三年ほどまえに亡くなった義父が、若いころよく聴いていたというレコードの整理を手伝ってきた。レコードはほとんどがクラシックで、SP、LPあわせてざっと百枚ほどあったろうか。うちの奥さんによると、義父がレコードを聴いている姿をみかけた記憶はまったくないらしい。若いころはずいぶん熱心だったようだが、なにかきっかけがあったのか、あるいは自然とそうなったのか、いつしかレコードに耳傾けるという習慣じたいがなくなってしまったようだ。そんなわけだから、三十年以上手つかずになっていたレコードのほとんどはカビが生えてしまっていたけれど、さいわい聴けないほどのダメージを受けているものはすくなかった。
一枚、一枚レコードを調べていておどろいた。こういうのもなんだが、「玄人好み」とでもいうか、とても趣味がよいのだ。シューリヒトの「ブル9」、ビーチャムの「ジュピター」、クレメンス・クラウスのR・シュトラウス・・・、ベートーヴェンの交響曲にしても、第2と第4はワルター、「田園」はトスカニーニ、第7はフルトヴェングラーといったぐあいに曲ごとに、しかも「なかなかやるな」と思わせるセレクトになっている。これだけでも、相当に聴きこんでいたことがよくわかる。
さらに義父のコレクションをみてゆくと、チャイコフスキー、フランス音楽、それにシベリウスがずいぶんと目立っている。好きだったのだろう。とりわけフランス音楽はお気に入りだったらしく、ラヴェル、ドビュッシー、サン=サーンスといった「定番」にはじまり、プーランク、ミヨー、それにダンディといったマニアックどころまでしっかり押さえられている。そしてもうひとつ、義父の趣味が計り知られるとしたら、それはシベリウスのヴァイオリン協奏曲のレコードが二種あったことだろうか。これ以外はすべて、ひとつの楽曲につき一種類ずつ揃えられていたことからすれば、義父はこの曲に相当強い思い入れがあったのではないだろうか。
晩年の義父は、おだやかで寡黙なひとだった。かたわらの猫をなでながら、満足げにいつも静かにほほえんでいるようなひとだった。そんな義父だったから、あまりたいした話をしたという記憶はないし、むこうからいろいろと話を切り出してくるということもなかった。けれども、こうして義父のレコードを眺めたり、針を落としたりしていると、なんだかいま義父がここにいて、生前に話せなかった分まで対話しているようなそんな気分になってくるのだ。
一枚、一枚レコードを調べていておどろいた。こういうのもなんだが、「玄人好み」とでもいうか、とても趣味がよいのだ。シューリヒトの「ブル9」、ビーチャムの「ジュピター」、クレメンス・クラウスのR・シュトラウス・・・、ベートーヴェンの交響曲にしても、第2と第4はワルター、「田園」はトスカニーニ、第7はフルトヴェングラーといったぐあいに曲ごとに、しかも「なかなかやるな」と思わせるセレクトになっている。これだけでも、相当に聴きこんでいたことがよくわかる。
さらに義父のコレクションをみてゆくと、チャイコフスキー、フランス音楽、それにシベリウスがずいぶんと目立っている。好きだったのだろう。とりわけフランス音楽はお気に入りだったらしく、ラヴェル、ドビュッシー、サン=サーンスといった「定番」にはじまり、プーランク、ミヨー、それにダンディといったマニアックどころまでしっかり押さえられている。そしてもうひとつ、義父の趣味が計り知られるとしたら、それはシベリウスのヴァイオリン協奏曲のレコードが二種あったことだろうか。これ以外はすべて、ひとつの楽曲につき一種類ずつ揃えられていたことからすれば、義父はこの曲に相当強い思い入れがあったのではないだろうか。
晩年の義父は、おだやかで寡黙なひとだった。かたわらの猫をなでながら、満足げにいつも静かにほほえんでいるようなひとだった。そんな義父だったから、あまりたいした話をしたという記憶はないし、むこうからいろいろと話を切り出してくるということもなかった。けれども、こうして義父のレコードを眺めたり、針を落としたりしていると、なんだかいま義父がここにいて、生前に話せなかった分まで対話しているようなそんな気分になってくるのだ。