54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

欧一人旅「14回目」 写真4 完

2012-07-31 16:11:01 | 欧一人旅1~18回 写真
2/12(火)帰国日 ウィーン20:30→ 13日15:40成田

Hレギナの朝食9:00 市庁舎前のシュトラウス父とランナー像 冬のト音記号  スタンウエイの店を見て

左:皇帝専用駅(息子ルドルフの自殺やエリザベートの不在でシェーンブルンで過ごす日が多くなった皇帝
フランツヨーゼフを思いオットーヴァーグナーが作った 皇帝はオープニングセレモニーに出ただけで馬車を好んだ
使用したのはエリザベート1回だけ) 次4枚ヒーツィング:左マリアゲルツK 次マクシミリアン像と最古のランプを写したが… 右:ビーダーマイヤー式ホイリゲ(フランツヨーゼフ皇帝が晩年毎朝食事した女性の家などある)

ヒーツィング:ウィーン郊外シェーンブルン宮殿近くの新興ブルジョアジーの住宅街
ビーダーマイヤー式邸宅が並んでいる 上3枚目:アルバンベルクの家も 右:皇帝の家の庭
右2番目:皇帝が毎朝食事したと言われる女優カタチーナ・シュラットの家
(引越しなのか家具を入れているところだったとメモある 隣りの家?)

左:皇帝の家から急坂を上り左折したら墓地だった(オットーワーグナー、クリムト、グリルパルツァーなど)
2番目:その後動物園に入り、シェーンブルンのグロリエッテでお茶を飲んだが写真ないのでレシートで
帰国日なのでフィルム買わないつもりだったがヒーツィング駅近くに来たら謝肉祭のパレード!フィルム買う

マリアテレジアの温室は2度目(入って思い出した)右2番目:シェーンブルンの日本庭園(パリ万博でジャポニズムの影響を受けたシェーンブルン宮殿の造営係が1913年頃つくったとされている その後深い森の中に埋もれていたが、日本人により偶然発見され、日本の職人の協力を得て修復1999年公開された)

左3枚:カールスK 隣り:カールスプラッツ駅 (Hレギナで荷物を受け取りCity駅へ)
右:時間があったので軽食(ターフェルシュピッツ11.63€とワイン2.40€)
18:50のバスで空港19:10着 チェックイン20:30までいつものように免税店のショッピング 
機内は隣りの人が感じ悪かったとか赤ちゃんの鳴き声が続いたとか… 2/13 15:40成田着

 
補足:左からウィーン着後すぐ入手するコンサート情報(当時ウィーン伊勢丹で可能だったが今?)
次:1回目写真に投稿済のウィーン地図、ヒーティング墓地は左下に 次:ヒーティングについて 
買い物写真は今回アウガルテンのジャムだけ、部屋にこんな植物を育てていたっけ… 
・・・・・・・・・・・・・・・・ 
ウィーンにこれ以後行ってない 計6回で24泊 1987年モーツアルト協会のツァーでHインペリアルに3泊
1992年3泊 1997年3泊 1998年5泊 2001年4泊 2002年6泊 
今回の旅は私の語学や知識では“ぶらりウィーンを楽しむ”とはいかなかったようだ
日記にウィーンはもう来なくていい!と書いてある 今回の写真投稿もいつもより気が乗らなかった
この旅行で心に残っているのは、カーレンベルグから市内やドナウを眺めハイリゲンシュタットへ下る道と
ヒーティングからグロエッテへの森 グロリエッテでお茶を飲みながら見たシェーンブルン宮殿(写真なく残念)
雪もなく市内あちこち歩いたが、どこ? 3回のコンサートでウィーンの雰囲気は味わえたが言葉の壁…
再度訪問したい地は?やはり田舎、自然、ぬくもり… そんな光景が今は浮かぶ
《18回の一人旅の投稿14回迄終った 後4回、どんな所に行ったっけ~~写真見るのが楽しみ
アルバムのメモと日記で記憶を辿り、思い浮かんだことは書いておこう、最終回まで完成しよう!と
自分史のつもりで投稿しているので独りよがりで意味不明や間違いはあると思う 
未熟なブログでも、どなたかの一人旅の参考に、机上体験で楽しむ、そんなことを願いつつ…》

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