「/(スラッシュ)」

ナニワのオッサン 怒りのエッセイ!!

/27.温泉(かけ流しか循環か)

2006-09-30 00:40:32 | Weblog
 オウム真理教、奈良平群町の女児殺人と、思い出したくもない衝撃的な事件の公判が相次いだ後、日本初の戦後生まれ、52歳の安倍晋三内閣が誕生した。その途端、あの小泉さんがもう遠い存在の様に思われる。本当に世の中の移り変わりは早い。このスピードに乗り遅れない様にと自分に言い聞かせながら、ふと見上げた空には秋のうろこ雲。そして、もう少し視線を下げれば、軽やかに赤トンボの乱舞だ。こんな時には、ぶらり温泉旅行で気分をリフレッシュしたいものだ。という訳で、今日は無理やり温泉の話題だ。

 あれはもう何年前のことだろうか。よく覚えていないが、確か中里介山の「大菩薩峠」で有名な白骨温泉の「泡の湯」で、法で定められ登録認可されている温泉成分以外の別の入浴剤が偽って混入され、それがきっかけとなり日本中に温泉バッシングが吹き荒れたことがあった。白骨温泉は何かと話題になる有名温泉で、僕も少しショックだったが、もし、宿の側で分かっていながら意識的に混入したとなると、一種の詐欺的行為で決して許されることではない。記憶が確かであれば、この他にも、かなり名の知れた温泉地でもこの行為があった様だ。これ以後、全国の温泉ファンを巻き込みながら、いわゆる「かけ流し」「循環」論争へと発展した。
 僕は「かけ流し」に越したことはないと思っているが、「循環」でも余り気にならない。と言うよりこの種の実態が正直よく分からない。だから、議論の外に身を置いているのが僕にとっては得策なのだ。ちなみに、近畿地方で「かけ流し宣言」をした十津川温泉郷は、世界遺産にも含まれる山深い味わいのある温泉だ。
 このかけ流し温泉、全国的にみればかなり少数派だろう。それに比べて循環式の温泉は圧倒的に多いが、何故かこの温泉、近所の安価なスーパー銭湯や普通の風呂屋さんとイメージがだぶる。ズバリ言って、立地条件を度外視すれば、どこへ行ってもそれほど代わりばえしないだろうと思ったりもする。しかし、こう考えてはいけない。こう考えるとロマンもくそもなくなる。「かけ流し」に対して、「循環」というイメージで対比させるから、人間「想像力」がなくなるのだ。この際、かけ流しでも循環でもどっちでもいいではないか。やはり、温泉は近所の風呂屋では味わえない、日常性を離れて心身を癒すところにその本質があるのだ。だから、その深い意味を我が心に抱いて、今すぐ温泉の旅に出かけるべきなのだ。

 ところで、この温泉、温泉法では摂氏25度以上の温度がないと温泉ではなく「冷泉」らしい。そして、含まれる鉱物質により、硫黄泉、食塩泉、炭酸泉、鉄泉などと呼ばれ、世界有数の火山国日本には至る所に温泉宿があり、古来人々に親しまれている。まさに、温泉大国だ。この名の通り、旅行や仕事で航空機を利用すると、特に火山帯の活動が盛んな九州や北海道などの上空では、それこそ湯煙が煙突の煙のように立ち上り、本当に温泉があそこにあるんだいう風景をまざまざと見せつけられる。その迫力は雲海よりも凄い。
 僕もかなり訪ねた方だとは思うが、まだ行きたい温泉がいっぱいある。この秋は何故か近くにありながら、まだ足を伸ばしたことがなかった、夢千代日記(竹久夢二)の湯村温泉へ友人と行く予定だ。理由は夢二は勿論だが、あの憧れの「吉永小百合」さんが映画で訪ねたことがあるということの方が大きい。(信濃と飛騨にまたがる野麦峠を訪ねた時もそうだった)
 僕の好きな温泉の条件は、一言で言えば大自然の中にあり、周囲の山紫水明にマッチしたワイルド(野性的)で、素朴で、質素な露天温泉、またはそんな雰囲気を持っている温泉宿だ。また、出来れば湯は透明より白濁、青、緑などの色付きが良い。臭いはやはり硫黄の香りが最高だ。ただ、いい温泉地でも、歓楽が目的だけの陰で商魂がさも見え隠れする温泉は、時と場合によるが余り好みではない。そんなことより、この辺で僕が今まで行ったことのある温泉を少し紹介したいと思う。

  まず、これはある意味マニアックかも知れないが、北アルプスなどに登った時、偶然にもその存在を知り、以来忘れられなくなった温泉だ。白馬鑓の直下にある槍温泉小屋の露天風呂。登山ルートに雪渓があり、それを見ながら白馬情緒満点だ。 同じく高天原(たかまがはら)山荘の露天風呂。山荘近くの沢にあり、時折落石が襲うというスリルと開放感抜群の素朴な温泉だ。また、蓮華温泉にある数ある露天風呂のうち、「仙気(せんけ)の湯」という最高所の二畳一間の湯。アルプスの景色を眺めながら一杯やるといい。この他、アルプス表銀座の合戦尾根への登山口にある中房温泉。ここは一般の人も行け湯の量も豊富だ。黒部峡谷沿いの祖母谷(ばばだに)温泉、名剣温泉、関電のトロッコ列車近辺の黒薙温泉、鐘釣温泉。いずれもワイルドな趣がある僕好みの温泉だ。この中では、ばばだに温泉がお勧め。そう言えばアルプスではないが、ずいぶん昔、知床のカムイワッカの滝(?)にある露天風呂に入った時は、ヒグマに遭遇出来るかの恐怖と戦った思い出がある。今何故か頭をよぎった。
 
 一般的な温泉としては、下北の薬研(やげん)温泉、田沢湖から入る秋田乳頭温泉郷(ここの黒湯、孫六、鶴の湯などの湯治湯の雰囲気を残す温泉には、自然をゆっくり観察しながらハイキングを兼ねて行くといい。)ほんとに素朴なたたずまいだ。八甲田の酸ヶ湯温泉は「ヒバの大混浴風呂」が気持ちいい。山形の銀山温泉はレトロな雰囲気が時を忘れさせてくれる。福島磐梯吾妻の土湯、高湯温泉。「玉子湯」と言う地元では名の通った宿が有名だった。言わずと知れた上州群馬の草津、四万(しま)温泉。文学を訪ねる伊豆の修善寺、湯ヶ島温泉。宿の職員の名刺がユニークだった下呂温泉。あちこちに露天風呂がある奥飛騨温泉郷。やはり捨てがたい白骨温泉。かけ流しの十津川温泉郷。岡山美作三湯。そして、近年有名な大分湯布院、九重連山の麓黒川温泉などなど数え上げればきりがない。いずれも、思い出に残る湯の宿だ。この中では、個人的に言うならば、例の白濁等の色付き(女付き?)温泉と、昔ながらの湯治湯の雰囲気が残る温泉が多い東北地方が僕の好みだ。

  しかし、残念ながら僕のブログのタイトルはあくまでも「/」。温泉を褒めてばかりではいけない。ここらで、かけ流しか循環(還流)かの議論にほど遠いが、僕が感じる温泉の一風変わった「好ましくない点」を上げておく。
 
(1)、湯船が部屋から近過ぎる。出来れば離れにあれば有難い。何故なら、宿をウロウロとゆっくり見物しながら、余裕を持って見聞を広めることが出来るからだ。湯船までのアプローチが長いと案外いいものだ。
 
(2)、温泉(宿)が、自然や周囲の風景とマッチングしていない。これはあくまで見た目の雰囲気の問題だ。僕の場合、予約のない場合は、これを自分の一瞬の第一印象と言う感性で判断する。決断は早い。
 
(3)、部屋まで、温泉の臭いがしない。これがないとダメ。硫黄の何とも言えない鼻をつく臭いがいい。この臭いが僕には快感だ。何時でもこの臭いを嗅ぎながらゆっくりしたい願望がある。変態だろうか。

(4)、山の宿なのに出された料理が魚。逆の海の近くなのに山菜も不満。やはり、ご当地料理がないと期待はずれと言う心境になる。
 
(5)、湯船(風呂場)がこり過ぎ。たまに、やけに豪華な風呂場がある。こんなのは希望ではない。女性で言うならば厚化粧。あくまでもナチュラルで、しかも、余り手を加えてないのがいい。それこそ「自然体の湯」と言ったところか。

(6)、宿の人がおせっかい。余り必要以上に気遣いされるとリアクションに困る。僕の場合ほっとらかしの方がマイペースで過ごせる。かと言って一言もないのは気味が悪いが。

(7)、分かっていても「男風呂」と限定される。欲を言えば、宿の人も少しは色気を持たせた演出をして欲しい。例えば、ウソでも「今日は混浴です」と言えば、それだけでも入浴意欲がわいてくるというものだ。が、これは僕の方に問題ありだろう。しかし、このことの関して、僕が若い頃、あの中国地方の湯原温泉のダムサイトから、もう少し下った所の川の中州に「よしず張り」の風呂があり、入ってみるとそこが偶然にも混浴だった。しかも若い女性ばかりで戸惑いながらもいい気分だった。もっともその中は湯煙ぼうぼうで、五里霧中。ちょっと残念だったが、こんなこともあるんだと興奮したものだ。

(8)、(7)に関連して、男風呂の隣に女風呂がない。これは何時も感じる。一般の風呂屋さんの様にならないか。言っておくが風呂屋で鼻歌を歌う時を想像して欲しい。風呂の湯煙によるサラウンド効果で、変な嬌声も男のダミ声もいいサウンドになり、意外と場が盛り上がるものだ。是非考慮して欲しい。

(9)、湯が極端に少ない。身体的には半身浴が一番いいらしい。が、僕の場合湯が満タンでないと何故か淋しい。風呂に入ったという満足感がない。

(10)、湯が熱い。風呂場がよく滑る。これも本人の好みと注意度の問題だが、僕は熱いのが苦手だ。一度あの草津の湯で、湯に入るまでの「湯もみ」の段階でのぼせてしまったことがある。また、アルカリ泉で有名な山陰の三朝温泉では、アルカリの影響かどうか分からないが、二度も風呂場のタイルに脳天を強打したことがある。それ以来、滑るアルカリ泉は苦手だ。

 以上、まだまだ温泉に対する注文は山ほどあるが、この辺でとどめておく。
ともかく、これからは温泉が恋しい季節だ。日本全国のひなびた風情や、豊かに湧き出るいで湯、秘湯を求めて、旅立つには今からが最高のシーズン。行く先々の温泉地では、多彩な泉質を持つ源泉が旅人を迎えてくれるに違いない。ある人には混浴の心地よいスリルが、ある人には自然の中の癒しの時が、またある人には恋しい硫黄の臭いが日頃のストレスを解消させてくれることだろう。お互いいい温泉詣でとなりますように。
 最後に、僕が気になっている温泉二題。まず、僕がスキーなどで一番訪れた回数の多い信濃の野沢温泉。バッジテストを受けたのもこのゲレンデだ。町の中心に大湯があり、それを含めて13の素朴な外湯がある。外湯を巡ると湯船の中では、地元の人の「今年の野沢菜の出来はどう?」などと言う会話をよく耳にする。これだけでも旅情が湧く。麻釜(おがま)で野菜を洗う風景は、信濃の風物詩だ。その昔、京の都から持ち帰ったというカブの葉だけが大きくなって今の野沢菜になったと言う。「菜の花畑に入日薄れ、見渡す山の端霞深し(?)」の歌詩で有名な高野辰之の記念碑も町中にある。今どんな様子だろうか。
 もう一つ、越後の燕温泉。妙高山に登って帰り際、温泉のすぐ近くのつり橋から眺めた露天風呂が今も目に焼きついている。標高が高いためか夏でもホタルが乱舞していた。その時一度きりしか入ったことがないが、山の傾斜地に掘られた自然のままの小さな温泉、今はどうなっているのだろう。あれはよかった。いつか行ってみたいものだ。 あれ。「かけ流し、循環論議」はいったいどこに行った?。