新しいバイトを始めて、3週間くらいが経とうとしています。
学習塾ということで、
教育方針というか、指導理念というか、
そういうものを新人のうちは教え込まれるのだけど、
その中の一つに「夢を持つことの大切さ」なる言葉が登場していたのです。
私はこういう類の言葉を聞くと、
すごく暑苦しいものを感じると同時に、
「何か目標を持たなければいけない」というような強迫観念をすごく感じます。
先日の新人歓迎会でも、室長始め新人講師の一人も「夢」について話していて、
私はその様子を横目で見つつ、
「はいはい、アツいですね~。でも現実はそんなに甘くないよ~。」
と、いつものごとく斜に構えて聞いていました。
夢を持つこと、それに向かって努力すること。
それを否定する気は毛頭ないのだけれども、
誰しもが夢を叶えられるわけではないし、努力し続けられるわけでもない、と思う。
いろんな挫折を経験するし、怠惰に蝕まれるし、
そんな自分を後悔することもあるし、後悔してももう遅いってこともたくさんある。
その度に人は、諦めて、あるいは妥協して、「夢」を塗り替えていく。
より身近なものに、より達成可能なものに、より楽(そう)なものに。
人が夢を持つこと・叶えることは、そういうことの繰り返しなんだと思う。
思い描いていた「夢」、諦めもせず妥協もせず、当初抱いていた「夢」を叶えられる人は、ほんの一握りの人だと思う。
というか、もしかしたらそんな人はいないんじゃないかとも思う。
だから私は「夢は諦めなければ絶対叶うんだ!」という言葉が大嫌いだ。
それを言える人は、自分がある意味で特殊な人間であることをわかっていなければならないと思う。
だから、バイト先で「夢を持つことの大切さ」という言葉に触れた時、
いつものように拒否反応が出てしまった。(今も若干出てる。)
自分の人生をどう作っていくのかということを、
リアルに考えられるようになるのは一体いつからだろう。
少なくとも私は、24歳になるまでは自分の人生をリアルには感じられなかった。
そんな私だから、私がバイト先で関わり合う小中高生が、
自分の人生を自分自身で作っていかなければならない感覚を持っているとは思えない。
そういう年齢の子達に「夢を持つことの大切さ」を伝えても、響かないのではないか。
そんな風に思っている。
また、「夢を持つことの大切さ」という言葉が、
私が感じるような強迫観念を与えかねないことが私にとっては一番危惧するところだ。
しかしこんな風にも思う。
誰かから伝えられた言葉を、自分の実感として感じられるようになるには、時間差がある。
今になって「あの時のあの言葉はこういう意味だったのかな」と感じることはたくさんある。
自分自身を振り返ってみれば、
小中高生のときに、いろんな人にいろんなことを言われて、
その時はまったくわからなかったし反感さえ覚えたことも、
今になって、その言葉の意味を理解できるようになった。
(もちろんすべてを覚えているわけではないし、すべてに共感できるわけでもないけど。)
私は、誰かに自分の言葉を届けたいと思う反面、
誰かが自分の言葉に影響されてしまうことがすごく怖い。
自分の言葉に責任が持てない。
でも、人と人が関わり合ってしか生きていけない人間社会においては、
誰かの言葉に影響されることもたくさんあるし、まったく響かないこともあるし、反発することもあるし、
時間差で響くこともあるし、ぜんぜん覚えていないことだってある。
その時その時の取捨選択によって、自分の人生は形作られていって、
そうやって取捨選択したものをまた拾い集めたり選択しなおしたりしてまた形作っていく。
人生をそうゆうものだと考えたら、
「夢を持つことの大切さ」を伝えることに、そんなに否定的にならなくてもいいのかもしれない。
私は私なりに生きてきた人生があって、これから生きていく人生があって、
いろんな経験をして、いろいろと考えることがあって、いろんな価値観を持っていて、
その上で、自分なりに解釈した「夢を持つことの大切さ」を伝えればいいんだと思う。
それが誰かに響くか響かないか、反発されるか盲従されるか、それはわからない。
だけど、私だけしか経験しえない人生を経てきた「私」が思うことを伝えることは、
受け手にとって、これからの人生を生きていく上での数多ある価値観の一つとして触れられることになると思う。
「こんな風に考える人もいるんだよ」ってことを、なんとなくでも感じてくれればそれでいいんだと思う。
そういう風にしか、私は出来ない。
先日の新人歓迎会での室長の話や私にかけてくれた言葉を考えると、
室長は、上記のような、私の経験してきたことや考えることや価値観なんかをなんとなく感じ取って、
そこを評価して採用してくれたんじゃないかと思う。(すごい前向きに考えれば。)
たかだかバイトっちゃバイトだけど、
このバイトの経験は、これからの私の「夢」へ向かって、糧になるものだと思う。
だからがんばるぞー!!
とか、暑苦しいことは言えないけどw
私は私なりに、私の人生の一部として、このバイトを前向きに続けられたらいいかな、と思う。
学習塾ということで、
教育方針というか、指導理念というか、
そういうものを新人のうちは教え込まれるのだけど、
その中の一つに「夢を持つことの大切さ」なる言葉が登場していたのです。
私はこういう類の言葉を聞くと、
すごく暑苦しいものを感じると同時に、
「何か目標を持たなければいけない」というような強迫観念をすごく感じます。
先日の新人歓迎会でも、室長始め新人講師の一人も「夢」について話していて、
私はその様子を横目で見つつ、
「はいはい、アツいですね~。でも現実はそんなに甘くないよ~。」
と、いつものごとく斜に構えて聞いていました。
夢を持つこと、それに向かって努力すること。
それを否定する気は毛頭ないのだけれども、
誰しもが夢を叶えられるわけではないし、努力し続けられるわけでもない、と思う。
いろんな挫折を経験するし、怠惰に蝕まれるし、
そんな自分を後悔することもあるし、後悔してももう遅いってこともたくさんある。
その度に人は、諦めて、あるいは妥協して、「夢」を塗り替えていく。
より身近なものに、より達成可能なものに、より楽(そう)なものに。
人が夢を持つこと・叶えることは、そういうことの繰り返しなんだと思う。
思い描いていた「夢」、諦めもせず妥協もせず、当初抱いていた「夢」を叶えられる人は、ほんの一握りの人だと思う。
というか、もしかしたらそんな人はいないんじゃないかとも思う。
だから私は「夢は諦めなければ絶対叶うんだ!」という言葉が大嫌いだ。
それを言える人は、自分がある意味で特殊な人間であることをわかっていなければならないと思う。
だから、バイト先で「夢を持つことの大切さ」という言葉に触れた時、
いつものように拒否反応が出てしまった。(今も若干出てる。)
自分の人生をどう作っていくのかということを、
リアルに考えられるようになるのは一体いつからだろう。
少なくとも私は、24歳になるまでは自分の人生をリアルには感じられなかった。
そんな私だから、私がバイト先で関わり合う小中高生が、
自分の人生を自分自身で作っていかなければならない感覚を持っているとは思えない。
そういう年齢の子達に「夢を持つことの大切さ」を伝えても、響かないのではないか。
そんな風に思っている。
また、「夢を持つことの大切さ」という言葉が、
私が感じるような強迫観念を与えかねないことが私にとっては一番危惧するところだ。
しかしこんな風にも思う。
誰かから伝えられた言葉を、自分の実感として感じられるようになるには、時間差がある。
今になって「あの時のあの言葉はこういう意味だったのかな」と感じることはたくさんある。
自分自身を振り返ってみれば、
小中高生のときに、いろんな人にいろんなことを言われて、
その時はまったくわからなかったし反感さえ覚えたことも、
今になって、その言葉の意味を理解できるようになった。
(もちろんすべてを覚えているわけではないし、すべてに共感できるわけでもないけど。)
私は、誰かに自分の言葉を届けたいと思う反面、
誰かが自分の言葉に影響されてしまうことがすごく怖い。
自分の言葉に責任が持てない。
でも、人と人が関わり合ってしか生きていけない人間社会においては、
誰かの言葉に影響されることもたくさんあるし、まったく響かないこともあるし、反発することもあるし、
時間差で響くこともあるし、ぜんぜん覚えていないことだってある。
その時その時の取捨選択によって、自分の人生は形作られていって、
そうやって取捨選択したものをまた拾い集めたり選択しなおしたりしてまた形作っていく。
人生をそうゆうものだと考えたら、
「夢を持つことの大切さ」を伝えることに、そんなに否定的にならなくてもいいのかもしれない。
私は私なりに生きてきた人生があって、これから生きていく人生があって、
いろんな経験をして、いろいろと考えることがあって、いろんな価値観を持っていて、
その上で、自分なりに解釈した「夢を持つことの大切さ」を伝えればいいんだと思う。
それが誰かに響くか響かないか、反発されるか盲従されるか、それはわからない。
だけど、私だけしか経験しえない人生を経てきた「私」が思うことを伝えることは、
受け手にとって、これからの人生を生きていく上での数多ある価値観の一つとして触れられることになると思う。
「こんな風に考える人もいるんだよ」ってことを、なんとなくでも感じてくれればそれでいいんだと思う。
そういう風にしか、私は出来ない。
先日の新人歓迎会での室長の話や私にかけてくれた言葉を考えると、
室長は、上記のような、私の経験してきたことや考えることや価値観なんかをなんとなく感じ取って、
そこを評価して採用してくれたんじゃないかと思う。(すごい前向きに考えれば。)
たかだかバイトっちゃバイトだけど、
このバイトの経験は、これからの私の「夢」へ向かって、糧になるものだと思う。
だからがんばるぞー!!
とか、暑苦しいことは言えないけどw
私は私なりに、私の人生の一部として、このバイトを前向きに続けられたらいいかな、と思う。