moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

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法然院で

2006-03-22 23:16:12 | そうだ、京都いこう
然院にいってきた。京都へでかけてもほとんど神社仏閣には縁のないぼくであるが、今回ここだけは行こう、そう決めていた。

ちょっとあやしげなぼくの知識では、貴族や裕福な商人らがお金や財産を寺に寄進することで「徳」を積み、「極楽浄土」ゆきの切符を手にするいっぽうで、その他大勢の、そうした財力をもたない市井のひとびとは「地獄」に落ちざるをえないのかと悲嘆にくれ、あるいは自暴自棄になっていた時代、財力や寺への寄進などとは関係なく、どんなひとであろうとただ「念仏」さえ唱えれば等しく「阿弥陀如来」によって救われ「極楽浄土」へと迎え入れられる、そう説いたのが「法然」というひとだった。

そんなふうにいうと、まるで「念仏」が「魔法の呪文」のようにきこえるがそういうことではない。ここでいう「念仏」、つまり「南無阿弥陀仏」というのは、ひらったく言ってしまえば「神様~」という究極にシンプルな呼びかけのことばにすぎない。ひとは、思わぬピンチに立たされにっちもさっちも行かなくなったとき、つまりじぶんの力だけではもはやなんともしがたいと知ってしまったとき、おのずとじぶん以外の何者かに助けを求めてしまうものである。そうした救いを求める心の叫びこそが、つまり「念仏」である。そして、 「阿弥陀如来」はすべての助けを求めるひとびとを救いたいという「願い」を立てて仏さまになったのだから、当然その呼びかけに応えてくれるはずである、そう「法然」はかんがえた。

こうした「浄土の教え」を、ぼくは勝手に「『気づき』の信仰」ととらえシンパシーを抱いてきた。思わず「神様~」と叫んでしまうような絶体絶命のピンチというのは、またじぶんの「限界」を知り、けっしてひとりでは生きてゆけないことに気づく、そうした唯一無ニの「チャンス」でもある。去年の暮れに突然体調を崩したとき、ふしぎなことに、じぶんのことや周囲のことがそれまで以上にクリアにみえ、かえってさわやかさのような感覚をおぼえた。じぶんの「限界」を知ったこと、他人のやさしさを知ったこと、その「気づき」のよろこびが、たぶん病気のつらさを凌駕してしまったのだろうと思う。そしてちょうどそんな折、「東京カフェマニア」を主宰されているサマンサさんのブログをとおして出会ったのが梶田真章さんの『ありのまま』という本である。

今回たずねた「法然院」の貫首(住職)をつとめる著者によって、そこには日々をていねいに暮すことのすばらしさが淡々とした口調でつづられている。梶田さんのことばには、大上段に構えたようないかめしさや説教臭さはまったく感じられない。読んでいると、口にふくんだ「水」のようにすーっとじぶんのからだに浸透してゆくのがわかる。そして、このタイミングでこのような本に出会えたのをラッキーと思うとともに、なにか強い「縁」のようなものを感じたのだった。

この日、かつて法然が「念仏」を唱えたというゆかりの地で、ボソボソと「南無阿弥陀仏(ありがとう)」と唱えてきた。

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京都のカフェ、そして喫茶店(2)

2006-03-21 22:53:10 | そうだ、京都いこう
京に暮らしていると、カフェや喫茶店はなにか「目的」をもってゆくところ、そんな気がしてきます。疲れたから、ともだちと会うから、おなかがすいたから・・・。いっぽう京都では、年代や性別を問わずなんとなくふらりとカフェや喫茶店にやってくる、そんなひとたちが目立つように感じられます。だから心なしかお客様も、ふわっと店に入ってくる、そういう感じがするのです。

イノダコーヒ四条支店(四条通東洞院東入る)
イノダといえば「本店」や円形カウンターの「三条支店」がおなじみですが、四条駅のあたりに宿をとることの多いぼくは、おなじイノダでももっぱらこちらにお世話になっています。場所柄、これから東京にもどるという最後の最後に立ち寄ることが多いせいか、ここでコーヒーを飲むと「あ~あ、もう帰んなきゃならないのかぁ」というちょっと寂しい気分になります。条件反射ですね。BGMは、なし。

マエダコーヒー四条店(四条通西洞院西入る)
朝ごはんを食べようと四条通りのイノダまで行ったのですが、あいにく開店時間までまだ間があったため、けっきょく泊まったホテルの横にあったこの喫茶店に入りました。「四条店」とはなっているものの、あの「マエダコーヒー」とはおよそ似ても似つかない「渋い」外観のお店です。moiとおなじくらいの大きさのお店を、寡黙なマスターと、その奥様とおぼしき年配のおふたりで切り盛りされています。界隈のビジネスマンの常連さんが多いらしく、マスターはそんなお客様の顔を見ると「いらっしゃい」と声をかけるでもなく、注文をきく前に即コーヒーのセットに入っています(笑)。絶妙な「間」でした。BGMは、KBS京都放送のラジオ。

SARASAかもがわ (写真 荒神口)
今回の旅でいちばん気に入ったのがココ。どうひっくりかえったって、東京でこういうカフェをつくるのは不可能です。ある意味、「町家カフェ」以上に京都らしい、そんなカフェだと思います。ちょうどいい湯加減のお風呂につかっているような心地よさが、ここにはあります。いい湯加減のお風呂から上がるのが辛いように、こんな店が近所にあったら日常生活に支障をきたしてしまいそうです。自家焙煎しているというコーヒーも、まじめにおいしいコーヒーでした。余談ですが、このあたりの鴨川のたたずまいが、なんだかのどかでぼくはとても好きです。そしてBGMはジャンゴ・ラインハルトでした。

進々堂やエスフィーファ、それに北大路のカフェジーニョなど、行くつもりでいたのにけっきょく次回の宿題になってしまったカフェや喫茶店もたくさんあります。「宿題」をかたづけに、そう遠くない将来また京都を訪れたいものです。

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京都のカフェ、そして喫茶店 (1)

2006-03-20 15:54:25 | そうだ、京都いこう
こうときめていたところから偶然はいったところまで、今回の京都旅行では7つのカフェや喫茶店に立ち寄りました。

喫茶 雨林舎(二条)
二条の路地にある町家カフェ。「なんでこんなところに?」とmoiではよくお客様から尋ねられますが、そう尋ねるひとの気持ちがよくわかりました。なんでこんなところに?雨の日に、ここで小説など読みながらお茶していると、おもいっきり自分に酔えそうです。外がわがカリッとしたホットケーキ、おいしかったです。ちなみにBGMは、カエターノ・ヴェローゾでした。

六曜社地下店(河原町三条)
いうまでもなく、京都に行けばかならず立ち寄る喫茶店です。変わらないであることのすばらしさを、ここはいつも教えてくれます。いつ訪れてもおなじ時間が流れているので、4年ぶりにたずねたという気がぜんぜんしません。きのうもおとといも、そのまえも足をはこんだような、そんな錯覚に陥ります。インド、あいかわらずのうまさでした。BGMは、モーツァルトのピアノコンチェルト。

マエダコーヒー本店(蛸薬師通烏丸西入)
朝ごはんに行きましたが、たいそうなにぎわいでした。近くには京都芸術センター(元明倫小学校)に併設された「明倫店」というのもありますが、こちらはより「地元度」が高いですね。ここの特徴は、ウェイトレスのみなさんの声がとてもよく通ることではないでしょうか。たぶん、みっちり鍛えこまれるのでしょうね。ところが想定外の応対になると、一転、とたんに声がちいさくなってしまい、そこがまたいいところだったりします(笑)。ところで、こういうとき「萌え」と表現をするのは正しい使い方なのでしょうか?BGMは、特になし。

スーホルムカフェ京都店(写真 四条烏丸)
早めの晩ごはんの後、どこかでお茶がしたくてたまたま入ったカフェ。新宿にもあるし、わざわざ京都に来てまでと思ったものの、「COCON烏丸」の中にあるここは、その贅沢な空間の使い方を味わうだけでもじゅうぶん価値がありました。おまけに、案内されたのが「エッグチェア」の「特等席」(なんたって一脚50万円也ですからね)だったので、余計にくつろいでしまいました。BGMは・・・憶えてない。たぶん、クラブジャズっぽいやつ。

つづく

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