奈良大和路水彩スケッチ散策

奈良・大和路の風景を寺社仏閣中心に水彩スケッチ探訪

東大寺/戒壇堂

2012-03-30 06:14:19 | スケッチ
今まではスケッチを随時掲載していましたが、既に掲載したものを含め、一部加筆修正して大和路を北の方から紹介しています。

東大寺/戒壇堂/F3
 開山堂 とざして堅き のりこぼし  麦秋
754(天平勝宝6)年に唐の高僧鑑真が来日し、大仏殿の前庭に仮設した戒壇で、聖武天皇らに授戒したのち、常設の授戒道場として設けたのが戒壇院です。1180年の南都焼打ちや、三好・松永の兵火(1567年)などでたびたび焼失し、現在の建物は、1733(享保18)年に復旧されたもので、堂内には、木造多宝塔と、復旧の際にほかの堂舎から移された塑造四天王立像(国宝)が安置されています。
兜をかぶり剣をもち、目を見開く持国天、口を開け矛を突く怒りの形相の増長天、経典と筆をもつ静かな相貌の広目天、同じく静かにかなたを遠望し、宝塔を捧げる多聞天。いずれも邪鬼を踏みつけ迫力があります。
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北円堂付近からの五重塔

2012-03-28 05:48:43 | スケッチ
北円堂付近からの五重塔/F3
すこし北西になりますが北円堂近くからの風景です。

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南大門後からの五重塔

2012-03-26 04:42:30 | スケッチ
南大門後からの五重塔/F3
南大門あとからの塔です。ここは「薪能」が行われるところ、現在は南大門跡の発掘調査がされていて今は近づくことが出来ません。
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6南円堂前からの五重塔

2012-03-23 06:34:56 | スケッチ
6南円堂前からの五重塔/F3

南円堂の前の灯籠越しの塔です。
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塔の茶屋付近からの五重塔

2012-03-17 05:25:41 | スケッチ
5塔の茶屋付近からの五重塔
塔のすぐ東側、この石段をあがったところ「塔の茶屋」という茶店があります。緋毛氈に座って塔を眺めながら一献。
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4市内から五重塔

2012-03-15 06:10:59 | スケッチ
4市内から五重塔/F3
この辺り旧市役所、映画館などあった以前の市の中心街。もっと昔は柳生藩奈良蔵屋敷もこの辺でした。市街から一番公園に近いところ。塔が間近に望めます。
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荒池越しの五重塔

2012-03-12 08:46:14 | スケッチ
3荒池越しの五重塔
猿沢池の一段上方に「荒池」があります。荒池越しの五重塔。季節には桜越しに塔が望めます。
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2012-03-09 08:14:26 | Weblog
2五十二段上からの五重塔
五十二段上は三条通りの東の端、まもなく春日大社一の鳥居という所からの塔です。すぐ左は興福寺南大門跡です。
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1五十二段下からの五重塔

2012-03-07 05:01:47 | スケッチ
今まではスケッチを随時掲載していましたが、既に掲載したものを含め、一部加筆修正して大和路を北の方から紹介しています。

興福寺五重塔は光明皇后が天平二年(720)に造営を発願されたといいます。聖武天皇発願の東金堂と廻廊がつけられて、東院仏殿院と呼ばれていました。しかし寛仁元年(1017)六月焼失、再建されたものの、平重衡の兵火により消失、復興されましたが、またもや焼失。五回もの焼失と再建を繰り返し現存の塔は、応永二年(1426)再建ですが天平の面影を伝えているといわれています。
京都東寺の塔に次いで高い塔でいろんな方向から見え、奈良を象徴する風景の一つとなっていて、それぞれ趣があります。

1五十二段下からの五重塔
高いもの、大きなものは見上げるよりは遠くから見た方が素晴らしいと思います。ここは塔から猿沢池に下る五十二段とよばれる階段に下から見たものです。
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4北円堂/F3

2012-03-05 05:17:54 | Weblog
4北円堂/F3
この堂は元明・元正両天皇が藤原不比等追善供養のために、養老5年(721)創建した堂で、当時は不比等が遷都に力を尽くしてきた平城京を一望できる地でした。円堂院とよばれていましたが、その後南円堂が建立されたので北円堂とよばれるようになりました。創建以来数度の火災にあい、現在の堂は鎌倉初期の承元2年(1208)に再建されたもので現在の興福寺の伽藍の中では最も古いものです。
堂内の中央に本尊の木造弥勒仏坐像(国宝)、その両側に菩薩立像の三尊像を祀ります。さらに運慶作の木造無著・世親両菩薩立像(国宝)があります。
 北円堂の 松に花見て 通りけり  青々


興福寺近年の変遷
明治十二年(1870)十二月には、社寺上知令が発令されて、堂塔以外のすべての寺地を没収された上、中金堂は県庁舎に、食堂は寧楽学校舎(奈良師範学校の前身今の教育大学)として利用されることになりました。中金堂本尊の釈迦如来や食堂本尊の千手観音像などの諸仏は、南円堂、北円堂に、所狭しと押し込められました。
明治八年には、食堂と細殿が取り壊されて、その跡地に洋風建物が建てられて、県庁はそちらに移り、転用されていた中金堂は整備されて、本堂の釈迦如来像や、食堂の千手観音像が中金堂に祀られました。宝蔵院流の槍術で有名な宝蔵院の跡には帝室博物館(現国立博物館)が建ち、法親王を門跡にいただく格式高い一乗院の震殿は、奈良地方裁判所として四十年前まで使用されていました。(この建物は、1962年に唐招提寺に移築改修され、開山堂として昔の面影をとり戻しています)。売られて壊されようとしていた五重塔も無事に収まって、奈良を象徴する風景の一つとなっています。
明治十三年(1180)二月、興福寺の旧境内は春日野と共に奈良公園として開設された。接収されたまま荒れ果てていたのを、イギリス人の技師を招いて整備するのに、ロンドン郊外にある自然を生かしたリーゼントパークを参考にして設計されたといいます。
昭和三十四年(1959)二月には、食堂跡に国宝館が建設され、貴重な仏像や宝物が、安全に保管されるようになりやっと治まった感じです。
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