私には6歳年上の姉がいます。
兄・私と続いて3歳ずつ空いてます。
姉は27歳で婚姻解消して出戻って来ました。
当時、連絡の途絶えた姉を心配して母が尋ねました。
台所に一人。
やせ細った姉が牛乳とパンの耳を食べてたそうです。
「こんなことしてたら死んでしまう。帰っておいで。」
母はたまらなかったことでしょう。
「私が帰ると弟妹の縁談に差し支えるし・・・。」
当時は大変気にすることだったんですね。
頑固なほど辛抱強い姉の気性。母は頭を下げて暇をもらって連れて帰りました。
姉と主人は同級生です。
当時私と主人は婚約してました。
話を聞いた主人は「我慢なんかせんでいい!」とトラックを運転して姉の家財道具を引き取って来ました。
あんた、そんな簡単に。。。。
自分たちに遠慮して死ぬような思いを続けて欲しくなかったのでしょう。
それ以来、姉は一人でいます。
両親を見送ってくれたのも・私の乳癌の看病をしてくれたのも姉です。
姉は乳癌の先輩です。離婚直後と10年ほど前とで両方全摘出してます。
自分の時にはひょうひょうとして見えましたが私の時はキツかったようです。
「一つぐらい付き合うし。」とおどけた時「あんた、何バカなこと言うとるんやいね!」と叱られました。
(そんな、泣いて怒らんでも・・・。)
今は一人で実家を守ってくれてます。
スーパーに寄って大量の食材を持って「まいど。」と尋ねて来てくれてました。
でも、ここ2年ほど半年音沙汰無いのが続いてます。
姉は私の今の生活を憂いてます。
私も日々の生活に心のゆとり無く姉への心遣いに欠けてます。
そんな姉が私達に内緒で入院してました。
親戚からの見舞いの電話を受け取るまで蚊帳の外でした。
あまりの水くささに腹が立ちました。全快した今も恨みは残ってます。
車で20分の距離が遠い。
携帯電話を持つようにと兄とふたりで攻めてます。必要でしょう。
義父母を見送ったらゆっくり姉と旅行がしたいです。
それまでお互い元気でいなければと思ってます。
「がんばれ!わたし。」
兄・私と続いて3歳ずつ空いてます。
姉は27歳で婚姻解消して出戻って来ました。
当時、連絡の途絶えた姉を心配して母が尋ねました。
台所に一人。
やせ細った姉が牛乳とパンの耳を食べてたそうです。
「こんなことしてたら死んでしまう。帰っておいで。」
母はたまらなかったことでしょう。
「私が帰ると弟妹の縁談に差し支えるし・・・。」
当時は大変気にすることだったんですね。
頑固なほど辛抱強い姉の気性。母は頭を下げて暇をもらって連れて帰りました。
姉と主人は同級生です。
当時私と主人は婚約してました。
話を聞いた主人は「我慢なんかせんでいい!」とトラックを運転して姉の家財道具を引き取って来ました。
あんた、そんな簡単に。。。。
自分たちに遠慮して死ぬような思いを続けて欲しくなかったのでしょう。
それ以来、姉は一人でいます。
両親を見送ってくれたのも・私の乳癌の看病をしてくれたのも姉です。
姉は乳癌の先輩です。離婚直後と10年ほど前とで両方全摘出してます。
自分の時にはひょうひょうとして見えましたが私の時はキツかったようです。
「一つぐらい付き合うし。」とおどけた時「あんた、何バカなこと言うとるんやいね!」と叱られました。
(そんな、泣いて怒らんでも・・・。)
今は一人で実家を守ってくれてます。
スーパーに寄って大量の食材を持って「まいど。」と尋ねて来てくれてました。
でも、ここ2年ほど半年音沙汰無いのが続いてます。
姉は私の今の生活を憂いてます。
私も日々の生活に心のゆとり無く姉への心遣いに欠けてます。
そんな姉が私達に内緒で入院してました。
親戚からの見舞いの電話を受け取るまで蚊帳の外でした。
あまりの水くささに腹が立ちました。全快した今も恨みは残ってます。
車で20分の距離が遠い。
携帯電話を持つようにと兄とふたりで攻めてます。必要でしょう。
義父母を見送ったらゆっくり姉と旅行がしたいです。
それまでお互い元気でいなければと思ってます。
「がんばれ!わたし。」