走友会の恒例の事業の一つにマラニックがあります。
余談ですが、以前、この言葉に「不適切用語が含まれていますので送信できません」というような警告が表示されたことがあります。(このブログを始めるよりもっと前のことですが)
昨日がその日なので、行ってきました。
集合の定刻を過ぎてもこの事業のリーダーが姿を見せないのでまとめ役さんが電話すると、あっ、忘れていた! だそうです。大丈夫ですかね。
遅れること40分で仲間のワゴン車で出発、メンバーは5人しか集まりませんでした。
場所は、甲府盆地と富士山麓を区切る御坂山塊の東端あたりから、ほとんど1500m級の尾根伝いを歩き、たまには走り、富士山に近くなる三ツ峠経由で戻ってくるほぼ円形のコースです。
盆地と河口湖方面を結ぶ主要な幹線である国道137号線を利用し、途中旧道に入り、車を置く場所に向かうのですが、この国道、普段ならひっきりなしに行きかう車が全くと言っていいくらい見当たらないのです。
一昨年の中央道笹子トンネルの天井板崩落事故を受け、それと同じ造りのトンネルの天井板撤去工事が137号線の新御坂トンネルで先月末から進められており、今月末まで全面通行止めになっています。
トンネル部分を避ける旧道利用のコースもありますが、幅が狭く、急カーブの連続、旧トンネルはすれ違いもぎりぎりという状態ですので、う回路としては勧めていないのです。
でも地元車だけでなく、県外車も 帰途などには結構利用していました。
私たちは片側交互通行規制の行われている旧トンネルを抜け(両側に信号機だけでなく、整理員も立ち番していました)、1㎞くらい下った駐車帯に車を置きました。
そこへは40歳代と思しき15,6人のグループが準備運動の真っ最中、登山客ではなく、同じくトレイルランを楽しむといったいでたちでした。
仲間が聞いたところでは、大体似たようなコースのようでした。
いったん旧トンネルへ戻り、そこにある天下茶屋で味噌おでんを食し、「富士には月見草がよくにあう」の太宰治の文学碑を横目に“登山”開始、九十九折りのいきなりの急坂が始まり、すぐ息切れしてきました。
周りはブナなどの自然林、そしてツツジが咲き盛っていましたが、愛でる余裕もなく登山道に散っている花びらでそれとわかる按配でした。
平衡感覚のない私には急な下りは鬼門で、おっかなびっくり、2回ほど根っこに足を取られしりしてもちをつきましたがそれ以上転げ落ちることもなく、緩やかになると走ったりはできましたね。
最高地点1700mの三ツ峠に着くコースに入ると、永遠に続くかと思える直登の登山道が目の前に立ちふさがっています。
山ガール(どっちかというと山ん婆?)のカミさんに付き合って中級くらいの山は登っていますが、こんな急な、鎖も梯子もない山はあまり記憶にありません。
何回目かの休憩をリーダーに頼もうとしたとき、立ち込めてきている霧の中に頂上を示すパラボラアンテナが目に入ってきました。
三ツ峠は、東京方面と山梨を結ぶ電波の中継地で、各種のアンテナが乱立しています。
そこへ私たちが付くのを待ち構えていたみたいに、それまで濡れるか濡れないかの雨がせきを切ったように降り出してきて、峠にある山小屋直下の公衆トイレの軒先を借り、雨具を着用、車を置いてあるところまでの作業道を天然のシャワーを浴びながら下ってきました。
この作業道ですが、アンテナや山小屋への資機材運搬の道で、強力な4輪駆動、かつ腰高の自動車でないと通行は無理のようです。加えて豪雨のため所によっては濁流が地面全体を覆っていましたが、メンバー全員流されることなく帰ってこれました。
メンバーの一人がガーミンで記録した結果をデジカメで写したものです。
全長11kmほど、累積高低差は不明、約12㎞を4時間20分ほどで回ってきたことがわかりました。
左にカーブしていくのが旧道で、中央の奥へ伸びている道(このあたりは林道です)を下ってきました。
私たちの車に並んで、浜松ナンバーの観光バスが止まっていました。件のグループを迎えに来ていたのでしょうね。
雨はすぐ止んできました。
さすがにくたびれましたが、まあ、いいトレーニングにはなったと思います。
《付記》
私のこのブログですが、愚にももつかない事を、しかもくどくど述懐していて、読んでいてあきれてしまうかと思っていすが、ブログの表題通り、私の人生の旅の一部の日記ですので、これからもおつきあいいただけましたら幸甚です。