聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

マルコ福音書 十二人を派遣する

2007年10月23日 | 新約聖書日記
◆十二人を派遣する

『 6:6 それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。
6:6 Then Jesus went to the villages around there,teaching the people.

6:7 そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、
6:7 He called the twelve disciples together and sent them out two by two. He gave them authority over the evil spirits

6:8 旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、
6:8 and ordered them, "Don't take anything with you on the trip except a walking stick-no bread, no beggar's bag, no money in your pockets.

6:9 ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。
6:9 Wear sandals, but don't carry an extra shirt."

6:10 また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。
6:10 He also told them, "Wherever you are welcomed, stay in the same house until you leave that place.

6:11 しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」
6:11 If you come to a town where people do not welcome you or will not listen to you, leave it and shake the dust off your feet. That will be a warning to them!"

6:12 十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。
6:12 So they went out and preached that people should turn away from their sins.

6:13 そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。
6:13 They drove out many demons, and rubbed olive oil on many sick people and healed them.』
(日本聖書協会 新約聖書 和英対照 和文・新共同訳 英文・TEV マルコによる福音書から)


新約聖書略解 日本基督教団出版局 を、まとめて
『イエスは十二人の派遣を始める。
8~9節は持ち物の指示ですべての携行品を否定するマタイとルカと比べて、杖とサンダルと一枚の下着という旅の最低限の装備を認めて、現実的である。

マルコの強い関心は10~11節のことばのほうにあろう。
十二人を受け入れる所と拒絶する所での対応の指示であり、「分化」の構想と合致する。
一方で迎え入れてくれた家に、その所から出立するまで、留まることを求める。
他方は彼らを受け入れることも「聞く」こともしない所についてである。
「そこから出て行く」という分詞句は、新共同訳のように「・・・出て行くとき」と副詞的にとらず、「そこから出て行け」との命令として理解できる。
続けて「あなた方の足の下の埃を払い落とせ」といわれる。あらゆる交わりの破棄を宣言する行為である。
それに「彼らに対する証言のために」が付される。終わりの日に責任を持たないことの宣言である。 』

新聖書購解シリーズ2 マルコの福音書 泉田昭著 いのちのことば社 を、まとめて
『郷里のおける宣教のあと、イエスは近くの村々を回って伝道し、さらに弟子たちを宣教に派遣された。
彼らを派遣するに際し、イエスは特に三つのことを教えている。
第一は、神に対する信頼を確かにするように、ということである。
神のメッセージを人々に伝える伝道者や、キリストの救いを携えて世界の各地に遣わされる宣教師に必要なことは、神に絶対の信頼をおいて、神のメッセージを忠実に伝えることである。
現代における宣教は、この基本を忘れている。大きな組織、巨額な資金、多くの物資などに安住して、本当の意味での神に対する信頼を見失ってしまう危険がある。
また貧しい国に対する宣教は、使徒3・6のペテロのことばのように、金銀で無くキリストを差し出すことに徹するのでなければ、結局は大きな誤りを犯すことになるだろう。
第二に、人を信頼することを教えている。神を信じることは、人を信頼することにもつながる。
10節の「家に入る」には、その家の人を信頼することと、その人を祝福することの二つに意味がある。
未知の世界で初対面の人の家に入ることには、信頼と勇気がいる。
弟子たちにとって、宣教は同時に人を信頼することを学ぶ生きた訓練でもあったのである。
また、イエスは、人々が福音を受け入れなかったなら、足の裏のちりを払い落としなさい、と言われた。
これは、相手といっさいの関係を断ち、神のさばきと責任が向こうにあることを表す動作である。
ユダヤ人には、異邦人の地から帰ってきた時、汚れを捨て去る意味でちりを払い落とす習慣があった。
第三は、結果は全て神にゆだねよ、ということである。
人は福音を伝える時、誠実に働いてなすべき分を果たせばよいのであって、結果がどのようになっても、それにとらわれてはならないのである。
こうして弟子たちは出て行き、悔い改めの福音を宣べ伝え、多くの悪霊を追い出し、大勢の病人を治し、自分たちの思いをはるかに越えた成果を収めたのであった。
それは神の働きの賜物であったが、弟子たちの信仰の結果でもあった。
信仰による決断と実行こそが豊かに実を結ぶ秘訣なのである。』




お祈りしますm(_ _)m
恵み深い天の父なる神さま
この小さき者をもお使いくださいますように。
神を信じ、人を信頼し、福音を伝えることができますように。
すべてを神にゆだねることができますように。
主イエス・キリストの御名によって、お祈りします。
アーメン