ほめちぎり映画館

"ほめたい映画"限定! シナリオ練習生の勝手気ままに見たまま、感じたままの映画評。

Juno ジュノ

2008-06-26 15:12:49 | 映画(DVD)

大切なものは、いつだってすぐそばに。

なんなんだ? 16歳の高校生が妊娠・出産するというスキャンダラスな話なのに、終始湧き上がるこの幸福感は!

主人公のジュノは、70年代のパンクロックをこよなく愛する、ちょっとシニカルで大人びた女の子。バンド仲間の(さっぱり冴えない)モーリーと退屈しのぎにHをしてみるが、なんとあっさり妊娠! 一旦は中絶を考えるものの産んで里子に出す道を選び、両親や親友に支えられながら出産に臨む。

よくある展開だと、まず親との葛藤、次に学校、社会というように、次々と現実の厳しさに直面していくのでしょうが、ジュノの両親は、最初は面食らうもののすぐに娘の決断を受け入れ、協力を示します。これが全く違和感がなく、逆にこの家族の距離感が見えるんですよね。
母親は父親の再婚相手。つまり継母。血がつながっていないからこそ冷静に受け止められる部分もあり、母親として役に立てるチャンスでもあり、この設定も利いています。

先生や生徒たちの好奇の目は避けられないけど学校にも普通に通えるし、親友のリアとの関係は何も変わらない。
両親とリアは、何があってもゆるがないもの。これに対して、里親夫婦の関係はとても不安定で不確か。ジュノに宿った命は、ジュノと家族との距離を縮めながら、里ママと里パパの間にある距離を浮き彫りにしていきます。

あからさまな対立関係を軸にするのではなく、家族にがっちり支えられながら、里親夫婦と深く関わっていく中で、悪態をつこうがお腹がでっぱろうが、ありのままの自分を愛してくれる人がいる幸せに気づいていく。妊娠・出産はいわば、『スタンド・バイ・ミー』で少年達が旅に出たようなもの。少女から大人への通過儀礼として描かれているところが新鮮です。

脚本家のディアブロ・コディは、本作でアカデミー賞・最優秀脚本賞を受賞。なんとこれが処女脚本らしい。もうね、この本が産み落とされた時点で、この映画は愛される運命にあったと思うわ。

とにかくどのキャラクターも魅力的で、そのセリフは鋭くて可笑しく、温かい。ジュノの絶対的な味方である父と、娘に無関心な実母。血の絆と血に頼らない絆。ブルーカラーとホワイトカラー。さまざまな対比で「大切なもの」を描き出す構成力も確か。
そして何より、一人ひとり、一つひとつの心の動きを丁寧に見つめ、きちんと拾い上げる誠実さのようなものがあり、シンプルな話なのに濃くて深くて、作り手の人間性の豊かさが伝わってくる。

ああ、だからこんなにハッピーになれるのか!

継母、ジュノ、里ママ。血のつながらない女達の”母のリレー”は、この映画のもうひとつの見所。親子といえども人と人。絆を築いていくのは決して血のつながりではないという強いメッセージを感じます。

ジュノを演じるのは、本作でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたエレン・ペイジ。『ハード・キャンディ』という、少女が大人を監禁していたぶる幼児虐待へのアンチテーゼみたいな映画で名優を食っちゃったと評判の女優さん。
(観てないので詳しくは知らない)

歯に衣は着せないし、行動力も人一倍。でも肝心なことはなかなか言えない。本当は不安だし、モーリーにだってやさしく支えて欲しいわけでして。
言葉や態度の奥にある、そんな繊細な心の揺れまで、表情ひとつで表現されておりました。小柄だけど、大物です。

しかし、里パパったら……(苦笑)。この里パパに感情移入する男性は多そうよ。青春まっさかりの少年少女、大人になりきれない大人たち、守りたい子を持つ親御さんたち。あらゆる世代に訴えかけるものがあるので、ご家族でご覧になるのもよいかと。

登場人物のキャラや心情変化を映し出すかのような美術、衣裳、音楽も☆☆☆

で、この腹に入っているのは……

脂肪です。
(今はも少しやせてます)



ヤーチャイカ

2008-06-12 15:33:10 | 映画(DVD)


失われし「行間」の物語。

映画はよしとして。最近テレビドラマを観ていて思うのが、「行間」の不在。昔はテレビドラマにも「行間」があって、役者さんの演技の見せ所でもあった。

この映画にはたっぷりの「行間」がある、というか、「行間」で成り立っている映画といってもいいかもしんまい。

詩人の覚 和歌子さんと谷川俊太郎さんが監督した動かない映画。
“写真映画”と呼ぶらしい。

東京から信州の小さな村に移り住んだワケありの天文台職員と、人生に挫折し、死を選んだ男の出会いと再生を直球で描いた、ひねりも仕掛けもなーんもない物語を、スチールカメラで映像を撮るように撮影し、静止画をつないでつくられています。

主演は尾野真千子さん(『もがりの森』)と香川照之さん。
セリフはゼロ。写真にのせて、物語のあらましが詩のようなナレーションで語られ、最初から最後まで役者の声を聞くことはありません。

でも、PVでもなければ写真のスライドショーでもない。
ちゃんとドラマになってんですよね、これが。

まず、非常に優れた俳優によってファインダーの向こうでしっかりとドラマが演じられていて、感情、音、動き、風、手触り、温度や湿度、生命力までが焼き付けられている。

だから、画面から演技が迫ってくるんです。

写真とは決して平面を切り取るものではなく、撮る者だけで成り立つものでもないことに改めて気づくわけでして。

ヤーチャイカとは、ロシア語で「わたしはカモメ」という意味。
世界初の女性宇宙飛行士テレシコワさんが、コールサイン(こちら、カモメ)として宇宙で最初に発した言葉らしい。

この映画は、覚 和歌子さんがテレシコワさんの言葉に感動して書かれた詩、その名も『ヤーチャイカ』をベースにつくられたものだそうで、クライマックスではその詩が朗読されます。

役者、写真家、音楽家、そして詩人。「行間」の表現者たちが奏でるシンフォニーのクライマックス。
きたね、ここで。チャクラが開いちゃったみたいに、完全に入り込まれたというか、開放されたっていうか、一緒になっちゃったというか。予想GUYの目から洪水状態。

これは、大いなる許しの映画です。
宇宙の懐の中で、すべての命はみな許しに値する存在であると、私の中の何かがそう申しております。

家に帰って、パンフレットの巻末に綴られた写真を見ていて気がついた。すでに記憶の中では、この映画は映像として残っているではないか!

人間のイマジネーションって、すごいね。
やっぱり、これを刺激してやんないと満足感って得られないんだ。
勉強になりました。

最後にひとつ。館内ではいびきも聞こえました(苦笑)。好き嫌いはあるかと思いますのであしからず。
東京渋谷シネマ・アンジェリカ、大阪九条シネ・ヌーヴォ、群馬高崎シネマテークたかさきで先行上映中。ほか各地で上映予定ということです。
↓詳しくはこちらで!
http://yah-chaika.com/

12人の優しい日本人

2008-06-05 17:00:09 | 映画(DVD)


天は人の上に人をつくらず。

昨日ケーブルTVをザッピングしていたら、掘り出し物に当たった。

三谷幸喜主宰の劇団「東京サンシャインボーイズ」で1990年から演じられている人気戯曲の映画化。日本にも陪審員制度があったら、と仮定してつくられた、裁判員制度が始まろうかという今では、ある意味笑えないシチュエーション・コメディです。

いや、映画はオモロー! ですけどね。

元ネタは、社会派で知られるシドニー・ルメット監督の名作『12人の怒れる男』(1957年)。ある殺人事件の裁判で、12人の陪審員が一室に集まり、評決に達するまで議論する様を描いた法廷劇。
舞台設定・状況設定は『12人の怒れる男』そのまま。同じ裁判所の一室・同じ12人ながら、完全な三谷オリジナルに仕上がっています。(いつもながら、さすが!)

“怒れる男”では、12人中11人が有罪と言う中で1人が無罪の可能性を主張し、オセロのクロが徐々にシロに変わっていくような展開でした。
これに対して“優しい日本人”は、11人が無罪と言う中で1人が有罪の可能性を主張。シロがクロに変わるのかと思いきや・・・・・・まぁ、二転三転あるわけで。
クロ派の意見、シロ派の意見、一つひとつの推理に説得力があって、いちいち納得。結局、一つの事実も、見る人が変われば真実は違ってくる、という紛れもない真実を思い知らされるのであった。

12人は無作為に選ばれているので、年齢も職業も性別もいろいろ。それぞれ背景も性格も違う。でも、理論派、感情派、なんとなくの感覚派に分かれていて、最終的には理論派と感覚派という、まったく思考回路の違う人同士の対立になるところが、コメディとしても、ドラマとしても面白いです。

頭がよかろうが悪かろうが、お金があろうがなかろうが、集まった12人はみな陪審員という同じ立場。民主主義の象徴ともいえる陪審員制度を題材に、どんな人の中にもある強さと弱さ、優しさと厳しさを面白おかしく描き出し、愛を持って笑い飛ばす。

コメディこそ民主主義、ってことだな。

映画は1991年に公開されたもの。いわゆるひとつの、バブルへGO!
衣裳が笑えるもん。今となっては。

役者さんもみな若い!
トヨエツの美白つるつる肌にビックリだ!!


鍵を握るのはジンジャエール・・・・・・んなアホな!


七人の侍

2008-06-02 16:19:24 | 映画(DVD)


生きるべきか、死ぬべきか。

それは己次第でござる。

やっと観た。

世界中で高い評価を受け、内外の映画人に大きな影響を与えたと言われる黒沢明監督の代表作。

時は戦国時代。野武士による略奪から村を守ろうと、農民たちが百戦錬磨の侍を雇い、彼らの指揮のもと共に戦うというお話。

上映時間207分という長尺ながら、ストーリーは実にシンプル。上に書いたごく簡単なあらすじが全てです。

その中に、リーダーの必要性とか求められる資質とか品格とか、世の不条理やら人間の業やら生命力やら、さまざまなエッセンスが凝縮されていて、社会の縮図、人間界の縮図を見る思いなんざますよ。

物語は、1)侍探し 2)侍が農村に入り、農民たちと団結していく 3)決戦と、大きく3つに分けられます。
まず農民の代表四人が街へ出かけ、"七人の侍"のリーダー格となる浪人・島田勘兵衛(志村喬さん!)を見つけます。この勘兵衛に弟子入りを願う若い侍が付いてきて、ここから、勘兵衛の指示のもと侍オーディション(まさにそんな感じ)が始まります。

侍の数を七人にすることはあらかじめ決まっていたようですが、映画の中では、村の地形や敵軍の規模を聞いた勘兵衛が、作戦上少なくとも必要と判断した数になっていて、さすがに隙がありません。

で、七人の中に菊千代と呼ばれる”侍に憧れる百姓出のニセ侍”が交じっているのがミソ。演じるのはもちろん三船敏郎さん。
農民の裏も表も知り尽くした菊千代の存在は、侍と農民を結びつける接着剤であり、また、世の不条理や人間のサガをメッセージする語り部でもあり。
途中で明かされる菊千代の生い立ちにも運命性があり、クライマックスの感動につながっていきます。

そのクライマックスは、それまで世界中の誰も見たことがなかったというどしゃぶりの雨の中での決戦シーン。撮影技術や加工技術が進歩した今見てもド迫力なのですが、このシーンに限らず、映像にものすごく深みがある。
農民の着物は一度土に埋めて汚れをしみこませているそうで、ディテールまでリアリティを追求した結果の深みなんでしょう。

そして一画一画、絵画を見るような完璧な構図。人物の配置まで徹底されているのに、不自然さがないのも、ただただアッパレ。

野武士も本来は農民。侍率いる農民軍団VS野武士軍団の構図は、ある意味、誰の中にもある善と悪、明と暗を彷彿させ、これが大きなテーマになってんのかな? ラストシーンの勘兵衛のセリフと生命力を感じさせる農民の姿にのせて、強いメッセージを残します。

エンターテイメントであり、アートであり、ドラマである。映画が表現しうる全てを堪能できる映画って、実はそんなにない。
世界の黒沢はやっぱりすごいでやんす。(ナベアツもすごいけどな!)

それにしても、お侍さんの走る姿のかっこよいこと!!
腰が据わっているというか、上半身がぶれることなく、疾風のように走っていくんですよ。

丹田で生きる、っつう感じですね。
武士のストイックさが伝わってきます。

これから時代劇を見るときは、お侍の腰に注目です!