久々のブログ!
さて、「現実」って一体なんなんでしょう。
私に立ちはだかる、目下の厳しい「現実」は、就活です。
しかし、私にとっての就活という「現実」は、
しなきゃいけない!
では決してなく、
する気にならない!
です。
だから私が今、就活生であるにもかかわらず、ろくに就活をしてないことは、
「現実」逃避ではない、と思います。
たぶん他人から見れば、逃避に見えることもあるかと思うけど、
でも、しなきゃいけない!は私にとっては現実ではないので、
逃避とは言えないのです。
する気にならない!という現実からはまったく逃避していないから、
就活をしていない今の私の生活こそが、私にとっての「現実」です。
同じように、
一年後、どこぞの会社でなんとなく、でも意気揚々と働いている(かもしれない)私の姿も、私が私の「現実」にしたいことではないのです。
そもそも、働かなきゃいけない、就活をしなきゃいけないという、ある種の強迫観念が先にあって、
それから自己分析とかして、
なんとなく用意された自分の興味とか、やりたいこととかを見つけだして、作り出して、
それに合わせて会社を探し出して、
その会社に自分を合わせるようにESを書いて、
説明会に行くことに、無理やり前向きな理由を付与して…
っていう、自分の就活に対する状況は、
間違っていると思う。
私は働くということを、そんな風に、無理やりなこじつけで決定づけてしまいたくない。
だから、
私は自分の「現実」の中で、やりたいことをやろうと思う。
そしてそこから、この先の自分の「現実」にしたいことに向かっていきたい。
これは決して、就活からの逃避ではない。
それは確信を持って言い切れる。
というか、確信してしまった。
あー、何かすっきり。
やりたいことやるぞー。
さて、「現実」って一体なんなんでしょう。
私に立ちはだかる、目下の厳しい「現実」は、就活です。
しかし、私にとっての就活という「現実」は、
しなきゃいけない!
では決してなく、
する気にならない!
です。
だから私が今、就活生であるにもかかわらず、ろくに就活をしてないことは、
「現実」逃避ではない、と思います。
たぶん他人から見れば、逃避に見えることもあるかと思うけど、
でも、しなきゃいけない!は私にとっては現実ではないので、
逃避とは言えないのです。
する気にならない!という現実からはまったく逃避していないから、
就活をしていない今の私の生活こそが、私にとっての「現実」です。
同じように、
一年後、どこぞの会社でなんとなく、でも意気揚々と働いている(かもしれない)私の姿も、私が私の「現実」にしたいことではないのです。
そもそも、働かなきゃいけない、就活をしなきゃいけないという、ある種の強迫観念が先にあって、
それから自己分析とかして、
なんとなく用意された自分の興味とか、やりたいこととかを見つけだして、作り出して、
それに合わせて会社を探し出して、
その会社に自分を合わせるようにESを書いて、
説明会に行くことに、無理やり前向きな理由を付与して…
っていう、自分の就活に対する状況は、
間違っていると思う。
私は働くということを、そんな風に、無理やりなこじつけで決定づけてしまいたくない。
だから、
私は自分の「現実」の中で、やりたいことをやろうと思う。
そしてそこから、この先の自分の「現実」にしたいことに向かっていきたい。
これは決して、就活からの逃避ではない。
それは確信を持って言い切れる。
というか、確信してしまった。
あー、何かすっきり。
やりたいことやるぞー。