僕のうしろに道はできる。
大好きな西島秀俊主演、加瀬亮共演ってことで、ストーリーも確認せずに観に行った映画。これがなかなかの佳作でございました。
父親が莫大な借金を残して亡くなり、負債を背負い込んだ野上。実家も差し押さえられ、祖父の家の敷地に建つ年代物のアパートで暮らし始める。アパートは、祖父とは古くからのなじみで、近所で小料理屋を営む藤子の持ち物だが、野上が借金を返済するには、このアパートを取り壊して祖父の土地を売るしかない。野上は売却を見込んで会社を辞め、祖父を説得するが、祖父は首を縦にふらない。そんな状況の中、自分の仕事に責任もやりがいも見出せず、勢いで会社を辞めてしまった野上の後輩・三崎、フリーのフードコーディネーターをしているが一向にうだつが上がらず、結婚に逃げ道を求めて野上とお見合いした涼子が、アパートに引っ越してくる。
野上、三崎、涼子の3人は、次元の違うところでそれぞれに追い詰められていて、答えを見つけられないまま、決断を先延ばしにして生きている。3人が暮らす、昭和臭漂う木造二階建てのアパートは、言ってみればモラトリアムな時間を過ごすシェルターのようなもの。
そのアパートの二階の東南角部屋は、鍵が見つからないまま“開かずの間”になっていて、ここにひとつドラマが隠されている。
クライマックスで明かされるエピソードに関してはちょっと甘いかな、と感じたのですが、若者たちの“始まらない時間”と、「東南角部屋二階の女」の“鍵をかけた時間”が“開かずの間”でつながり、それぞれの時計が動き出すという組み立ては鮮やかでした。
若者? 3人の設定も、身近じゃないようで身近だったりして。観る人それぞれ自分を重ねてしまうかも。
野上のように突然債務者にならないにしても、いきなりリストラされる時代だし。自分のせいでもないのになんで俺が下請けに頭下げなきゃいけないんだ、なんて三崎みたいな青年はいっぱいいるだろうし。私なんかは、同じフリーランスとして涼子の状況が身につまされたもん。
3人の姿は、それぞれ、現代を生きる私たちの姿を映し出す鏡のようでもある。
で、彼らが出した答えに、先の見えないこんな時代にあっても、自分にとっていちばん大切なものが決まれば、人生の選択ってそんなに難しくないんだということに改めて気づかされるわけです。
まぁ、このファースト・プライオリティを見つけるというか、決めるのが一番大変なんですが。
監督の池田千尋さんはこの作品が商業映画デビュー作。はっきりしない若者たちの心情を映すかのような褪せた感じの色調や、3人の距離感が伝わる、一方通行の“続かないバドミントン”など、冴えた映像表現が随所に。
シェルターを出、それぞれの足で歩き始めた3人の距離は、むしろひとつ屋根の下にいた頃より近くなっているように感じるのですが、この辺りも、日常の一コマを切り取った映像だけでさりげなく描かれていて、芯はしっかり、口当たりさっぱりな映画に仕上がっていました。
大きな感動はなかったけれど、見終わって、ちょっと顔を上げたくなりました。