奈良大和路水彩スケッチ散策

奈良・大和路の風景を寺社仏閣中心に水彩スケッチ探訪

生駒山 [F8]

2006-12-29 07:37:40 | スケッチ

 以前に描い生駒山です。生駒山の東にある矢田丘陵の中腹から描いたもので、この山の右方中腹に宝山寺があります。630メートルの頂上には、各チャンネルのテレビ塔、京都大学の天文台など林立。また遊園地もあります。この山を越えて大阪に通じる「暗峠越え」「鳴川峠越え」など古代からの路が通じています。
 妹に逢はず あらば術なみ 石根ふむ
 生駒の山を 越えてそ吾が来る 万葉集

 本日で今年のUPを終わらせていただきます。有難うございました。
 来年もよろしくお願いします。


宝山寺 本堂 [F3]

2006-12-25 16:01:17 | スケッチ

 江戸時代初期に、湛海律師が弟子とともに生駒山に入山、翌年正月には、仮本堂が建てられ大聖無動寺と号したのが始まりですが、寺伝によれば、山岳仏教の始祖である役小角(役行者)が本堂裏手にある般若窟で修行して般若径を納めたという。そのため宝山寺では、役行者を開基、湛海律師を中興開山としています。弘法大師(空海)もこの岩屋で修行したと伝えられています。
 本堂には本尊である不動明王が安置されています。本堂に隣接する聖天堂は檜皮葺き八つ棟造りの珍しい建物で、湛海律師が大聖歓喜自在天(聖天)を祭り、商売繁盛や延命、除病といった現世利益を求める民衆の信仰を集め現在でも参拝者は年間三〇〇万人を越えています。

宝山寺 桜並木 [F3]

2006-12-20 08:16:19 | スケッチ

 生駒駅から駅前商店街を抜けると石段がはじります。道の両側には桜並木が続き、閑静な住宅地となって、お寺に近づくと旅館、神具・仏具店、土産物屋などが軒を連ねています。
 以前は、沿道には、草鞋、杖、うどん、餅などを売る露店があらわれ、ケーブルカーが開通すると新参道の中間地区は住宅地化されましたが、昭和初期には、芸妓置屋やダンスホールまで設置されたといいます。
♪~生駒は悲しい女まち♪~  という流行歌がありました。

宝山寺 参道階段 [F3]

2006-12-18 13:45:03 | スケッチ

 大阪と奈良の県境にある生駒山の中腹に宝山寺があります。
 近鉄生駒駅から宝山寺へ石段を延々と登る参道を久しぶりに登りました。
 この他、日本で最初についたというケーブルカーや自動車道路を上る方法などがありますが、この石段の路は朝早くから健康のため登る人を多く見かけます。
 

錦の里 円照寺

2006-12-15 17:06:11 | スケッチ

 『あしひきの 山行きしかば 山人の 朕に得しめし 山つとそこれ』    元正天皇
 円照寺境内境内に歌碑があります。
 また、黒木門の手前を南に行くとよく整備だれた文智女王をはじめ歴代門跡の墓地があり、御陵なみに宮内庁の管理となっていいます。

錦の里 円照寺山門

2006-12-13 08:09:49 | スケッチ

 普門山円照寺は江戸時代初期の創建で,法華寺、中宮寺とともに「大和三門跡尼寺」と俗称されます。
 江戸初期、「紫衣事件」で知られる後水尾天皇の第一皇女梅宮が京都修学院に開山されたのがのちににここ山村の地に移って現在にいたっています。以来、初代文智女王以来、三皇女、有栖川宮家、伏見宮家、あるいは桜町、光格、孝明各天皇の養女が入寺されてきたという歴代門跡で、皇室からは三門跡尼寺の筆頭の扱いを受けています。


錦の里 円照寺参道

2006-12-11 07:41:30 | スケッチ
[F3]
 山村御殿とも呼ばれる美しい尼寺で、中宮寺、法華寺とならぶ大和三門跡の一つです。現在でも華道「山村御流」の家元として広く知られています。
 掃き清められた参道を行くと、黒木門の向こうに拝観客には固く門を閉ざした門跡尼寺、山村円照寺があります。