ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

バスで行く「奥の細道」(その46)  「大垣(奥の細道のゴール : 結びの地)」(岐阜県) 2019.10.10

(写真は、大垣の奥の細道のゴール( 結びの地)に建つ

 「芭蕉と弟子の木因(ぼくいん)の像」)

 

芭蕉は、弟子の路通と一緒に敦賀を発ち、途中の木之本宿で

1泊、そこから北国脇往還を南下、小谷城のあった小谷

(おだに)を通り、関ケ原に向かいます。

関ケ原からは、中山道を通って、ついに、結びの地(ゴール)

の大垣に到着しました。

 

スタート地点の江戸・深川から2,400キロ、142日間

にも及ぶ「奥の細道」の旅は、ここ「大垣」でようやく

終わったのです。

   

 

当時、大垣藩10万石の藩主・戸田氏定(うじさだ)の俳句の

奨励によって、大垣の俳壇は、大垣藩士らを中心に盛ん

でした。

 

芭蕉が、大垣藩士の近藤如行(じょこう)の家に宿泊すると、

到着を待ちわびた大垣の大勢の弟子達が、ぞくぞくと如行邸に

集まって来て、大歓迎します。

 

芭蕉は、大垣滞在中に、家老の戸田権太夫、弟子の谷木因

(たに ぼくいん)などの家を訪れて句を詠みます。

 

結局、大垣には2週間ほど逗留し、「おくのほそ道」の最後の

句である ”蛤(はまぐり)の  ふたみにわかれ  行く秋ぞ ”

を詠みました。

 

そして、ここ大垣の水門川の船町港から、桑名経由で、舟で

伊勢へ旅たちました。

 

 

我々のバス旅行は、小谷(おだに)の歴史博物館を出て、

いよいよ、「奥の細道」のゴールの「大垣」へ向かい

ます。

大垣に着くと、先ず、写真の「奥の細道むすびの地記念館」に

入りました。

(撮影禁止)

館内では、奥の細道に関する資料の展示の他に、3D映像の

奥の細道の紹介映画もやっていました。

 

記念館の隣は、上の写真の大垣藩の重鎮だった小原鉄心の別荘

の「大醒射(たいせいしゃ)」です。

次に、記念館の道路向いにある上の写真の「芭蕉と弟子の

谷木因(たに ぼくいん)の像」を見に行きます。

奥の細道の旅を終わり、水門川を伊勢に向かう芭蕉と、それを

見送る木因の像が向かい合って立っています。

弟子の木因や如行らも、一緒に芭蕉の船に乗り、写真の水門川

の途中まで見送ったそうです。

 

 

水門川は、大垣城の外堀として築かれた運河で、揖斐川

(いびがわ)を介して大垣と桑名を結ぶ船運の運河の役割

も持っていました。


 

 

上の写真は、水門川の船着き場で、次頁の写真は

「住吉燈台」です。

 

住吉燈台は、かつての川港の燈台で、港の標識であると共に、

夜間でも船が航行できるように造られました。

赤い橋は、水門川に架かる住吉橋です。

上の写真は、木因が建てた道しるべの「木因俳句道標」

(複製)ですが、本物の木因俳句道標は、「奥の細道

むすびの地記念館」の中に展示されています。

  ”南いせ くわな(桑名)へ十り ざいごうみち”

 (谷木因の俳句による道案内の柱ですが、季語の”桑苗”

 (くわなへ)と、芭蕉がこれから向かう”桑名へ”を

  掛けています。)

この道標は、芭蕉が木因宅を訪れた際に木因が建てたとのこと

ですが、俳句の道標は珍しいらしいです。

上の写真は、住吉燈台の近くの「蛤(はまぐり)塚」です。

 ”蛤の  ふたみにわかれ  行秋ぞ ”

(ハマグリの殻と身とを引きはがす様に、また、再び悲しい

 別れのときが来たことだ。)

この句は、芭蕉が江戸の千住を出発した際の ”行く春や

鳥なき魚の 目は泪” と対をなしています。


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コメント一覧

ウォーク更家
長かったバス紀行
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
「バスで行く奥の細道」の長くて拙い紀行文のブログを最後までお読み頂きありがとうございました。

そう、”行く春や~”と”蛤の~” が対になっているとは!、芭蕉の俳句は底知れず凄いですよね。

春と秋という季節の対比も、ここまで考えて旅をしていたというのは見事です。
tadaox
見事なバス紀行
https://blog.goo.ne.jp/s1504/e/3e6ddaebe7fc053b474038c4dd56cf52
”行く春や 鳥なき魚の 目は泪”と”蛤の ふたみにわかれ  行秋ぞ ” は対なんですか。
言われてみると、芭蕉の俳句は凄いですね。

春と秋という季節だけでなく、「魚の泪」と「蛤のふたみにわかれ」は別の意味で対になっているようですね。
泪と別れ・・・・芭蕉の底知れなさに震えがきます。

それにしても、ウォーク更家さんの「バスで行く奥の細道」も見事な紀行文でした。
毎回楽しませていただき、ありがとうございました。
ウォーク更家
奥の細道の長い旅
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
奥の細道の江戸でのスタートの句が、”行く春や 鳥なき魚の 目は泪”で、大垣のゴールでの句が、”蛤の ふたみにわかれ  行秋ぞ ” なんですね。

江戸から大垣までの2,400キロ・142日間にも及ぶ長い旅のスタートとエンドの句が対応しているなんて、壮大なスケールですよね。
もののはじめのiina
 奥の細道 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/1109f9f2b9540d1b9372f668e9776028
芭蕉の「奥の細道」の江戸での発句が、
 ”行く春や 鳥なき魚の 目は泪”
むすぶの句が、
 ”蛤の ふたみにわかれ  行秋ぞ ”
でしたか。^^

江戸から「大垣」までの2,400キロを142日間に及ぶ「奥の細道」の長い旅でした。

更家さんも、その道のりをよく (ウォーク)して果たしました。

> 異論なく珍百景
 「槍投げ標識」を珍百景に押していただきありがとうございます。
     なお、面白「標識」には「天国」行がありました。
     https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/083bd1a02ea203d67aeef5e75332d85e


ウォーク更家
ようやく結びの地大垣へ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
非常に長かった「奥の細道」のバスの旅のこのブログも、今回でとうとう第46回となり、ようやく、終点の結びの地・大垣に到着しました。

このパック旅行は、途中の平泉と山寺が抜けたのが残念ですが、それ以外は、なかなか経験できない素晴らしい旅だったと思います。

「蛤の~」の終の句は、深川を出て千住迄舟に乗ったときの「行春や~」の句と対句ですよね。

「行く春や」で始まり、「行く秋ぞ」で締めくくりとは、壮大なスケールの紀行文です!
hide-san
結びの地大垣
https://blog.goo.ne.jp/hidebach
大垣は結びの地として「奥の細道」終点ですね。


・蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ

終の句は、深川を出て千住迄舟に乗って、に対比して、
ここでもまた舟に乗り、
「行春や・・・」の句に対比して、
旅の最後を表すように、
句の終わりに「行秋ぞ」で締めくくった
対句になっていると言われていますね。
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