第8話/がらくた宇宙船誕生/発想の連鎖

2006-10-20 10:41:35 | Weblog
写真は1980年頃の雑誌に掲載した「にわとりの飛翔訓練機」で、このテクニックが後の「がらくた宇宙船」に発展した。
「それ壊してしまって、どうするの?」
 6年生になった息子から譲ってもらった古いプラモデルを分解しはじめると、息子は不満そうにそういった。
「うん、ちょっとね」
 ちょっとしたアイデアが閃いたが、試作をしてみなければうまくいくかどうか自分でも判らない。

 バラバラにしてしまったプラモデルのパーツをボール紙におおまかに描いた何かのマシーンのようなスケッチの上に置いて接着してみる。
 形が出来上っただけでは、やはりただのプラモデルの残骸に過ぎないが、ディスプレー屋さんや、彫刻家が使う特殊な塗料を塗ると、たちまち青銅色や鉄さび色の古色をおびた重量感が出て、プラモデルの残骸とは思えない高級感のあるレリーフ(半立体の彫刻)となった。

 当時のサブカル雑誌だった「面白半分」という月刊誌から巻頭のカラーグラビアページ用に何か面白いものを作って欲しいという依頼をうけて、試作をしていたのだが、プラモのメカっぽいパーツがいい味を出してくれて、馬鹿馬鹿しくて面白いものが出来そうな見通しが立ってきた。
 今度は実際にアイデアを盛り込んだ作品を作ってみることにして「ニワトリの飛翔訓練機」「全自動ケン玉・ヨーヨー」「天気予報機」「全自動縄跳び機」などのナンセンスマシーンのレリーフを作り上げた。

 それを見た息子は、プラモデルという素材が本来の目的から離れて、まったく別の価値を生み出すという意外性のおもしろさまで理解出来たかどうか判らないが、僕も作りたいと言い出し娘も仲間に入れて、がらくたレリーフ大会となったが、アイデアの点ではやはり私に一日の長があったが、技術的にはプラモのパーツを貼るだけだから大人が作っても子どもが作っても大差はなかった。

 私のクラフトは完成度が高い割に技術的には難易度が高くないものを目指す原点はここにあったのです。
 しかし、この時点では将来この技法が私の代表作となるがらくた宇宙船、さらにがらくたメカザウルスに発展して行くことは予想出来なかった。

「もーさん、すごいものを作ったな、製作にはずいぶん時間がかかったろう?」
 掲載誌が発売された日に友人のデザイナーから電話があった。
「あー、あれはとても時間がかかるから一日に3~4個しか出来ないな」
「・・・」

写真はナンセンスマシーン「全自動ケン玉、ヨ-ヨ-機」
 プラモデルのパーツを何の計画もなく、成り行きまかせでもっともらしく接着しただけのいいかげんなものだが、印刷物で見る限りは、ち密な計算の元に精巧に作られた作品に見えたらしい。
 製作の種明かしをすると、彼はそのコロンブスの卵的な発想にしきりに関心を示していたが、後日別の雑誌のロボットの工作特集ページに私を紹介してくれて「からくりロボット」にも発展して行くことになるが、その話は後日「からくりロボット」の項目で紹介することにすることにして、話はこのまま宇宙船に発展する方向に進めることにする。

 それから数年が経ち、南房総のリゾートホテルから「夏休み工作教室」を開いて欲しいという依頼があり、そこで実施する工作の中身を検討しながら、あのナンセンスマシーンを作った技法で子どもたちを楽しませたいと思っていた。
 ただ、それにはクリアしなければならない問題がふたつあった。
 一つはアートっぽいレリーフでは、我が家の子どもたちだけの相手をするのと違って大勢の子どもに自由に作らせていては時間が掛り過ぎてしまう。
 次に、専門科の使う特殊な塗料で仕上げたのでは、子どもたちが家に帰ってまた作ろうとしても塗料が手に入らないということになってしまう。

  一ケ月くらいの間いろいろなサンプルを作って試行錯誤の末、歯磨きなどの空き箱を使ってスターウォーズに出てくるような宇宙船を作った方がより簡単で子どもたちの興味をひくクラフトになりそうだ。
 彩色には黒と銀色のラッカースプレーで金属感と重量感のある塗装方法もこのときの試行錯誤の末の考案で一見豪華な宇宙船のアイデアは完成した。
 そのとき息子はもう高校生になっていて、親と遊ぶ年令ではなくなっていたが、宇宙船の試作品を見せると「これは良く出来ていておもしろい」と御墨付きを与えてくれた。

 この宇宙船のアイデアをたずさえてホテルに出かけてみると、息子のいう通り意外な素材の意外な変身ぶりがうけて、子どもたちだけでなく付き添いのお父さんたちまでが夢中になって作り出すほどの好評で、予定の日数が終わった後も、一旦東京に戻って詰まっていた仕事を済ませてから追加公演?をするほどの人気だった。
 我が家の子どもたちと一緒に作った簡易レリーフは、こうして宇宙船に発展し、その後も少しづつ改良を加えて12年目の1992年の夏には関東地区のローカル放送ながらTV電波にも乗り、私のがらくた工作の中でも、ガチャポンバード、がらくた昆虫と並ぶ人気を保ち、途中私の知らない人が厚かましくも自分の考案のごとくアイデア盗用して発表されたこともあったが、2006年の現在でも各地で行う工作教室でトップの人気工作となっている。

 そしてさらに数年が経ち、まったく同じテクニックで恐竜を作ってみたのが「がらくた恐竜」(メカザウルス)です。
 さらなる裏話をすれば、実は「あ!機関車」のアイデアもこの延長線上にあったのです。
 というのも、メカザウルスを作りながら、蒲鉾板に空き缶を乗せて作った機関車につや消しの黒いラッカースプレーを吹き付けて仕上げをすればきっとリアルな機関車が出来そうだという発想が湧いてきていた。

 メカザウルスを完成させて一息つくと、空き缶の機関車作りに取りかかった。
 この時点では、真っ黒に塗装した機関車の出来上がりのイメージを頭の中に描きながら作っていたが、いざ塗装の直前にまで出来上ったものをじっくりと眺めていると、これは塗装をしないでこのまま素材の色を楽しんだ方がおもしろそうだ・・・ということの気がつき、赤や緑など空き缶の素材そのままのいろいろな機関車はリアルではないが味わいのあるものとなった。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
かわいくて見やすいです。 (つんつんぱぱ)
2006-11-01 20:59:17
遊びの歳時記のコーナーはかわいくて見やすいです。
第7話が2個あるのですが、続き物でしょうか?
個人的には「ひとり言コーナー」より気に入ってます。
がんばって 第8話を近々に書いていただければうれしいです。
定期的に更新すれば、読む楽しみも倍増で-す。
つんつんぱぱさんへ (もーさん)
2006-11-05 14:41:20
がらくた宇宙船の話は第8話でした。
 最近こういう単純ミスが多くなって、そろそろ引退の時期が近付いてきたのを感じます。
 9話以降をボケきる前に書き上げなくては・・・

コメントを投稿