあるとするならば、よっぽど変わり者の女がいない限り間違いなく全滅だ。公務員も男に好かれる男だけでは、どこかにトゲが刺さってしまう。

 さあ次に、官民交流だ。「官民協働」と言ってもいい。これはある意味画期的なことで、既成の公務員の体質を変えるかも知れない。例えば、民間の人間の市場経済における競争主義と公務員の金一辺倒ではない保守主義が、意外と中和される可能性がある。現に、公務員時代、僕が資格を取ったあの野沢温泉スキー場の民宿で、当時バリバリの大会社の営業マンだったA氏が、しゃきしゃきの東京弁で「公務員のミスタースラッシュさんと僕の中間の人間がいちばんいいよね。そう思わない?」何てよく言っていた。あの言葉をそっくりそのまま採用すれば、「中庸の徳」もあながち無きにしも非ずだろう。交流という感覚は僕は好きだ。公務員を辞めて、曲がりなりにも世界の人達と交流した後、小さいながらもチェーン店のオーナーになった僕の経験から、この民間交流はきっと吉と出るに違いない。

 さて、足早に公務員改革のある側面に釘を刺したが、勿論これが改革の全てではない。立ちはだかる壁はまだまだ高い。ところで、この辺で矛先を変えて官僚トップではなく、日本を裏側で実質動かしていると思われる企業トップにも、釘を刺しておこうと思う。企業トップも官僚と同じことが言える。彼らの采配に職場の栄枯盛衰がかかっているからだ。ということは公務員以上に、企業トップは重たい存在だ。企業という大集団をまとめて突撃するのはいいが、しっかりした目標がなければ集団は烏合の衆と化す。もし仮に、トップが何も決められない馬鹿殿であれば、戦いにならない。こんなトップに限り、口うるさく細事は注文が多い。 
 もし、トップが何でも決めてしまうタイプであれば、何でもかんでも取り入れて、人も体制もついて行けない。こんな会社は反発する人間は皆無だ。皆責任逃れにあくせくする面従腹背人間。この様な集団の寄せ集めを「ヒラメ」会社と呼ぶ。ヒラメは、体を砂に隠して目だけ上を睨んでいる。以上、ヒラメ論は朝日新聞の「経済気象台」欄の「可軒」さんの発言で、僕がヒラメの口で、要旨を噛み砕いて分かりやすく説明した。日本のトップ官僚も、企業トップも、ヒラメ人間にならない様に肝に銘じるべきだろう。

 ヒラメは、魚の中でも淡白で特別美味い。左ヒラメに右カレイ。ここで、イヤミなクイズだ。ヒラメとカレイはどちらが口が大きいか? ・・・・・。正解は「ヒラメ」だ。決して上手いとは言えない渡船釣りで、この口の大きいヒラメを、他の魚を口に入れたまま釣り上げたことが過去に1度あった。値打ちある大物ゲットだ。よく見ると、針を飲み込んでいるのは、本来はヒラメのエサである小魚の方だった。 馬鹿なヒラメだ。己の私腹を肥やしたい一心で、獲物に食らいついたまま我を忘れて、下手な太公望の餌食になったのだ。このヒラメの貪欲さ。「他山の石」として日本トップは大いに自戒せよ。

/119.ヒートアイランド現象(コンクリートに負けるな)

2007-08-18 13:41:55 | Weblog
 熱い、暑い。盆休みに暑さのピークが来た感じだ。こんなに暑い夏になるとは思っていなかった。御先祖様もさぞかしビックリしているだろう。その話は後回しにして、今日はまず時節柄、とある週刊誌に掲載されている太平洋戦争史の話題から。 
 太平洋戦史の悲しい歴史の中の最終章に「ソビエト参戦」とある。戦争が終わる約一週間前に、日ソ不可侵条約を破って突然満州などに侵攻したソビエト軍。その卑怯な行動は、まさに戦乱のドサクサに紛れた「火事場の大泥棒」ではないだろうか。戦争に正義はないにしても、相手(日本軍)が負けると分かっていて、半ば強引に侵攻した、軍人の片隅にも置けない様なソビエト軍のあるまじき「ハイエナ的行為」 これが、後の日本人へのむごい婦女暴行やさ迷える逃避行、冷たく悲惨なシベリア抑留、更には北方領土問題に繋がっているのかと思うと、戦争を知らない世代の僕でも腸が煮え返るほど憤りを覚える。
 濡れ手で粟のソビエト軍にとんびに油揚げをさらわれた日本軍。常道を逸したソビエト軍の最後の流しっ屁は、悪どいし、しかも強烈過ぎる。戦勝国として威張れた行為だろうか。大きなことは言えないが、これ一つ採っても、戦争は過去のものではない。太平洋戦争の全犠牲者は、国内310万人、国外2400万人以上。人間魚雷「回天」、神風特攻隊、風船爆弾、竹槍攻撃隊、本土大空襲、原爆、玉音放送等々。当然、語り継がれるべきものだろう。

 次は物騒な話題。携帯電話最大大手のフィンランドの「ノキア」が、事実を公表した松下電池製リチウムイオン電池の不具合。あろうことか充電中に突然小爆発するという。その携帯電話を使って、周囲も気にせず、四六時中街中で相手と交信する女子高校生の集団。どこか滑稽で、異常で、ヤバイ気がする。 川崎市で起こったエスカレーターの破損に伴う人身事故。まさに安全安心は足元から。 北の大地の土産物「白い恋人たち」の賞味期限改ざん。僕の記憶が正しければ、このネーミングには、創業者がスキーを終えた後、スキー場に降って来た白いパウダースノーを見て直感したというロマンチックなエピソードがあり、スキー大好き人間の僕には、ちょっと寂しい気がする。安全安心は口元から。 いびき人間、何と2000万人。その内多くの人が、一時呼吸困難状態になっているという。僕は、よっぽどでない限りいびきは掻かない。若い頃、スキー民宿で女の子に「ミスタースラッシュさんは、まるで死人みたい」といい意味で褒められたこともある。まかり間違えていびきで死亡? 人は見た目が9割だ。いびきで困っている人がいれば是非助けてやって欲しい。 安全安心は口元から。 まだある。馬インフルエンザで中央競馬が中止。そして、もっと怖い地震多発だ。南米ペルーでも、北海道でも、関東でも揺れた。この安全安心を守るのは本当に難しい。

 以下は週間ダイアリー。えっ、なに。デパ地下の次は「駅ナカ」サービスだって。商魂豊かに、駅ナカは中食に力を入れている。外食と家庭で作る食事の中間にあり、惣菜や弁当などを持ち帰って食べるのが「中食」らしい。なら僕は、完全に中食族だ。 大の映画ファン、落語家の立川志らくさんは、「(外国映画)の続編は面白くないものが多い。なぜか? 1作目が面白すぎるからだ。(しかし)渥美清主演の『男はつらいよ』が48本も続いたのは、日本人が寅さんを愛し続けたから」と言っている。ということは、外国映画の2作目は、主人公に感情移入する余裕がないほど破天荒な展開が多過ぎるということだろう。ちなみに、12月には「エイリアンVSプレデター2」が公開されるらしい。

 パイレーツの桑田選手が厳しい戦力外通告。僕は残念だ。この先彼はどうなる? 「ヤゴの宝庫」琵琶湖で、トンボの羽化を妨害するのは、何と水上オートバイの波だ。岩などを利用する午前中の羽化時、岸すれすれに疾走するライダー達の心が変われば、トンボは生き残れる。 テレビ技術は今も進歩している。だが、一番のポイントは、質が良くなっているかどうかだ。この点、関係者は勘違いしない様に。 名曲「千の風になって」が、とうとう売り上げ100万枚突破。御先祖様は強い。 ちなみに僕の中では、今まで一番聴いた曲は、レイモンルフェーブルグランドオーケストラの「シバの女王」だ。一番歌った曲は、谷村新司さんの「昴」 世界一好きな曲は、サイモン&ガーファンクルの「明日にかける橋」だ。 詩人の萩原朔太郎は、「旅は恋愛と同じで、旅に行こうと思った瞬間が一番いい」と言った。僕は、8月13日の夜「旅に行こう」と思った瞬間、友人を誘って翌日「木曽行き」を決行した。この話はまたいずれ。

 さあ、本番の熱い、暑い話だ。近所の田圃で、秋への橋渡し昆虫である赤とんぼが飛び始めた。深夜まで乱舞した阿波踊り(ここで突然迷惑千万クイズだ。盆踊りなどで音頭に合わせて踊る団体を「社中」と呼ぶが、では阿波踊りでは何と呼ぶ? ・・・・・。正解は「連(れん)」だ。僕も以前踊った)、盆を締めくくる京都の五山の送り火も終わり、街はUターンラッシュだ。なのにむっちゃ暑い。16日に、岐阜県の多治見市と埼玉県の熊谷市で40、9度。ついに、山形市での日本最高温度記録を更新した。他にも気象庁の多くのアメダス地点で、観測史上最高気温を記録している。体温以上で脱力感があり、その影響による熱中症でお年寄りが多数死亡している。涼を求める山、川、海の人身事故も絶えない。

 こんな不都合もある。地球の100年で3度上昇する平均気温予測、氷河の融解、広がる砂漠化、強力なハリケーンや台風の大発生。片や日本の札幌では、北国特有の建築様式が災いして火災報知機が誤作動。室温が65度以上にもなると、報知機のセンサーが狂ってしまうという。また、日本企業の社会的責任である二酸化炭素排出量規制の取り組みによる削減効果はあるのか、など厳しい声もある。 熱闘甲子園でも、この暑さが原因で、体力自慢の球児が異常を訴える場面が続出している。故里や旅先からUターンした人達も、田舎と都会の大きなギャップに悩まされ、思い出に浸るのは もう一熱冷めてからだろう。水分補給、血管が太い首を冷やせなどという声も聞こえるが、この猛暑日の連続、何とならないものだろうか。

 この現実を含め、不都合な真実、異常気象などによる地球の温暖化が今世界を震撼させている。地球規模では、両極、特に北極の氷床やヒマラヤの氷河が融解し、海水面が上昇、この間接的な影響などで、太平洋上にある平和な南の島国「ツバル」は、国が沈没するという危機状態にある。それに歩調を合わせるかの如く、海水温の上昇も顕著で、温帯圏にある日本の沿岸でも熱帯、亜熱帯の魚が目撃されている。例えば、サメ、クラゲ、オニヒトデの異常発生やサンゴ礁の白化現象などもその前触れだろう。他にもまだまだ地球規模の不都合な真実がたくさんあり、まさにそれが我々の眼前に大波、小波となって押し寄せて来ているといった印象が強い。

 その中でも、我々の身近にある地球温暖化の前兆現象が、ビルの谷間でクマゼミが不気味に大合唱する「ヒートアイランド現象」だろう。全国一暑い日が多いと言われる大阪の夏とて例外ではない。市街の南西から西が大阪湾という立地条件から、朝の山風は多少の冷気はあるものの、午後からは、生暖かく大気汚染物質が大量に混入した海風が「卓越風」だ。特に盛夏は西日もきつく、湿気を含んだ海風が一層不快さを増す。
 ここにヒートアイランドの主役格、コンクリートの太陽光線照り返し効果が暑さを倍増させる。コンクリートは建物だけではない。街中の舗装道路も、言わばコンクリートの塊だ。この舗装道路はもっとタチが悪い。太陽光線照り返しの熱だけではなく、道路に車が走ることによってもたらされる車(機械)運転の稼動熱、タイヤとの摩擦熱などが加増される。このため、道路の表面温度は、50度から60度以上にもなる。おまけにイヤミな煤煙付きだ。更に、この状態に、ビルや各家庭から放出されるクーラーやライフラインなどの排熱が加わって、大阪都市圏はもう熱の島だ。これが、ヒートアイランドと呼称される所以でもある。こんな過酷な島で暮らす人間様も、ことの成り行き次第では、まさに一触即発の危機状態にあると言っていいだろう。

 例えば、このヒートアイランドの上空に少しでも冷たい寒気が流入すれば、大気が不安定になり、激しい上昇気流でたちまちモクモクと入道雲が湧いて、怖い怖い雷様のお出ましだ。大阪も名古屋も東京も、毎夏この雷電という名の小悪魔の直撃を受ける。僕の近くの大阪のオバチャンは、雷アレルギーだ。生駒山地に雷雲が発生すると、何時も決まった様にラジオをつけながら、自宅周辺を徘徊する。その時の第一声はたいていこうだ。「怖い、ヘソとられる!!」 僕は同情する以外にない。 この雷は、それこそ小さな島ぐらいの極めて狭い範囲で発生する「局地現象」だ。しかも、地震や火事の様に悲劇は突然訪れる。オヤジがいれば何とかなる? それはとうの昔の話だ。これも、人間様が島を温め過ぎたために起こる自然のしっぺ返しだろう。

 もう少し換言する。僕は思う。都会のヒートアイランドに誘引される事故や病気は、明らかに便利さを追求する人間活動によって引き起こされる人災だ。人間さえ穏やかであったならば、こうはならない筈だし、自然には全く責任がない。人間の自業自得だ。従って、これを防ぐのもまた人間の社会的責任だろう。
 温暖化防止対策としては、熱吸収を和らげる道路素材の開発、排熱を減少させる冷暖房機具の開発、環境に優しいエコ車の開発、身近では打ち水の促進、オフィスの省エネ等々、官民を問わず熱冷ましの方法を暗中模索している。

 その中で僕が一番注目しているのが、屋上緑化など緑の植栽、植樹対策だ。高速道路のグリーンベルトもいいが、都会で見る限り、道路の緑化対策は、あまりにも煤煙にまみれるもの言わない草木が可愛そうだ。従って、今の段階では声を大にしてお勧め出来ない。だから、お勧めは屋上緑化だ。

 大阪にナンバパークスという娯楽施設があり、ここの施設の屋上には、かなりの広さの緑化地域がある。この施設がオープンして間もなく、僕も友人と訪れたことがあるが、その時の印象はすこぶる良かった。人間の努力と技術で、全てがアナログの素材ではないにしても、ここまで環境に優しい工夫が出来るんだ、ここまでなら許せる。正直そう思った。これならば太陽熱を効率的に吸収し、熱を周囲に放出させない、人間生活基本の将来に向けての緑化対策の礎になるだろう。前述した様に、全てが自然素材ではなく人工物も多い。じっくり時間をかけて開発された用土などは、軽くてコンクリート部分にも負担が少ないスグレモノが多かった。それをここで詳細説明するのは、非常に難しい。なので、興味のある人は是非行ってみて欲しい。百聞は一見にしかずで、今なら少しは暑気払いになる筈だ。

 そもそもヒートアイランドの主役であり悪役は、コンクリート。また、それを造ったのは人間だ。このヒートアイランドの人間が造った部分だけは、何としても人間の手によって、環境に優しく造り替える必要がある。ということは、人間の考え方さえ柔軟性があれば、固いコンクリートの壁を乗り越える可能性が十分あるのだ。今の時期だから、タイミング良くもう一度言う。人間よ、厚く、熱いコンクリートに負けるな!!と。人間さえ確かであれば、「柔よく剛を制せる」のだ。

/118.バカ親の実態(北アルプスコマクサ効果)

2007-08-12 11:33:21 | Weblog
 何とあのコウノトリの豊岡で38、6度の酷暑。照りつける日差し、うだる様な暑さ、寝苦しい夜、熱闘甲子園、紅く咲く百日紅、今年の熱さの頂点だ。そんな中で唯一の救いは、盆休みによる人間活動の停止で、空気が澄み空がキレイだということ。少しは「上を向いて歩こう」の気分になる。こんな時は、何処か涼しいところへ行きたい。

 長野、山梨両県にまたがる八ヶ岳連峰の東麓には、日本最高所で知られる「華のJR小海線」が走り、苔むす森と仰ぎ見る山稜が魅力の、清涼で良質な高原リゾートが広がっている。そんな小海線にすぐ行ける「東人」が僕は羨ましい。
 この沿線からの富士山のパノラマも形容し難いほど素晴らしいが、澄み切った空気と高い標高という立地条件から眺める夜空もまたステキだ。見上げてごらん、夜の星を。夏は北天から南天に、淡く銀色に輝くミルキーウェイ。英雄ヘラクレスが赤ん坊の時に、女神ヘラの乳房からほとばしらせたミルクが夜空を一周したというギリシャ神話にちなむ、壮大な宇宙のロマンだ。 では、ここでクイズだ。この小海線にある日本一高いJRの駅名は何か? ・・・・・。正解は「野辺山駅」だ。若い頃、この駅で一人静かな時を過ごしたことがある。まさに、心の時もまた金なり。こんな気分だった。

 以下、いずれも朝日新聞「be」から採った面白、驚き4題。僕なりのタイトルは、「こんな世界もあったんだ」
 「応神天皇は、『八幡様』 全国にある八幡様は、みな応神天皇を祭っている。この八幡様は、蚊帳が好き。わざわざ中国から蚊帳を織れる工女を呼び寄せ、蚊帳の国産化を企てた。 (中略) 伊勢神宮の内部は秘密だが、どうも蚊帳がつられているらしい。つまり天照大御神は、一年中蚊帳の中にいらっしゃるようだ。いかにも蚊の多い、水田の国の守り神という感じがする」 へぇー。僕も応神天皇にあやかって、実家の片隅の箪笥に眠っている蚊帳を吊ろうか。

 鉄道大回り旅・関西編で「JR柘植(つげ)から京都・加茂までは非電化区間。一両編成のディーゼル車が山並みを背に美しい水田の中を走る。『日本の原風景』といった趣だ。加茂、奈良で乗り継ぐが、奈良と言っても、車窓から大仏を拝めるわけではない。風景よりも『京終(きょうばて)』『帯解(おびとけ)』といった駅名に興味を引かれた。日暮れ前に奈良の高田(たかだ)に到着。夕日に照らされたホームで電車を待ちながら、半日の旅路を思い返して感慨に浸る」 僕も昔暇な時、よくこんなスローな電車に乗った。関西線も桜井線もローカル色豊か、ちょっとしたところに旅はある。

 「(ウニの)その食欲たるや、半端なものではない。海藻類、特にコンブを好んで食べ、成長期には体重の4割近い量を一日で平らげる。海藻が近くになければ、小さな貝類やエビ、魚の死骸、さらに何もなければ、ケイ藻類の付着した海中の岩盤にかじりつく。飢餓状態がいよいよひどくなると、共食いを始める場合もあるそうだ。近年ウニが海藻を食べ過ぎて引き起こされる『磯焼け』が北日本を中心に問題化している。海藻が消失して海底が白っぽくなる現象で、魚介類の生息環境が失われ、『海の砂漠化』ともいわれる。漁業には大きな打撃だ。 (中略) (しかし)漁業関係者は『おいしいコンブを食べて育ったウニはおいしい』という。利尻、礼文をはじめコンブとウニの名産地は重なることが多い」 日本海のムラサキウニ、北海道のバフンウニ。トゲに刺されると相当痛い。が、ホントに美味しい。が、何故か素直に喜べない。

 「牛乳を搾ることができるのは、妊娠して出産した後の牛だ。自然界とは違い、畜産農家は妊娠、出産をコントロールすることに最大の配慮をする。 (中略) (酪農家は)『発情期を見逃さずに人工授精を成功させることが大切。それが酪農家の経営だといわれています』と話す。人工授精には、凍結された雄牛の精子が使われる。精子を使って生まれた雌牛が成長して出産し、乳が出るようになって初めて能力がわかる。どうも牧歌的とはいいがたいが、こうした生産管理は、毎日一定の搾乳量を確保することが重要だからこそ、工夫改善されてきた」 美味しい牛乳を作るため、こうした裏事情があったとは僕は全く知らなかった。ましてや僕は虎ファン。こんな牛達を前にして「食牛の気」何てとんでもないことだ。受難の牛さん、有難う。

 寝屋川市で猛暑日を記録した先週の日曜日の夕刻、テレビのニュースを見ていたら、大阪十三(じゅうそう)周辺で開催された、淀川花火大会の「宴(祭り)の後」が生々しく放送されていた。人々の夢を乗せ、何万発という花火が真夏の夜空を飾った翌日の開催地は、前夜の華やかさと打って変わって、見るも無惨な醜いゴミまたゴミの山だ。「観客席」があった河川敷は言うに及ばず、淀川沿いの民家周辺にも見物客の残飯などゴミの数々が山と積まれている。
 これらのゴミをボランティアで清掃する地元の中学生や住民に、テレビ局の記者がインタビューしている。その中で、住民の一人がこう発言した。「花火大会はいいが、終わった後は何時も迷惑千万、怒りを通り越して情けなさを感じます。責任者出て来い!! って感じですよ。もう来年は中止してもらいたい」 女子中学生も言う。「大人のマナーが悪過ぎる。何で自分のゴミを持ち帰ってくれないの? いい加減にして欲しい」 この発言、いずれもウソ偽りのない心境だろう。僕は同情する。

 更に僕が気になったのは、清掃ボランティアの次の証言だ。まず住民の証言。「アベックや若者に混じって、家族連れの親が、自分の子供にゴミを捨てるよう命令しているんですよ」 次に中学生の証言。「河川敷の夜店の業者も、子供達の前で率先してゴミを収集するのではなく、そこいらにゴミを捨てまくっているんです」 僕は唖然とした。何と、あの花火大会のゴミ捨て仕掛け人、ポイ捨ての真犯人は、公衆道徳を無視した心ない大人達なのだ。こんな所にも我が子や子供達の前で、無責任な醜態を晒すバカ親がいた。

 今日本社会にはバカ親が山といる。例えば、支払う能力(財力)があるのに、給食費を払わないバカ親、わが子可愛さに、学校の先生にイヤミな文句ばかり言うバカ親、ファストフード店など大衆の面前で、日頃の鬱憤を晴らすかのように店員にケチをつけるバカ親、町内の自治会活動などにろくに参加もせず、旗色が悪くなると自分のご都合主義で反論するバカ親、学校の運動会を我が子の撮影会と勘違いして、人の迷惑も省みずやたらビデオを撮りまくるバカ親がいる。
 この他、海、山、川のキャンプ場などで、人の不幸は我が喜びとばかりに、ひたすら高慢ちきな悪道を歩くバカ親、サッカーや野球場などの観客席で、酒の勢いでがなりたてるアルコール依存症のバカ親等々、相手(人や自然)の気持ちが読めないバカ親が、今日も日本列島を我が物顔で闊歩している。そして、これらの情けないバカ親に罵られ、四苦八苦、七転八倒、艱難辛苦を繰り返す善人も後を絶たない。何故こうもバカ親が多いのだろうか。

 思えば、我が寝屋川の庶民の街にもバカ親がしぶとく散在する。このバカ親、一言で表現するなら、大半は「聞き耳を持たない利己主義者」だ。そして、どんな場面でも全て自分の都合のいいように解釈する、悪ガキがそのまま大きくなった様な幼稚者で、何かあるとすぐ相手を傷付けることしか言わない。また、そんな人間に限って、根源を突く難しい問題に直面すると、「屁理屈を言うな!!」などと相手を罵る。バカ親は、屁理屈を言っているのは、実は自分であることに気がついていないのだ。こんな人間に正当な理屈が通じる訳がない。だから、厄介者のバカ親なのだ。まさに大阪弁で言う「ボケ、カス、アホンダラ」のどうしょうもない人間の類だ。僕も度々見かける。

 巷では、このバカ親を「モンスターペアレント」などと呼ぶ。このペアレントも今急増している。10年で10倍増えたと言われる「児童虐待」3万7千件の張本人だ。この手のバカ親は、一般的なバカ親に比べて、子供を好き放題にさせない。これこそ親のエゴの塊だ。自分が産んだ子供を、自分のエゴというカゴの中に縛り付け、人心両面を傷付けるのは親として最低の行為だろう。明らかに一般的なバカ親を通り越している。
 じゃあ何故君達は我が子を産んだんだ。誰もがこう言う筈だ。しかし、残念なことに、こういうバカ親は、それこそ我が子を殺すこともエゴの手中、範ちゅうにあるだろう。だったら、結婚しなきゃ良かったんだ。人はこうも言うだろう。だが、そんな人間には聞き耳はない。いかに人間にはジキルとハイドがいるとは言え、この虐待行為は到底人間業とは思えない。いじめの極限? 色々意見もあるだろうが、僕は、これは精神異常だとだけ言っておこう。

 バカ親も「/」の自乗だ。僕には解決への手がかりはないし、その本質に迫る専門的なバカ親分析も出来ない。が、この際難しいことは抜きにして、その方法論として、ユニークな本当らしい話をしようと思う。

 比較的楽な選択をして、すぐ安易に飛びつける様な非日常には、必ずバカ親がいる。今日話題にした花火大会しかり、運動会、近辺のキャンプ場、日常になっているとは言え、ファストフード店しかりだ。よく考えてみると、これらの大半は汗を流さないで行ける場所だ。しかし、例えば、北アルプスの山など、苦しくしんどい思いをして登らなければならない様な真の自然がある場所には、バカ親はあまり見かけない。僕は、北アルプスの山行で常にそれを感じている。 でもやはり、一人や二人、バカ親はいる筈だ。しかし、そのバカ親が持ち味の身勝手さを発揮できないのは、いったい何故だろう。

 この辺で結論を言おう。簡単に言えば、バカ親は山登りで汗を掻く本当の苦しさと良質な本当の自然がある場所では、周囲の雰囲気に圧倒されてしばし我を忘れ、自分に謙虚にならざるを得ないのだ。おまけに、そんなバカ親も、花火大会の様にゴミをポイ捨てしないで、ちゃんと下界に持ち帰る。こういう山の暗黙のルールが、バカ親から人間性を回復させるのだ。山にいれば、屁理屈はいらない、自然にこうなるのが不思議なところだ。
 もし仮にこんな場所で、日頃の悪行を正すようごく自然にバカ親を説得すれば、必ずや、こちらの言い分に文句を言わず納得してくれるに違いないと僕は見ている。それほど自信がある。

 これはどう説明したらいいのだろうか。これはきっと、何時も日常の人間関係や生活の煩雑さの中で自分を見失っているバカ親が、俗世間を離れて非日常の人間性回復の場で、我を取り戻したと見るべきだろう。翻って、もう一つの結論は、バカ親は「汗と苦しさと自然」、ここにウィークポイントがある。特に、良質の大自然は、バカ親の特効薬だ。理屈抜きに、こういうことではないだろうか。
 何と強引な展開だが、僕は自分の経験からこれは断言出来る。更に言えば、バカ親も人間だ。あまり気を使っては、返って相手に自分の隙を見せ付けることになる。理屈でダメなら、一歩引いてみることも必要だ。もっと言えば、バカ親は何時もがんじがらめの今の生活環境が悪過ぎる。アルプスの山に飛び出せと言いたい。それが証拠に、ごく身近に汗と苦しさと自然があった昭和30年代の古き良き時代は、地域コミュニティーが良好で、バカ親は今よりずっと少なかった。

 偶然テレビを見て、淀川花火大会から端を発したバカ親談議。これは、独りよがりの強引な誘導話? 相手は手強いバカ親だ。僕の意見を信じる信じないは別として、北アルプスには、僕がもう一つ強調しておきたい人間性回復の高山植物があ。それは、僕のブログに何度も登場した高山植物の女王「コマクサ」だ。
 今日のキーポイントに従って僕なりに表現すれば、汗と苦しさの延長線上に存在するコマクサは、北アルプスの尊き峰々に登った人達に深い感銘を与える。

 ナチュラリストに絶賛されるコマクサ。そんなコマクサを見れば、悪評高い世間のバカ親も改心出来るのだ。僕は確信する。夏山シーズンの真っ最中、天上の楽園も少々騒がしいが、今からでも遅くはない、皆北アルプス夏山の自然に足を踏み込んで欲しい。大輪の花火の余韻が良心を飾る如く、「コマクサ効果」はきっとあるだろう。ましてや、見上げる夜空は、満天の星、そして銀色に輝くミルキーウェイだ。

/117.五感をみがく自然(倉本聰さんの世界)

2007-08-11 14:32:01 | Weblog
 日本列島帰省モードの盆休み。街は静かだ。僕の花の夏色は、グラジオラスや鶏頭、タチアオイの赤だが、田舎を故里に持つ人の帰省色は、多分墓場にひっそりと咲く桔梗の青紫だろう。 広島と長崎、原爆の日が過ぎた。公務員時代、右翼の妨害を受けながら「戦争許すまじ」を訴えた平和大行進を思い出す。戦争は、人間の理性が働かない、言わば極限状態の世界だ。目標はただ一つ、敵を殺すのみ。恐ろしい。長野県の女子中学生は、「もしも、この空で光ったものが放射線ではなく、キレイな星であったなら、毎日苦しい生活を送らないで、この世界を自由に走れただろう」と平和に願いを込めている。「しょうがない」の言葉が空しい。大女優の吉永小百合さんも、原作に被爆者がいた「夢千代日記」がきっかけで、言葉で平和を紡ぎたいと毎年朗読会を開いている。

 原発回帰。アジアでは、成長著しい中国、インドが凄まじい勢いで原発を増やそうとしている。インドネシアやベトナム、タイなども化石燃料がそれほど潤沢ではなく、経済成長に向けたエネルギー確保で、大規模な建設計画が進む可能性がある。一方、原発王国日本では、技術的、経済的な地震リスクは織り込まれていた筈だったが、柏崎刈羽原発が想定外の揺れに見舞われ、国民の大きな不安を招いた。耐震補強をどの程度まですれば社会が受け入れるのか、広く議論する必要がある。

 以下気になったニュース。 夏の高校野球が開幕し、水が恋しい季節になった。太平洋高気圧の独壇場で、暦の上では立秋が過ぎたというのに、相変わらず大阪は猛暑日、熱帯夜だ。こう暑いと恋焦がれる北大路魯山人の世界も遠のく。 「東京の空は青いなあ」 こう呟いたのは、中国本土から初めて東証一部上場を果たした環境保全会社の社長、白雲峰(パイユンフォン)さんだ。名前は素敵だが、何か勘違いしている? それとも中国の空が汚過ぎる? 経年劣化で日本の橋も高齢化時代。米国の橋崩落は決して対岸の火事ではない。 地元の大阪電気通信大学が、年内をメドに任天堂の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」を授業に本格導入。デジタルでありながら、アナログの要素を持つ遊び感覚が学生に受けたらしい。ここまでは、僕は許せる。 先週のテレビクイズ番組「アタック25」で、パネルを24も取りながら、パリ旅行挑戦の人物映像クイズで、「千の風になって」の「新井満」を答えられなかった女性。往年の僕と全く同じ展開だ。一瞬、「忘却スポット」に入った彼女の気持ちが痛いほどよく分かる。その同情心の賜物で、今日は嫌味なクイズはなしだ。でも一言だけ。安倍首相の迷走と横綱朝青龍の迷走、さて、結論が早いのはどっち? 

 朝日新聞に、夏の高校野球の宿舎一覧表が掲載されている。東東京代表の帝京高校が泊まる西宮市の「水明荘」と鹿児島の神村学園が泊まる「やっこ旅館」は、共に特定地域の高校球児を受け入れる、ひっそりとした場所にある下町情緒満点の老舗旅館として、地元では有名だ。僕も、スポーツ同好会の忘年会などで何回か利用した。こんな所にも、昔から続くほのぼのとした高校野球の歴史がある。女将さんの夢を乗せて頑張れ高校球児!!

 国の主導、緑のオーナー制度が元本割れ9割。背景にあるのは、国土における森林の役割と価値をきちんと評価して来なかった、輸入材一辺倒の森林政策の歪みだ。緑を売る身勝手な人間の心。森林は人の心まで読めない。 「盛夏の日差しをさえぎって、枝を張りそびえる巨樹・巨木。私たちの何十倍もの時間を生き、たぶん、私たちがこの世を去った後も立ち続けています。その緑陰に想い、静かなたくましさをたたえた幹に触れて、夏のひとときを過ごすのはいかがでしょう」 ある旅行会社のキャッチコピーだ。なるほど。こういう表現に僕は弱いんだなあ。今すぐにでも、そのスポットに飛んで行きたくなる。そのせいかどうか、京阪沿線の「大和田」という駅の近くにある、見事なクスノキの大木に、僕は何時も手を合わせて一礼する。例え規模は小さくても、緑の森は人の心を優しくする。今日はそんな話だ。

 地球悠久の歴史の中で、人と自然の関係は偉大で崇高である。飽くまでも人間は自然の一部であり、自然と共生してこそその存在価値があるのだ。にもかかわらず、人は今も自然を傷付けている。その主な原因は、金にまつわる限りのない欲望だ。そして、何時の頃からか、欲望という名の電車に乗り込んだ日本人は、自然を守るという優しい心を置いてけぼりにして、今も走り続けている。
 しかし、過去において、それを戒める心ある人達の印象深い一言もあった。何時か紹介した名も知らぬ京都の「桜の名工職人」の含蓄のある言葉だ。深夜のラジオ放送の中で、彼はこう言った。「人間が便利さを追求しようとすれば、人間や人間以外のものから、その十倍以上のものが失われる」 彼のこの警告は、何故か僕の心に沁み込んでいる。京都の東山で、本物の桜を育てる過程で、自然破壊を身に沁みて感じ、こういう結論に達したのだそうだ。
 
 また、これも随分前のことだが、「ニュースステーション」という報道番組の中で、北の大地で「富良野塾」を主宰する脚本家(劇作家)の倉本聰さんが、「生きるために必要なものだけしか与えられていない条件下では、人の生活手段として本当に必要なものは、ものをつくる道具や精神力で、言葉は10番目にも入らない。後は自然から学べばいい」という意味のことを語っておられた。この言葉にも、僕は深い感銘を受けた。大きな目で見れば、これらのメッセージは、来るべきコンピューター万能のユビキタス社会や科学最優先社会、ハイテク社会、大情報化社会への核心を突くアンチテーゼでもあると僕は思っている。今日のテーマは、その倉本聰さんの世界だ。

 閉鎖したゴルフ場を森に戻そうと、テレビドラマ「北の国から」で一世を風靡した倉本さんの提案で始まった環境プロジェクト、「C・C・C富良野自然塾」が2年目を迎えた。約35ヘクタールの土地には、地球の歴史や自然の大切さが肌で感じられる様々なコースが設けられている。これらは全て、倉本さん率先のアイデアによるものだ。倉本さんの自然環境に対する考え方は、的を得ているし、僕は常に尊敬している。だから今日は、倉本さんの意見に従って、彼の世界を僕なりに同時進行してみたい。

 倉本さんは言う。「富良野に移り住んで30年。あらためて思うのは、人間がものすごい勢いで自然を壊しているということです。『不毛』という言葉がありますが、これはなにも砂漠だけを指すのではありません。都会のアスファルトには植物は育たない。つまり、文明社会はどんどん不毛の地を増やしているのです」 その通りだろう。特に大量消費、大量生産時代からバブル崩壊までは、開発と言う名の破壊で日本列島は大きく傷付いた。あのままバブルが続いていれば、日本はとんでもない方向に進んでいただろう。金に踊ったバブルの崩壊が、日本の自然環境破壊の抑止力になったのだ。このことは疑いのない事実だ。日本人が、一億総中流意識を持ち、金権をめぐって欲望の限りを尽くした残照は、忘れられたはかないモニュメントとして、今も日本列島のあちこちに深く刻み込まれている。そして、今はもう誰も振り返ろうとはしない。しかし、それでもなお、まだ懲りないで人類は不毛の地だけは増やし続けているのだ。

 倉本さんは、環境問題を突き詰めて行くと、水と酸素の問題に行き着くという。その問題を解決するために重要な役割を果たすのが「葉っぱ」だ。彼は言う。「僕たちは、酸素がなければ数分も生きられないのに、酸素を生み出してくれる植物を自分たちの手で減らしています。動物と植物は共存しないと成りたたないのに、いまそのバランスが崩れている。この関係を元に戻すために、木を植え、葉っぱを育てる必要があります」と。
 言い換えれば、塵も積もれば山となり、小さな葉っぱは、大きな不都合な真実を凌駕するのだ。地面に落ちた種が自然に芽を出す「天然更新」が進み、倉本さんの予測では、約50年で森は再生するという。気が遠くなる様な長い年月が必要だ。倉本さんはおろか、この僕ももう生きてはいないだろう。富良野に限らず、本来なら豊穣である筈の日本列島の森や林や田や畑は、辛うじて昔から維持されて来た自然との共生の法則が崩れ、今は守る人がいない現状だ。葉っぱは、水と酸素の根源。また、葉っぱは山から川を流れて豊かな海をつくる自然循環の主役だ。病葉となる最後の一葉までいとおしみ、人間の間接的な力で無事に海に運ばなければならない。そのための始めの一歩、葉っぱを植えよう。

 「自然と向かい合っていると、人間はなんてちっぽけな存在なんだろうと思いますね。僕らがここでやっていることはただ、自然がやっていることの手伝いなんです」 倉本さんのこの謙虚さ。これが自然と人間の正しい尺度ではないだろうか。この距離感覚を無視すると、必ず自然は人間にしっぺ返しをする。
 さらに倉本さんは、自然との触れ合いについて、こうも言っている。「普段、(人間が)どれだけ視覚からの情報に頼っているかということです。目から飛び込んでくる映像に頼りすぎてしまうと、嗅覚、味覚、聴覚など、それ以外の感覚が押さえつけられてしまう。五感をみがくといいますが、まずは五感があることに気付くべきです」 この言葉にも、僕は心底共鳴する。視覚からの情報に頼ってしまい、五感をみがかないために引き起こされる犯罪が、今世の中に続発しているではないか。これは、僕流の言い方をすれば、「デジタル犯罪」だ。アナログの良さを忘れてしまって、突然感覚マヒを起こしたかの様な人間性のない犯罪が、わが街でも後を絶たない。まさに自然は、人間の心をつくる塾なのだ。
 この自然塾は、絶対ウソはつかない。そして、46億年の地球の歴史を支えた地球の宝物が、何を隠そう自然そのもの。この宝物が、良質の研ぎ澄まされた五感をつくるのだ。このことを、たかだか知れた歴史しか持たない人間は、肝に銘じるべきだろう。

 以上、要領を得ないまでも、今日は我が尊敬する倉本聰さんの世界に同時進行出来て、僕は非常に嬉しく思う。富良野自然塾の季刊誌は「カムイミンタラ」だ。カムイミンタラとは、アイヌ語で「神々の遊ぶ庭」という意味らしい。僕もカムイミンタラで、五感をみがく自然にもっともっと触れたい思いだ。
 もう一つ、富良野自然塾には、「地球の道」があるという。46億年の地球の歴史を460メートルの道で表現したものだ。それに従うと、人類の歴史は僅か「2センチ」 まさに瞬間、刹那の世界だ。そんなちっぽけな世界で、人間は日々あくせくしている。そう思うと僕は空しい。と同時に、なお一層自然の孤高さを感じる。ならば、僕も肩の力を抜いて、僅か2センチの世界で伸び伸びと生きたい。でもこう想う心が、そもそも「ちっぽけ」だろうか。倉本さんに聞く他ない。

/116.メダカの学校(尾瀬と只見川)

2007-08-05 12:21:26 | Weblog
 突然ながら、蚊に刺されるのはどんな人? 朝日新聞によると、血液型で言えば、O型が刺されやすくA型が刺されにくいらしい。そして、一般的に刺されやすいのは、適度な汗を掻いている人、運動や飲酒で二酸化炭素の排出量が増えている人、体温が高い人だそうである。僕はA型だが、運動好きで汗も掻くし飲酒もする。だから当然体温も高いだろう? 地球温暖化の犯人? 刺されやすい体質なんだ。そう解釈しよう。
 ところで、血を吸うのは雌だけ。普段は花の蜜などで栄養を摂っているが、産卵のために血が必要だということだ。蚊に刺されないためには、蚊の好む黒色を避けなるべく白い服を着ることと、当たり前だが、肌の露出を少なくすること。蚊よけには、ベランダに、ラベンダーやローズマリーなどのハーブを植えると効果的だ。僕は庭に植えている。懐かしい除虫菊が原料の蚊取り線香は少なく、現在市販されているものは、ほとんどが人工化合物になっている。蚊よけで夏の風情を楽しむにはちょっと寂しい気がする。蚊を避けるカヤも、今はカヤの外だ。一種独特の雰囲気があり、好んで入った昔の情景を思えば、なお更その感を強くする。

 以下女性二題。 損保メーカーがインターネット調査した結果、サラリーマン世帯の主婦の45%は「へそくり」有り。その平均額は、267万9千円だそうだ。正社員は、476万円以上で専業主婦やパートを上回ってはいるが、それでも家計の現状は51%が「苦しい」らしい。へぇー。苦しい中で、ダンナに隠れてなかなか大したもんや。 僕は感心、感心。

 ある評論家によれば、テレビという媒体は女性向き。女性は、明らかにテレビに利用されているらしい。僕自身も時々それを感じる。また、女性は社会においても、利用されやすい立場の存在であることも確かだろう。例えば、学校の成績と仕事の地位が一致しないのは、女性をみるとよく理解出来る。僕の学生時代の頃も、僕より成績のいい女性はいっぱいいたが、社会に出れば、必ずしもその通りになってはいない。例えば会社は、労働という意識に薄く、仕事に対して根底を突く文句を言わない、知らぬが花の女性心理を巧みに利用して人件費を抑え、自らの給料にこともなげに「ピンハネ」しているという構図はあるだろう。また、それが今の日本企業の悪しき体質かも知れない。
 かと言って、女性が飽くまでも権利を主張して、職場の重要ポストに就いたとすれば、当然それなりのプレッシャーはかかる。このプレッシャーは言い換えればストレスだ。一般的にみて、女性は体質的に過度のストレスに弱い。だから、必然的に現状楽な選択をせざるを得ない「お家事情」というのもあるだろう。どちらを選択するのかは別として、仕事上で女性を利用する日本社会の暗黙の構図は、全国津々浦々何処の職場にも存在することは疑いのない事実だ。また、それを日々痛切に感じているのも女性自身だろう。僕はそう思う。

 「雲は湧き光溢れて」 夏気分が最高潮の季節だ。日本列島のあちこちで非日常の雄たけびが聞こえる。この季節になると、胸騒ぎの予感を覚えるのが、ガキの頃から青春時代にかけてのすっかり夏気分の思い出だ。そして、その思い出に繋がるのは、五感を刺激する夏山の冷気や汗の臭い、砂浜の潮の香りや磯の香り、学校や遊戯施設のプールに充満するカルキの臭いだったりする。太平洋高気圧は今夏まだ勢い不足だが、本来ならそのH(ハイ)がぐっと迫り出して、文字通り超ハイ気分の夏のレジャーで日本中が騒ぐ季節。老若男女、それぞれの現在進行、過去完了形の夏の思い出があるに違いない。 例えば、そんな夏の旅心を刺激する何かを持っているのが、「♪夏が来れば思い出す・・・・・♪」の日本を代表する観光地「尾瀬」だろう。今日のブログのタイトルのきっかけとして、まずその尾瀬の話をする。

 尾瀬は、本州最大の高層湿原地帯だ。400あまりの池沼が点在する湿原には、水芭蕉、ニッコウキスゲ、ショウジョウバカマ、ヌマガヤ、ワタスゲ、オニユリなどの湿地植物や高山植物が群生し、その壮麗な自然の佇まいに旅人はしばし「茫然自失」する。僕もそうだった。尾瀬沼から木道(周遊道)を通って、大江湿原、尾瀬ヶ原、三条の滝へと続く自然美の景勝は、至仏山などのなだらかな山容の風景と相まって、今でも尾瀬を訪れる旅人の心を魅了してやまない。
 ここでクイズだ。尾瀬は、只見川の最上流部のとある山の溶岩が堰き止めた湿原だ。では、東北一の高峰でもあるその山の名前は何か? ・・・・・。正解は、標高2356mの「火打(ひうち)ヶ岳」だ。この山が、言わば尾瀬の生みの親だ。

 それはさて置き、阿賀野川の源流部がある只見川は、日光国立公園の尾瀬沼や尾瀬ヶ原を経て山を下り、平滑(ひらなめ)の滝や三条の滝を形成しながら、低地の少ない急峻な山間を縫って会津地方南西部を流れる。そして、新潟県では阿賀野川となって日本海に注ぐみちのくの大河だ。
 かつて平家の落人の秘境を流れると言われたこの川は、上流も美しいが中下流部も美しく豊穣な川で、流域にはダムは多いものの違和感はなく、のどかな集落が続き、新緑、紅葉、雪景色の名所で、訪れる人の心を和ませる。また、秘境という言葉に相応しい秘湯も数多く、旅の奥行きは相当深い。この様な奥のある豊穣な只見川は、河原にはカジカが鳴き、清流にしか棲まないと言われるイワナやヤマメ、アユ、ハヤ、オイカワなど川魚の天然の宝庫だ。こんな清流には当然メダカが泳いでいる。 
 
 ところが、「♪メダカの学校は川の中、誰が生徒か先生か・・・・・♪」と童謡唱歌に歌われたメダカが、最近は我々の身近でめったにお目にかかれなくなったし、目にする機会も少ない。大阪などの都会でも昔は姿が見られたのに、何故いなくなったのだろうか。この答えは簡単。メダカを絶滅危惧種までに追いやった犯人は他ならぬ人間だ。人間が、心ない護岸工事や農薬散布などで、メダカの学校を廃校寸前まで追い込んだのだ。これが直接の原因だろう。 これについては、「これからは田舎暮らしが面白い」などユニークな著書がある、手作りリゾートの提案者、吉津耕一(きつこういち)さんが、とある雑誌に興味ある提言をしているので、それを参考に、その趣旨に沿って、僕なりの解釈を試みた。

 最近、「昔の川はキレイで魚もたくさんいた」という、子供の頃を懐かしむ人が多い。確かに魚影は濃かったし、川自体もキレイだったが、今よりもひどい面もあった。心当たりがある人は思い出して欲しい。川の近くに住む貴方の地元には、かつてほとんどのゴミ捨て場が川岸にあり、生活汚水もそこから排出されていた筈だ。この点、僕は疑う余地はない。知っていて知らぬフリをする人はそう多かったとは思わないが、あの時代の趨勢として、今よりずっと無神経な方法で、平気で川を汚していたのは確かだろう。
 しかし、それでも川はキレイだった。何故だろう。それは、一言で言うならば「自然の浄化能力」だ。川の中の微生物や河原の石に着いた藻、岸辺の葦や雪柳などの植物が汚れを浄化して、人の力では簡単に汚されない反骨力のある川が流れていたということなのだ。そういう、言わば自然の治癒能力を極めて短期間で奪ってしまったのが、バカの一つ覚えの様な心ない護岸工事と毒性の強い農薬散布で、それを仕掛けたのは人間様なのだ。この高度成長という時の流れに身を任せた人間の暴挙、大いに反省しなければならないだろう。

 僕なども「川ガキ」の思い出がたくさんある。子供の頃、学校帰りの橋の欄干から川を眺めると、いるわいるわ、魚の影が無数に水底を走っている。それを見ると、居ても立ってもいられない。そりゃあもう大騒ぎで家に帰り、水中眼鏡を持ち出して川にドボンだ。夏休み中ならばなお更。そして、先ず最初に水中眼鏡に映ったのは、可愛い姿で尾びれや背びれを振りながら、銀鱗も鮮やかに水面近くを飛び跳ねるメダカの群れだ。その光景は、総天然色で今でも脳裏に焼き付いている。水面下の川岸にはエビやゴリキもいた。
 僕は思う。あの頃の豊穣な川を、今の子供達や自然愛好家の都会の人達にも見せてやりたいと。でも、悲しいかな、今の川はすっかり浄化能力を失ってしまった。

 僕の近くの淀川や大和川は確かに流れてはいる。しかし、その実態は残念にも「死んだ川」だ。この両川共、僕は、当時愛用の競輪仕様の超軽量の自転車で遡ったことがあるが、上流部も下流部も汚過ぎる。鼻をつく異臭があり、川というにはあまりにもお粗末だ。ましてや、もっと近辺の寝屋川や古川は、川ではなくてもう完全にドブだ。特に古川は随分前から死んでいる。寝屋川は、行政が中心となって、駅前の川岸に清流祈願のモニュメントを造り、ホタルとメダカが蘇る川を目指してはいるが、昔の流れを取り戻すのはまだまだ至難の業だろう。だけど、市民の心意気は買う。清流を願って立ち上がったのはいいことだ。僕も力になりたい気がしている。これからも未来ある子供達に、かつての豊かな川を伝える努力をしてもらいたいものだ。その結果として、川が浄化能力を回復し、近未来にメダカの銀鱗が川面を賑わせてくれるなら、それこそ人間の努力が実を結んだということだろう。

 一度なくしてしまった自然を蘇らすのは、気が遠くなるほどの長い時の流れを要する。が、最近僕が感じているのは、こんな寝屋川の様な、やっちゃ場、がっちゃ場のごった煮の街中にも、極僅かではあるが、自然が復活して来ているという嬉しい事実だ。僕の記憶では、その復活の転換点は「バブル崩壊」だと言いたい。ひょっとすればこれは本当かも知れない。そう感じている。であるとすれば、皮肉なことに金の切れ目が縁の切れ目ではなく、まさに金の切れ目が偶然にも自然の復活を呼び込んだのだ。もう一つ言えば、失われた10年が、自然にとっては得られた10年であった訳だ。これは何を意味するのだろうか。これは明らかに、金に固執する人間の欲と傲慢さを、身体を張って自然が戒めた結果だろう。いかに偶然ではあっても、この転換点は人間の心を変える方向を示唆したのではあるまいか。僕はそう痛感せざるを得ない。

 もう一度言おう。美しい川は上流も下流も美しい。川は位置のエネルギーによって上から下へと流れている。上は元栓だ。今の都会の川は、例え復活を果たした東京の多摩川と言えども、元栓が悪過ぎる。分かりやすく言おう。昔、「臭いものは元から断たなきゃダメ!!」というコマーシャルがあった。まさに都会の川はその通り。元から断たなきゃダメなのだ。元は人間の心も意味する。
 その意味で、今日僕は、メダカの学校の復活を願って、上流も中流も美しいことで有名な、只見川を例に挙げて副タイトルを「尾瀬と只見川」とした。尾瀬から下る川は豊穣でなければならない。旅人の心を癒す尾瀬の自然から流れる川なら、メダカ達も棲み心地は満点だろう。

 くどい様だがもう一つ警告しておく。僕の記憶では、メダカの学校が消えたのも、高度経済成長で国民が金に踊り、人心が荒ぶ方向に向かった時代だった。我々はそのことを気にも留めないだろう。しかし、メダカ達はそのことを知っていた筈だ。そして、多分高慢ちきな人間に向かってこう言っただろう。いったい誰が「生徒か先生か?」

/115.参院選僕なりの総括(政治は何を優先すべきか)

2007-08-04 10:52:38 | Weblog
 7月31日、豊岡市のコウノトリが46年ぶりの大ジャンプ。ついにやった!! この心温まる話題、もっかのところ今年の僕のトップニュースだ。嬉しい。「○、○、○」だ。 大阪桐蔭高校の中田翔君。85年、PL学園の桑田、清原以来の夏の大阪府予選三連覇ならず。残念!!  関空の4000メートルの第二滑走路がオープン。日本最長だが、ハブ空港として日本一を目指すには色々な問題があり過ぎる。 
 昼下がりのオフィス街、公園の樹幹に鈴なりになっているクマゼミの大群。その光景は異常だ。日本一暑い都市大阪は日本一のクマゼミ天国。今は見慣れた不気味な光景は、まさに不都合な真実そのものだ。そのクマゼミ、実は思いもよらぬ断線の犯人だ。何と光ファイバーケーブルを枯れ枝と間違えて、一生懸命、産卵管を突き刺すという。驚きだ。  原油の値上がりが続く。石油に弱い日本、この先果たしてどうなる? 資源無し国の宿命だ。

 訃報二つ。8月1日は大阪府富田林市のPL教団花火大会。国内最大級の約10万発の花火が、真夏の夜空を飾った同じ日、くしくも、戦後の歌謡史を名曲で飾った作詞家の阿久悠さんが逝った。「また逢う日まで」「北の宿から」なども良かったが、個人的には、ピンクレディーの「UFO」、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」、高橋真梨子の「五番街のマリーへ」、森田健作の「さらば涙と言おう」が印象に残っている。時代を先取りしたかの様なインパクトのある歌詞と高校野球への熱き思い。僕のブログが「/」でなければ、「○」をもっともっと書きたい気がする。そんな人だった。偉そうなことを言わせてもらえば、僕も知らず知らずの内に彼の詩の影響を受けていた一人だ。そんな阿久さんが目指していたのは、「美空ひばりさんが歌いそうにない歌」で、一番の心残りは、「美空ひばりさんのために、歴史的な歌を提供出来なかったこと」だそうだ。分かる様な気がする。もし提供出来たとしたら、いったいどんな歌だったのか。僕はじっくり聴いてみたい。皆が演歌を唸った時代のヒットメーカー、好きだった「言葉の魔術師」の冥福を祈りたい。
 欧州、アジア巡り、1日1ドルの貧乏旅行記「何でも見てやろう」の小田実さんも亡くなった。作家の開高健さんらと「ベ平連」を結成し、我々の世代には共感を呼ぶ反戦運動家だった。僕も人生論など難解な彼の執筆本を何冊か読んだが、あの頃の浅学で若気の至り時代が懐かしい。謹んで平和に合掌。

 次は、情けない三昧。 領収書を掲げただけの二ヶ月で辞任した赤城農水相。二束三文の商売人ではあるまいし、絆創膏を貼った哀れな姿と共に情けないの一言だ。 サッカーもバスケットも、いざという時に韓国に負ける日本。負けの差はいったい何だろう? 情けない。 ウソの診断書を提出し、本国モンゴルでサッカー遊びをしていた横綱朝青龍に、相撲協会が二場所出場停止処分。情けない。 たまにポストに入っている我が寝屋川市の月間広報。何回読んでも面白くない。もっと記事の内容を工夫出来ないものか。情けない。が、唯一興味をそそるものがある。同地点での今昔風景写真だ。何故か感慨深いものがある。あえて言うなら故里への郷愁だろう。

 「ラッセー、ラッセー」 大勢の「ハネト」が先導(扇動)する勇壮な祭り、と言えば、もう始まっている東北三大祭の一つ「青森ねぶた」だ。ここで突然クイズだ。この祭り、青森市ではねぶたと呼ぶが、さて、お隣の弘前では何と呼ぶ? ・・・・・正解は「ネプタ」だ。余計な知識を参考までに。 大阪では日本三大祭の天神祭りが終わった。終わった後に何が残るのか、以下今日は、参院選という祭りの後の残照、及び総括だ。

 第21回参院選は、民意を読めなかった安倍自民党の歴史的大敗で終わった。当選者を見ると新顔が目立つ。役立たずの老兵は去れということだろう。有権者(国民)の安倍政治に対する答えは明らかだ。この逆風を演出した第一戦犯は、何と言っても社保庁の職員だ。第二戦犯は、相次いだ閣僚の失言と不透明な政治とカネの関係だろう。その政府の初動ミスに対する国民の怒りが頂点に達し大爆発した結果、 敗北の将自民党は今、「国敗れて山河有り」の醜態をさらけ出している。「政治は何を優先すべきか」 ここがこの戦いのキーポイントだった。
 マスコミなどで報道されている国民の声は、必ずしも勝利した民主党の政策を全面的に支持した訳ではない気がするが、よっぽど素っ頓狂な意見を除いて、自民党はこの国民の怒りや声なき声を真摯に受け止め、正すべきエリは正すべきだろう。一方の民主党も、決して大躍進のこの結果に慢心してはいけない。国民の期待をそれこそ満身で感じながら、一つ一つの公約実現に向けて、全身全霊を以て尽くす努力をしてもらいたいと僕は思う。

 ところで、僕が一番気になっていた選挙当日の投票率は、全国では58、64%、大阪全体では55、8%、我が寝屋川市では54、71%だった。この数字をどう見るか? 僕の評価は、前回よりも上がってはいるもののまだまだ「/」だ。大阪府全体でも全国平均よりも低い上に、我が庶民の街、弱者の街寝屋川市の真意を問われた選挙にしては、過半数の50%に届かず残念と言う他に言葉がない。
 と言うことは、わが街の約半分の人が、投票所に足を伸ばさずダンマリを決め込んだということだ。洞ヶ峠を決め込んだ人は別としても、そんな人が日頃政治に対して、言わずもがなの文句ばかりを言っているのかと思うと、僕は怒り心頭だ。腹が立つ。いい加減にせよと言いたい思いだ。しかし、この選挙結果には僕なりのサプライズがあった。「毒を食らわば皿まで」と「羊頭狗肉」の看板を掲げ、数の力で独走した自民党の極悪政道に野党が歯止めをかけという事実だ。また、閉塞感漂う混沌とした日本の政局の「地殻変動」を感じた選挙ではあった。

 今日の僕の「/」は、参院選の僕なりの総括。「そんなたいそうな」という大阪のオバチャンの呟きも聞こえて来そうだ。確かに、そんな大げさなものではないが、この辺で、今回の選挙で僕が感じたことを、要領を得ないまでも例によってランダムに記述してみることにする。 先ず第一に言えることは、結果として、国民が「美しい国」「戦後レジームからの脱却」に代表される抽象的な日本の近未来よりも、今目の前にある「自分の現実生活」を重視選択する方向を示したということだろう。 理想と現実は明らかに違う。待てよ、理想の言葉尻はいいが、我々の生活の実態は一向に良くならない、苦しくなる一方だ。この矛盾を遅まきながらも有権者が身に沁みて感じ、これではダメだ、もうたくさんだと自民党に「ノー」を突きつけたのだ。この意義は大きい。

 大まかに言えば、今日本国民の多くは、バブル以降「古き良き日本よもう一度」と「変わらなければ未来はない」の狭間で心が揺れ、その答えを出せないままもがき続けて来た。その中で失われたものは数多くある。しかし、夢をもう一度と、既成の自民党政治にすがりつきたい気持ちもまだ残っていたことは確かだろう。だが、現実はどうか。自民党にすがりついても、すがりついても、その期待はことごとく裏切られ、我が心は失望するばかりだ。いったいどっちが正しいのだ、悩みに悩み抜いたその終着駅が、あるいはこの参院選だったのではあるまいか。僕はそのことを痛感せざるを得ない。

 とりわけ、その感が一層強いのは「地方」だろう。勝ち組と言われる都会で集めた税金を、公共事業などを通じて地方に配分する「地方交付税」 この財源によって、地方は生き延びて来た。ことの良悪はともかく、これが自民党政治を支えて来た地方活性のメカニズムだ。だが、この生命線は、代わりの根本的な政策がないまま小泉政治によって終焉を告げた。この結果、雪崩現象の如く地方経済は疲弊した。そればかりか、北の大地「夕張」の様に財政破綻する自治体が出現した。また、財政破綻はしないまでも、その延長線上でもがく自治体は現在日本に山ほどある。
 その過程で、住民の終の棲家の様相も一変する。見渡せば、過疎の市町村は郷土愛に執着せざるを得ない高齢者ばかりだ。我が町の生活に対する焦り、不安と不満が日に日に募り膨らんでいるのに、政府と行政は本気で取り組んでくれない。そうしたやるせない思いが地方の民の底流にあるのだ。そして、この思いが爆発した結果、かつて自民党の牙城と言われた四国や東北など、農村部を抱え込んだ地方では自民党が無惨にも敗北したのだ。これがある一面、この選挙の象徴的な光景だった。人間やはり目の前の衣、食、住が大事だということだろう。

 第二に、・・・・・待てよ、あまり書いても得策ではない。テレビや新聞が多方面から分析を加えて、選挙総括をしているからだ。だから、弱気になってもう一つだけ書き加える。今回は無党派層の票が民主党に流れた。この意味も大きい。全てではないにしても、この人達は僕の様に、派遣社員などの非正規雇用者が多いと思われる。自分のことはさて置き、とりわけ僕が想起するのは、この選挙であからさまに出たであろう若者(成人)の政治に対する思いの復活だ。この若者の中には、突然不幸の中に巻き込まれた様なロストゼネレーションがいる。勿論それを自分が希望した訳ではないのに、失われた10年などで就職口がないという、時の社会情勢に翻弄された世代だ。
 他にも、ネットカフェ難民、ワーキングプアなどなど、超低所得で明日の生活もままならない人達がたくさんいる。これらの無党派層が、結果として、これらの問題を解決してくれそうな民主党の票を押し上げた。ここがキーポイントだろう。

 一般的な意見を除いて、この人達の不満のハケ口はいったい何処だろう。民主党だろうか。否だ。この人達の思いの的は「企業」ではないだろうか。そもそも数の論理から言えば、戦後日本の雇用や福祉を、中心となって支えていたのは、実態として、国ではなく企業だった。それ故、標準的な人生そのものから除外されたロストゼネレーションが存在するのだ。だから、彼らは始めの内は企業に雇用を求めていた。しかし、企業の姿勢はあまりにも「冷たいそっぽ」だ。それが分かると、彼らは矛先を変え、最近は国に制度改革を求めている。この振る舞いが、今回の選挙に顕著に反映されたのではないだろうか。
 でも、僕は飽くまでも弱い者の味方。これらのロストゼネレーションなどの弱者を救済するのは、最終的には企業だ。ここで、かつてないほど儲けている企業の社会的責任が大きくクローズアップされる。官民の関係で言えば、政治の中では、しばしば民(企業)は官の陰に隠れている。しかし、雇用に関する限り実態は民あっての官だ。企業は今こそ、社会的責任を以て弱者を救済しなければならない。それが社会貢献だろう。企業が選挙でカヤの外の社会では、国民は疲弊する。このことは、有権者として是非言っておきたかった。

ともあれ、いくつもの信が問われた今回の選挙で、敗北したのは安倍さんだ。色々意見はあろうが、どう考えてもこのまま続投はおかしい。政治は何を優先すべきか。その意味で、安倍さんは早急に退陣するのが妥当だろう。だけど、安倍さんは政治家としての道を探る時間はまだたっぷりある。ましてやこれが最後の審判でもないだろう。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」でもない筈だ。改心すれば、「アイシャルリターン」のマッカーサーの例もある。改心は大事だ。安倍さん、お分かりだろうか。今回の参院選の真の主人公は、改心した「地方の人」だったことを。