ひよこかいぎ

 HIYOKO-MEETING
 とあるひよっこのつぶやき
 脳内での、ひとり会議の様子

movie review: 2001年宇宙の旅

2008-06-25 | review
reviewでございます。

ネタバレしますのでご注意。


『2001年宇宙の旅』



出演: キア・デュリア, ゲイリー・ロックウッド, ウィリアム・シルヴェスター, ダニエル・リクター
監督: スタンリー・キューブリック
形式: Color, Dolby, Widescreen
言語: 英語
字幕: 日本語, 英語
販売元: ワーナー・ホーム・ビデオ
時間: 148 分

(amazon参照)


かなりの有名作品なので、
一度は見たいな~と思いつつ、
なかなか手が出なかったのですが、
ついに見てみました。


内容は…

う~ん、なんかよくわからなかったんだよね。

最初に「人類の夜明け」と題したシーンから始まります。
人類の祖先と思われるサルたちの生活が描かれていて、
最終的に、何か変な黒い巨大な石板みたいのを発見して終わるの。
その石板は、何でできているのかナゾで、黒光りして立ってるんです。

で、映画の中の20世紀後半は、
宇宙にある基地みたいなの(宇宙ステーション的な。あれは月にあるのかなぁ?)と、
地球を行ったり来たりできる様子。

ある日、木星探査計画みたいのが持ち上がって、
で、2001年に実行されるわけです。
その時に、かの有名なすーぱーこんぴゅーたーHALが登場します。
HALは宇宙船のすべてを統括するコンピューターで、しゃべれます。
それがすべてプログラミングされたものなのか、
それともHALは自我を持っているのかが映画の中でも争点にあがるんです。

で、その宇宙船に乗り込んでるクルーは全部で5人なんだけど、
そのうちの三人は、なんと“冬眠”しています。
それも、木星までの到着時間が一年という長期に渡るものだからだそうな。

で、ある日HALがミスをするのです。
これもわざとしたミスなのかどーか、よくわからないんだけど。
それがきっかけで、冬眠していない2人のクルーはHALの接続を切ろうとするのです。

でもHALとは、宇宙船内のどこにいてもしゃべれるんです。
だからどこにいてもHALに自分たちの会話の内容が聞こえちゃうので、
2人は、船外探索機みたいなのの中で、HALに声が聞こえないような状態でミスをしたHALの処置を相談するんです。
で、その結果が「HALの接続を切る」というもの。

でもHALはおりこうさんなので、2人の唇を読んでしまうのです。
その2人の計画を知ったHALは、クルーを全て殺そうとするんですね。
で、手始めに冬眠中の3人を殺す。
これはすべてHALの統御の内だからカンタンなわけです。
で、残りの2人は、船外活動から戻れなくするという手段を使う。
1人はうまくいったんだけど、そのHALの思惑に気づいた1人は、何とか船内に戻って、
で、HALを壊しちゃう。

で、その木星探査計画の真実が、HALに万が一のことがあったときのためにプログラミングされてて、それを生き残った最後のクルーは知るわけです。
その計画っていうのが、最初に出てきたナゾの石版が、木星に向かって電波を流し続けていることがわかって、つまりは木星に知的生命体の存在の可能性があるから、それを探る、というもの。

で、木星について…(ついたのかどうかもよくわからないけど)
その後はなんだかよくわからなかったけど、
その最後のクルーが年老いて終わった。

というお話でした。


なんでも、ナゾの石版が人類史上の大きな神秘らしいです。
でもよくわかりませんでした。

全体的に、クラシック音楽が多用されていて、
その間はセリフも何もなく、かつ船外活動の間はスローなので、
かなり、早送りしてみました。

おもしろかったかどうかと言われれば、答えはNOです。

だって、よくわかんないんだもん。

特にラスト。
ぜんぜん意味わかんなかった。

もしかしたら、じっくり見れば考えることはたくさんあるのかもしれないけど、
そうしようともあんまり思えませんでした。

でももし何かの機会があれば、もう一回見てもいいかな~。
でもよっぽど心に余裕があって、哲学的思考に飢えてる時じゃないと無理だな。


むー、
キューブリックの映画は『シャイニング』も見たけど、やっぱりよくわからなかったんだよな。

もうちょっと大人になってから、キューブリックに挑戦しよう。


おひさま

2008-06-18 | 写真たち
お日様の偉大さを、
たまたま写せたものたちです。



去年の学祭期間中に、北海道のおばあちゃんちに行ったとき、
近くを散歩していたら、雲の切れ間から光が差し込んでいました。




去年、高尾山に行ったときに撮ったもの。
山の住人の誰かが切り株の中にどんぐりを貯めていた様子でした。
光のコントラストがうまく出て、うれしい。



これも高尾山で撮ったもの。
木漏れ日なカンジで撮ろうとしたら、思いがけず太陽がキラキラした感じに写った。
特別なフィルターとか使ってないんだけど。





これは、去年の夏に新島に行った時のもの。
これはデジカメだから味気ないけど、銀塩で撮ったのはもっといいカンジ。



これも同じく新島の夕日。
電線が邪魔してるけど、けっこうお気に入り。




最近、まったくカメラに触ってないのでさみしい。。。

また新たにいいのが出来たら載せたいな。

movie review: 愛されること

2008-06-17 | review
reviewです。

映画2本!

ネタバレしますよー。


まず『バッファロー'66』



出演: ヴィンセント・ギャロ, クリスティーナ・リッチ, ロザンナ・アークェット
監督: ヴィンセント・ギャロ
形式: Color, Dolby, Widescreen
言語 英語, 日本語
字幕: 日本語
販売元: ポニーキャニオン
時間: 113 分

(amazon参照)


ムショ帰りの男が、
実家には「仕事で海外赴任になる」とウソをついていて、
ウソが重なり、嫁を連れて帰らなければならず、
たまたま出会った女を半ば誘拐して連れて行く。

で、実家で一悶着あり、
その女は実家を離れてからも男と行動を共にするわけです。

そのうちに、その男の本当の姿が見えてくる。
実はその男は、自分がムショ行きになったきっかけの人物を殺そうとしていたのです。

で…。


というお話。


結構暗い雰囲気の映画で、ラストも意味ありげに終わる。
Happy endなんだか、そうじゃないのか、ビミョーなところ。


ヴィンセント・ギャロがかっこいいのなんのって。
映画の中では、
親に愛されず、高校時代には女の子に相手にもされず、
っていう役どころで、自分のかっこよさに気づいてない。
それをたまたま知り合った女に気づかされるわけなんですが。

でも、友達に似ていて、そればっかり気になってしまったw


彼は、映画の中では始終自分がムショ行きになったきっかけの男を殺すことしか考えていないから、
とても暗い。

その彼の暗さは、彼の生い立ちにも関係していることが、だんだんわかってくるのです。

彼が、数年ぶりに実家に帰ることになって、
まず家に電話をするんです。
でも母親はアメフトの試合に夢中で、息子のことなどどうでもいい様子。
“外交官の息子”が、“嫁”を連れて帰ってくるというのに。

で、女を誘拐して実家に連れて行くんだけど、
そのときも、とにかくその女には自分を立てるように言うわけです。
自分がいかに立派な男なのかを、両親にアピールしてくれ、と。

で、いざ実家に行くと、
息子はろくに歓迎もされず、
“嫁”ばかりをかわいがる。

で、母親はアメフトに夢中。
「バッファロー」というチームの大ファンで、過去に優勝争いをして、負けた試合のビデオを見ては悔しがっている。
しまいには、
「この優勝争いの一番良いシーンを、お前を生むために見逃した」
「お前さえ生んでなければ見られたのに」
と、何十年も前のことを本人の前で、繰り返す。

一方父親はといえば、
そんな母親には早々に諦めをつけたらしく、
淡々と、つまらなそうに生活をしている様子。
そして少しでも気に入らないことがあると、ヒステリックに怒鳴りちらす。
そして母親同様に、息子をまったく歓迎していない。

そんな中、誘拐された女は必死に男を立てようとするのだけど、まったく意味なし。

そんな男を哀れんだのか、実家を出て復讐に向かう男についていく。

そして、あるファミレスに入って、男が高校時代好きだった女に会う。
彼女は、ろくに男の名前を覚えてもいない。



映画全体を通して、男はずっと情緒不安定。

それはきっと、彼が誰にも愛されてこなかったからだろう。と思った。

最後に、復讐に向かう男に、(コーヒーを買ってくるだけだとうそをつくんだけど)
女は、「すぐ帰ってきて。愛してる。」と伝えるのです。

で、男は、復讐する対象までたどり着き、銃を向けるんだけど、
いろんな感情を経て思いとどまって、その女のもとに帰るのです。

その様子は、すごくウキウキしてて、
帰りによったコーヒーショップでは、ハート型のクッキーを買う始末。
(しかもほかの人にもおごってあげるし)

そこで彼は、初めて誰かに愛される歓びを知ったのでしょう。と思った。


女もきっと、それを感じてあえて「愛してる」ということを伝えたのでしょう。


人には、誰かに愛されることって、
生きていくうえで、すごく重要なんだと思った。





はい、次。

『エデンの東』



出演: ジェームス・ディーン, ジュリー・ハリス, レイモンド・マッセイ
監督: エリア・カザン
形式: Color, Widescreen
販売元: ワーナー・ホーム・ビデオ
時間: 118 分

(amazon参照)


主人公は、言わずと知れたジェームス・ディーンです。

彼は、父親と兄との3人家族。
父親は農作物の運搬業だかなんだかをやっていて、
兄はその仕事を従順に手伝う、いわゆる「いい子」。
で、彼は仕事もろくにせずふらふらしてる「変わりもの」なんです。

彼はある女を尾行しだすんです。
それは、幼いときに死んだと聞かされていた母親だった。

で…


というお話。


先が読めないカンジで、
こちらもラストはHappy endと言っていいのかどうか、ビミョーなカンジ。


たしかに、ジェームス・ディーンはかっこいいけれども。
っていうか、ああいう「悩める青年」みたいな役が、ぴったりだと思う。


彼は、常に出来のいい兄と比較されて、
敬虔な聖書主義の父親に反発を覚えるんです。

で、たまたま母親が実は生きていることを知る。
ますます父親に反発するんだけど、父親からも母親からも本当の話を聞いて、
なぜかよくわからないんだけど、父親の仕事を熱心に手伝うようになるんです。

そんで、父親がある日仕事で大失敗をして多額の借金を負うんです。
で、彼は戦争である作物が高騰することをしって、それをやって父親の借金を返そうとするんです。

で、まんまとそれはうまくいくんだけど、
いざそれで儲けたお金を父親の誕生日プレゼントに渡そうとすると、断られるわけです。
父親は、町で戦争に出兵する青年の管理役をまかされており、
多くの町の青年を戦争に送り込むいやな役をやらざるを得ない。
そんな自分が、戦争で儲けたお金など、受け取れるはずがないだろう、と。

で、兄は父親の誕生日プレゼントとして、婚約者との結婚を決意したと伝えるんです。
(その婚約者との関係もいろいろあるんだけど)
それには父親も大喜び。

当然ながらショックをうけた彼は、半ば自暴自棄になり、
兄を傷つけてやろうと、母親の存在を話して、会いにいかせるんです。
兄は父親の敬虔さを受け継いでいます。
母親に会った兄は、混乱し、自暴自棄になり、酔っ払って戦争に出兵する汽車に自ら乗り込みます。
(母親は酒場を経営する、いわゆる“水商売”の人だったんです。)

それにショックをうけた父親は、脳溢血で倒れてしまいます。

残された主人公は、それでも父親に愛されたかったらしく、
兄の婚約者の助言もあり、父親の介護を任されることになりました。

ちゃんちゃん。


という終わりなんですよ。

なんだかよくわからないけど、
主人公は、父親に愛されたかったのでしょう。

でも父親は、彼なりに愛してたんだと思う。

でも、愛って、明確に定義できるものではないから、
その人が思った愛が愛なのであって、
それを愛と感じられないのは、自分の思う愛とは違うものだからなのかなーと思った。

兄の婚約者は、途中から弟の方に惹かれ始めるんだけど、
その理由も、
「彼(兄)の愛は、頭で考えて文章化できるようなもので、私自身を愛しているわけではない」
というもの。

でも兄にしてみれば、それが愛なのであって、
それは本当の愛じゃないと言われたって、まったく理解できないと思う。


でも、みんな誰かに愛されたがっている。
それがどんどん話をややこしくしてる。



むー、人はみんな愛を求めるものなのであろうか。

とか、考えました、



誰かに愛されることって、どういうことなのでしょう。

愛されたいという感情は、本能的に人類一般に備わっているものなのでしょうか。



そんなことを考えさせられた、2本の映画でした。 

よっぱらう

2008-06-12 | 日々のハナシ
今日、久々に酔っ払いました。

あ、この場合の酔っ払うは、


リバース寸前かつ頭痛 


を起こす程度です。



地元で飲むと、

終電も、バイクことも気にしなくていいので、

めちゃくちゃ気が楽です。


そして特に今日は、

久々に会う友達が二人もいたので、

ちょっと調子にのってしまいました。


でもやっぱり、

お酒に酔うのって、雰囲気が大きいんだなって思った。


いつもと同じくらいの量でも、

今日はやたらと酔いが回るのが早かった。


あー、

こりゃ明日は二日酔いだな。


すっごい頭痛いもん。



最近病んでいるので、

今日のお酒はちょうどいいウサ晴らしでした。



ちゃんと、がんばろ。



誰にとって“良い”のか

2008-06-11 | 考えたハナシ
昨日、五月の企業倒産件数についてのニュースを見た。

詳しい数字なんかは覚えてないけど、

なんでも、全体としては去年より下回ってるそうで。

でも、たしか何年かぶりに、

建設業の倒産件数が増えたらしい。


で、その要因はいくつかあるらしいんだけど、

その中でも気になったのが、

「揮発性ガスの暫定税率の問題で、公共事業が凍結したことの煽りを受けた」

というもの。



がーん。

これを見たとき、ショックを受けた。



GW空けにプレゼンをしたとき、

「いったい“民意”って何なのか?」

という議論になった。


それは未だによく分からないんだけど、

そのプレゼンの中で私は、

ガソリン暫定税率・道路特定財源のことを取り上げて、

さも「暫定税率を撤廃すること」が“民意”であるかのように話をしてしまった。


でも、そうとは言い切れなかったんだ。

だって、暫定税率がなくなったことで、

倒産に追い込まれた企業が何百件もある。


そこで働いていたであろう、何千何万の人は、

日常的にガソリンなどを使っているであろう何百万の人に比べれば、

少数なのかもしれない。


けど、少数でも存在していることは確かで、

それを無視することはできない。


それなのに私は、

そういう人たちがいることなんて、思いつきもしなかった。

自分とその周りの人たちの意見が、

“みんな”の意見だとしか考えてなかった。



なんということか。


自分の視野の狭さにびっくりだ。


なにか一つの意見があったら、

それに反対する意見は必ずあるという想定が出来ていなかった。

頭の中では分かっていたかもしれないけど、

現実の問題として、全然意識できていなかったんだ。


あー、しょっく。


まだまだだな。


もっとまじめに勉強しよう。


と、思い知らされました。



と同時に、

一つのニュースを、

自分の勉強と結び付けて考えられるようになったことが、

ちょっとは成長したことの証かな~なんて思ったりしてw


はい、甘ちゃんです。


とにかく、がんばらねば。うん。



これからの課題:

“みんな”にとっていいことなんて、考えられないのだろうか?