第14話/段ボールのヨロイ

2007-05-11 22:11:43 | Weblog
写真は30年前に作った段ボールのヨロイ。
ボール紙製の鍬形は少しよたっている。
家紋の中心に怪獣消しゴムのキングギドラがいるのがわかるだろうか。


 私は子どもたちには、子ども時代の想い出の数を出来るだけたくさん持って小学生時代を過ごさせたいと思っていたから、自分の不得手だったアウトドアの思い出作りはボーイスカウトのお世話になることとした。
 息子が小学校の3年生になったとき、世田谷8団という地域のボーイスカウトのカブ隊に入れてもらい私と女房も団のお手伝いをし、2才離れた娘もおまけとして同行させてもらいながら、家族ぐるみでアウトドアを学ばせてもらった。
 その息子が5年生のとき、リーダーから親子で段ボールのヨロイを作り、カブトに自分の家の家紋をつけて来るという宿題をもらって来た。
運動系のことではあまり積極的に動かないが、こういうことならやたらと張り切る親だ。
 私は仕事の関係上いろいろな資料を持っている。
 我が家の家紋は大きな丸を小さな八つの丸が取り囲んだ九曜星(くようぼし)だと教える。
「何だか電話みたいでカッコ悪いな、他の家紋に取り替えてはいけないの?」
 今の電話と違ってまだダイヤル式の電話の時代のことで、息子は家紋から電話器を想像したらしい。
 かっこいいか悪いかは別にして、他の家紋に変えてはいけないのと聞かれるとちょっと考えてしまう。
 上流家庭ではいざ知らず、私の記憶する限り我が家では親の代から家紋を前面に押し立てての行事や交際をした憶えはない。
 何かのときのアクセサリーとして家紋があっても邪魔にはならないが、先祖から代々受け継いだ大切な家紋という意識もない。
「家紋というものは元々平安の頃までは貴族の着物や牛車の覆いに使用された布の柄だったものが、鎌倉時代から戦国時代になって旗印にすることによって、敵味方の区別をしたり、また戦場での働き振りを誇示するための識別マークとして使われたのが発祥で、当時の人は自分の好みで決めたはずだ」
 また、後になって新たな家紋を作ったりもしたはずだから、お前が新しく自分の家紋を作ってもいいよと言っておいた。

家紋帳を見ていた息子はその中から「光琳(こうりん)こうもり」という図柄を見つけだしてそれが気に入ったようだ。
「お父さん、これがいいよ」
「よしよし、それでは今日から我が家の家紋は光琳こうもりということにしよう」
「お父さん、そんないいかげんなことでいいの?」
 女房は心配そうに口をはさんできた。
 歴史の中ではそれなりの役割を果たして来て、現代からも歴史を振り返るときの資料としては大きな価値があるが、これからの時代で家紋が何かの役に立つとは思えないし、子どもたちが家紋の持つ意味さえ理解すれば新しい家紋を作っても何の不都合もない。

               *
 ところでヨロイの方だが、これも資料を広げていろいろな武将のヨロイを見せたが、息子が選んだのは源義経のヨロイだった。
 ヨロイの資料を持っていたと言ってもそれを作る為の資料ではなく、イラストを描くための資料だから、色、形はわかるが作るにはどこから手を付けたらいいのかまったくわからない。 
 ヨロイの各部にはそれぞれの専門的な名称があるのだろうが、そんなこともわからないままに、袖(そで)、身頃(みごろ)など現代の洋裁用語に置き換えて女房に息子のサイズを計ってもらう。
 その寸法を大きく広げた包装紙に写し取った型紙を作って、息子にあてがい形とサイズを確認する。
 近所のスーパーマーケットでもらってきた段ボールにそれを描き写し、カッターで切り抜く。
 切り抜いたパーツには息子と娘に色を塗らせるが、面積が大きいので子どもの絵の具では間に合わない。
 そこはイラストレーターという仕事柄、いろいろな絵の具があり、この場合はアクリル系のポスターカラーが一番良さそうだ。
 彩色を終えたそれぞれのパーツをどのようにつなぎ合わせるのか、まったく手探り状態の試行錯誤の繰り返すうちに、どうやら正解に近いであろう答えが出て来た。

 こうしてヨロイの方は形が出来て来たが、まだ難題のカブトが残っている。
 鉢の部分を段ボールでは作りにくいから、何か丸いものを利用出来ないかと台所を捜しザル、ボールなどを持って来てみるが息子の頭とサイズの合うものがない。
 こんなところにはあるまいと思いながらも、子ども部屋の押し入れの奥をのぞいてみたら、有った。
 息子が幼稚園のころに買ったウルトラマン・科学特捜隊のヘルメットがまだ捨てないでとってあった。
 ヘルメットのいろいろな飾りを取り去って、つや消しの黒いラッカースプレーをしてみたら、なかなか重量感のあるカブトの鉢になった。
 鉢の他にシコロ、クワガタ、フキカエシなどのパーツもあるが鉢の部分の素材さえ解決すれば、後はまた手探りで何とかなる。
 試行錯誤の中でやっとヨロイ、カブトが出来上ったのは4日目になってやっと完成したとき、息子は当時子どもたちの間で流行っていた怪獣消しゴムのキングギドラを持って来て、これを家紋に付けたいと言い出し、こうもりの腹の辺りにキングギドラを接着することにした。

「ところで、隊長さんから家紋の名前を聞かれたら何と言うの?」
「光琳こうもりキングギドラです」
 息子は平然と答えた。

             *

 あれから約30年の歳月がすぎ、息子は一児の親となり、当然の成りゆきで私はその子の祖父ということになり五月人形を買ってやろうとしたが、息子は親父の懐具合を心配してくれたのか、30年前の段ボールのヨロイのイメージが強かったのか、孫にもじいちゃんの手づくりのヨロイを作ってやってほしいと頼まれた。
 細かい寸法までは憶えていないが、30年前の手順はまだ頭の奥に残っていて、今度は簡単に出来そうだと思えたが、前のヨロイは縅(おどし)と称される紐で結びあわせる部分は段ボールに紐の絵を描いてごまかしていたが、今度は紐で繋げてみよう。
 素材も段ボールではなくて塩化ビニールの黒い板を使おうなど、もうワンランク上の仕上がりを目指そうとすると、30年前の記憶でおよその手順はわかっていても作業はなかなか進まない。

 30年前の私は、工作おじさんとしてもまだ素人だったこともあって、それほどのこだわりを持たずにヨロイでもカブトでも作れた。

 しかし、ワンランク上のヨロイを目指そうとすると、材料探しから凝りだして、浅草橋の人形専門店まで素材探しに出かけるなど一ケ月もかけてやっと兜だけを仕上げることが出来たが、その年は夏に出版する工作の本の撮影を4月中に終えねばならず、そのあとは文字原稿も書かねばならないことから今年は兜だけを飾り、鎧の製作は来年まで待ってもらうことにした。  写真の兜は孫のために作ったもので、アクリル製の鍬形はしゃっきりと立っているなどワンランクもツーランクも上の出来になっている。

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