扇子用の和紙に書かれた文字 印は「原 敬」であった
「欲興 天下 共生 美風 立憲政友会創立廿年記念書」とある
原 敬(はら たかし)氏
1856年3月15日(安政3年2月9日) - 1921年(大正10年)11月4日)は、
日本の外交官、政治家。
位階は正二位。勲等は大勲位。幼名は健次郎。
号は一山、逸山。右上
原内閣(はらないかく)は、立憲政友会総裁・衆議院議員の
原敬が第19代内閣総理大臣に任命され、
1918年(大正7年)9月29日から1921年(大正10年)11月13日まで続いた
日本の内閣である。
陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣を除く、
すべての大臣に立憲政友会の党員を起用したことから、
日本初の本格的政党内閣と言われる
推測すると 小川平吉氏が 政友会に入り同会幹事長を経て
大正9年(1920年)原敬内閣の国勢院総裁になった事から
曽祖父も式典に出席し 記念品としていただいたのかも知れない
興味深いのは 「永井柳太郎」という政治家が同じ書を書いていることである
永井氏は 1920年憲政会から代議士となり,
帝国議会で〈階級専政を主張する者,西にレーニンあり,東に原敬あり〉と
その持ちまえの雄弁で原敬首相を批判したことは有名である。
また普通選挙法の成立に尽力した。その後,33年に立憲民政党の代表となった
*原敬氏・永井氏 ウィキペディア調べです
しかし 反目しあう二人が 何故同じ言葉したためたのかは解らないが
この言葉自体に 政治家としての教えがあるのかも知れませんね