難波宮って? 古代史のんびり散歩

時間だけは、タップリある定年団塊世代が、ズート気になっていた
古代日本史を素人の感性でゆっくり探訪します。

百済 白村江を求めて 韓国へ ーその1ー

2016年09月23日 | 歴史

白村江を求めて、いざ韓国 百済へ

  一日目

平成28年5月16日~19日

 待望の初めての 韓国旅行です。 

ツアー会社:にこまるツアーさんに特別に組んでいただいた、
個人ツアー 「百済 白村江を求めて」で
韓国 インチョン空港に着きました。
いざ、百済へ!!  
  何とかして、白村江を見つけるぞ!! (^-^)/~~ 

 

 

結論を先に言います。

 今回の旅行で、謎に包まれていた(闇に隠されていた)

 白村江の場所が確定できました。(私見)

韓国 錦江の河口

群山と長項に挟まれた入江です。

百済最後の戦の場所、周留城の遺跡が韓国政府の最近の調査により、

錦江の山手側にあたる ハンサン(韓山)で見つかり確定したからです。

 周留城(州柔城;つぬさし)(そ留城;そるさし)(そ:足へんの 流)

   :しゅうりゅうじょう:するじょう チュリュソン

※(地名は分かっている範囲で、ひらがなで日本読み、カタカナで韓国読み、
  出来ればローマ字で記載します。ハングルは未学習。)

 場所:大韓民国 ハンサンhansan

  Googleマップで 「大韓民国 hansan」 で検索可能です。
  航空写真モードにすると、城壁の跡の連なりが僅かに確認可能です。
 (目を凝らして下さい。) 
  航空写真に、城壁の坂の上に発掘調査跡と思える所がいくつか確認できます。(私見) 

 

古い城壁が連なって残っていました。

 次の日に訪れた、公州の公山城の城壁と同じ造りに思えました。

 

しっかりした、城壁です。
 写真正面方向の山の向こうが 錦江 白村江です。
 山の向こう右側が 群山です。 
 山の向こう左側の上流が 扶余で、
 そのさらに先の上流に 公州があります。

 

地元の人から、

「下はドコソコから、上はドコソコまで繋がっており、昔はもっと山の方まで在った。」
「村では、昔からの言い伝えで、ここは百済最後の戦があった城跡と聞かされていました。」

「白村江の戦いの、周留城ですか。」

「え?……ハクスキノエ(ハングル語で)?」

「百済最後の戦があった、周留城ということですか?」

「そうです。」

地元の人は勿論、ハングル(韓国語)です。同行のクムさん(同行通訳さん)に
同時通訳して貰たんですが、、勿論私には、詳しい地名は理解できていません。 

 地元の人達さえも、白村江の戦いを、言葉すら語り継がれていないのだと、
身にしみて分かりました。


左右は韓国、地元 (旧百済地方)の方です。

 「最近やっと国が百済の世界遺産登録により、このあたりの調査を始め、
 
ここが周留城跡と確定されました。」
「確定してから、貴方は初めての日本人ですね。」

「本当ですか、嬉しいです。」 o(^o^)o

 

 地元の人から、
「扶余や、公州にある、石塔が直ぐ側に在ります。多分周留城時代の物です。」

と教えられ、その方向を探してみました。

城壁跡から500m~600mぐらいの所に在りました。
昨日見てきた、扶余の石塔と同じ作りの三重の塔です。
正に、その当時の権力の象徴、仏教遺跡です。ここにお寺が在ったのです。

 最初、周留城遺跡の場所が全然分からず、狭い山道を車でウロウロしていましたが、
地元の人に、ガイドさんから声を掛けさして頂きましたら、気持ち良く応えていただき、
将に探していた、周留城跡の城壁が在るところまで、わざわざ案内いただけました。
本当にありがとうございました。

 

韓山:ハンサン hansan の周留城をあとにして、

 車で5分ぐらい走ったところで、大きな河が見えてきました。

そうです、今回の旅の目的地にたどり着けました。

白村江;大韓民国 錦江(クムガン)の群山 沿岸部です。

 周留城は山城で、錦江の一番近い川岸 (直線距離約3km~4km、

 山を迂回するので、実走距離 約6km~8km?) に向かおうとする、

 日本軍の船団を阻む、唐の巨大戦艦、日本書紀のストーリーに見事に合致します。

錦江(クムガン)は想像以上に、大きい河幅です。

大阪 淀川の河口付近の、2倍から3倍の河幅がありました。
日本の河と比べると、その流れのゆったりさに驚いてしまいます。
右端に見える河口関で潮流を調整しているようです。
調整しないと、干潮時写真手前の岸側が干上がり、干潟になるとのことです。
当時、当然、河口堰は在るはずは無く、写真のこちら側(周留城に向かう岸の下流側)は
干潟になっており、干潮時には泥で足を取られ、上陸が難しかったと思えます。

 干潮時(朝夕)は避けたと思われ、昼間の真正面からの戦いが想定されました。

 

 

河の上流側。

こちら側に、唐の船団が上流の公州から遣ってきて、日本軍を待ち受けていたと思えます。
その位置は、河巾がより広く、多分、向こう岸にも船団を配置して居たのでしょう。
日本の小型船団(2万人~4万人)は、挟み撃ちにあい。
ここで、ああ ムッムザン(西暦663年)、壊滅したのです。

鎮魂の祈りを込め。
  「合掌!!」

 

 周留城跡側から見えた河口堰は、群山に繋がる橋を兼ねており、
その橋の上から、周留城跡方面を望みました。

 

周留城跡方面の河口で、群山の対岸長項(JANGAM)。
 今は大きなコンビナードになっていました。

 

 

韓国 錦江(クムガン)の両岸から白村江を望めました。

悠久の歴史の流れを感じられるようでした。

古代史ファンの同志の皆様にも、この感慨を是非一度、

味わってほしい思いで一杯です。

 


 

◎ 「百済旅行記」 始まり、始まり。

  お待たせしました。

  ここから、今まで通り、気楽に笑っていただけます。

2016年5月16日(月曜日)

 朝4時に飛び起きて、始発の電車とリムジンバスを乗り継ぎ、何とか 関西航空へ。

 ここから恒例通り、娘とのLINEです。


「関西国際空港 搭乗手続き中 次は、何をどうしたら、どこへ行ったらいいのやら。」

娘 ANNNA
「初一人海外(しかも団体ツアーじゃない)か、ドキドキだね。
手荷物検査で、引っかからないようにね 笑」

「一人様ツアーということで、、旅行会社 にこまるツアー 担当者 綾瀬はるかさん(仮名)に
どうしても行きたい白村江を、組み込んでもらったんだ。」
「どうにか搭乗ゲートにたどり着き、アイスコーヒーで、ほっと一息。」

「早かったね!
気を付けて楽しんできてね。」

「イザ! 白村江の戦いの真実を求めて。白村江は本当に 郡山なのか?
日本軍が助けに行った、周留城は郡山の近くに在るのか?」

 

◎ 韓国インチョン空港到着

  大韓航空で、
  旅行バッグが出てくるのを待って。
  何とか入国審査を通り、到着ロビーに辿り着けました。
  次のハードルは、今回の旅行の最重要です。
  担当して貰う、ガイドさん(通訳)との出会いです。

  名前は 
  琴 定?(三ズイの徹)KEUM JUNG CHEOL
  クムさん です。

  予め、綾瀬はるかさん(仮名) に連絡しておいた、プラカード(白村江) を
  持って出国ゲートで待機してもらっているはず。
  ゲートには、十人以上のそれぞれのプラカードを持った担当者が。

  「えーと、えーと。あっ在った。」

  目があったので、手を振ると、

  「白村江へ行かれるお客様ですか。」

  「はい、そうです。クムさんですか。今回色々ご迷惑をお掛けすると思いますが、
   よろしくお願いします。」

  「よろしくお願いします。」
「今回一緒に乗ってもらう車までご案内します。」

  車は、韓国製の(当たり前か)新しい中型車。
  助手席に乗り込み、早速今回の旅行の思いを投げかけてみました。

  「今回はよろしくお願いします。」
  「私は、古代史ファンで、特に7世紀の朝鮮の百済と、日本の関係に
   興味がありまして、
その中でも、特に当時、世界最強 最大の唐と戦った、
   百済の白村江の戦いに、
興味を覚え、是非一度行って、此の目でその場所を見たくなりまして、
   にこまるツアーの綾瀬はるかさん(仮名)に
無理を言い、計画して
   もらいました。」

  「いい旅行が出来るよう、がんばります。要望はお気軽におっしゃって下さい。」

  「ありがとうございます。まず最初に、韓国について殆ど知識がないものですから、
   もしかしたら、とても気に障ることを言ってしまうかもしれませ、悪意は毛頭
   在りませんから、お許し下さい。」

  「最初にそういってもらいますととても有り難いです。」

  「今回、私が一番行ってみたい、白村江はご存知ですよね?」

  「いえ、詳しくは知りません。韓国の学校では教わらないものですから。」

  「あっ、そうなんですか?、群山の入江がそうだろうと言われており、
   日本の学者の中では、イヤ違う、あっちだ、こっちだになっている
   ようなんですが。」

  「あっ、それで、群山を今回の旅行地に、追加されたんですか。」
  「何か、群山には戦前 日本人により、貿易港として開発され、
   日本人街が作られ、今でも史跡として残されていますので、
   そこに戦前、御親類が住んでおられて、その場所を探される
   のが目的なのかと。」 

  「そういえば、綾瀬はるかさん(仮名)に、今回の旅行の相談をしたとき、
   戦前、私の母が、ソウルの日本人商家に嫁ぎ、終戦の時、日本に帰るのに、
   とても苦労した昔話をしたからかもしれません。」

  「そうすると、白村江は、群山では無いかもしれないんですね。」

  「それは、今回仕方がないと思っています。群山に行って、その河を見れば、
   私の直感が働き、白村江の戦いが見えてくると信じています。」

  「分かりました、郡山をメインにして、時間予定を多くするスケジュールに
   してみます。」

  「ありがとうございます。」
  「百済を再興しようとしている兵が唐と新羅に抵抗して立てこもっていた、
   城があり、その城を目指して、日本の水軍が駆けつけて来た訳ですから、
   その城の場所が分かれば、白村江の場所が確定できると思うのです。」

  「その城は何という名前ですか?」

  「周留城 又は州柔城(ツヌサキ)です。日本書紀にはっきりと記載されています。」

  「周留城ですか。歴史に詳しい人たちに、連絡して、探してみます。」

  「よろしくお願いします。」

 


仁川(インチョン)空港から、水原華城へ

 通訳のクヌさんに、車に乗せていただいて、いざ韓国 百済ツアー。

 仁川から水原華城へ

 韓国に対して持っていた、印象はこの車に乗っている間に、大きく
塗り替えられました。

私が持っていた、韓国のイメージは、子供の時に、大人から聞いた、話や、
韓国のニュース報道の後景、特に学生運動の場面に固まっていたと痛感しました。

 まず、道が広い、高速道路が整備されている。
一般道の国道も、3車線、4車線になっている。
そして走っている車の数も、日本と同じほど多い。
そして、走っている車は大半が韓国製(当たり前か。)日本車皆無。!
僅かに、ドイツ車。
国民性なのか、軽自動車殆ど見ない。

「軽自動車はあまり走っていないんですね?」

「軽自動車はあまり乗らないですね。」
「車種も、2車種しか在りません、排気量も1000ccです。」

「道が広くて、整備されているからでしょうね。」
「駐車は楽なんですけれどね。」

「駐車ですか?」

あれ? 少しの違和感。
この違和感の謎はすぐに解けました。
道幅が広いせいもあるのでしょう、道路脇に車を止めることに、
違和感がないのです。
日本なら、直ぐに、お巡りさんか交通巡視員が飛んでくるのですが、
韓国では、そんなことは無いようです。
そのせいか、有料の駐車場はとても少ないように見えました。

「さっきの白村江の件なのですが、日本でも、自分の国の歴史に
 興味のない世代が多くなって、『難波の宮って何ですか?、』 と言う
 若い世代が、増えているんだけれど。」
「韓国で白村江を、教えていないというのは、何か訳があるのですか?」

「それは多分、百済は戦いで、新羅に負けた国で、新羅にとって、
 百済の存在は、歴史から消し去ってしまいたい、訳です。ましてや、
 百済を救うために、自分の国を救うために、日本に助けに来て貰ったなんて
 在ってはならない歴史だったんだと思います。」
「新羅の後を継いだ、高麗もその後の、朝鮮も共に、新羅系でしたから。」

「勝者の歴史、負けた者は、歴史の闇に消される鉄則ですね。」
「韓国政府が、百済を世界遺産に登録し、これから変わっていくと
 いいですね。」 

 「百済地区を担当していますので、そうなってくれると嬉しいのですが。」

 車中から、外を眺めていて、気になって来たことが。

マンションがとても多い、しかも背が高い、しかもヒョロットして、

何か危うい、地震国日本人として、
「えー?」
「背の高いマンションが多いんですね。」

「私の国では、マンションが住みやすいということで、人気があるんです。」
「特に、女房族が好んでマンションを選びますね。」
「昔は、韓国は大家族が多かったのですが、一家族体制になったせいでしょうか?」

「なるほどね。それでマンションが多いんですね。」

「広さは、150平方メートル~200平方メートルが多いですね。」
「それで、背の高いマンションが多いと思います。」

「私の国は、地震国ですから、少しヒョロッとし過ぎている様に見えるんですがね。」

「九州で大きな地震がありましたね。」

「どこでも、地震は起こりますからね。」
「私も、20年前の関西の地震を経験しましたから、あのマンション群を見ますと、
 つい、怖くなりますね。」

この後の、発言に固まってしまいました。

韓国では、地震はありませんから。心配する必要が無いんです。」 

「えっ、地震が無いんですか?」 

 「地質構造が日本とは違いますので、地震は起こらないんです。」

「そうですか?、いいですね。」
「火山は無いんですか?」

「火山もありません。温泉も冷泉で温度が低いんです。」

 そのせいで、高層ビルも、日本では考えられないガラス張り構造が、沢山見られました。

 心配性の独り言。

関西人の私が、阪神大震災の後、仕事で行った:愛媛の松山で、
「関西では地震がないと思っていたんですけれど。」 と言うと。

「それは大変でしたね。愛媛では地震はありませんけれどね。」
と返ってきた。

仕事で行った、福岡の久留米で、

「それは大変でしたね。福岡では地震はありませんけれどね。」
と返ってきた。

仕事で行った、熊本の八代市で、

「それは大変でしたね。熊本では地震はありませんけれどね。」
と返ってきた。

そうです、発生時期のズレはありますが、それぞれの都市で地震が起こっています。
日本では、地震の無いところは無いのかもしれません。
等と考えていましたら、最初の観光場所、水原華城に着きました。

 

ーー緊急追記ーー (2016/09/22)

 2016年9月12日、韓国 慶州地区で、
 震度 5.1 5.8の地震が連続で起こりました。
 日本式の換算で、地震強度 5強、6 とのことです。
 ( 地震発生が非常に稀な韓国では、地震強度という
  概念が無いらしいです。)

 あの、ヒョロ長い、マンション群が心配です。

 地震の被害に遭われた皆様に、心より哀悼の意を表します。

 黙祷

 


 

{水原華城/行宮}

 大韓民国 水原(スウォン;Suwon )

 十八世紀に後に都にするために造られた史跡

 後に、都になることは無かった様だが、先代の王様、父親の陵墓を訪れる、
行宮(アングウ)とされていた。

 入り口で貰った、現地日本語パンフレットより;
 「一番規模の大きく美しい行宮であったが、日帝強占期(?何時?)に
  洛南軒以外の施設が日帝の、民族文化と歴史抹殺政策によって失われた。」

 (何も知りませんでした、どうもスミマセン。) m(_ _)m 

 

◎ 近年、再建された館やで、極彩色のとても、魅力的な寺院、宮殿と思えました。

 

 

 

わーごめんなさい。 (=_=;)

 

 仲良くしましょうね! (^o^)

 水原;スウォンから、扶余へ移動しました。

 翌日の、白村江探索の時間を多く取るため、

 翌日の予定を、先取りしてもらいました。

  

{扶余/定林寺址}

 扶余;プヨ BUYEO クムさんから サビと言って欲しいとのこと。

    歴史的コダワリがありそう  

 百済最後の首都 扶余の寺院 定林寺;ジョウリンジ JEONGNIMSAJI 

五重の唐だけが残された遺跡で、百済滅亡と共に歴史の闇に
隠されていた寺です。

 

 石塔の側面に、百済に侵攻した、唐の将軍の、戦勝を祝う言葉が、
刻まれていたため、唐が造った物と解釈されていた。
しかし後に、遺跡調査の結果、百済時代の建造で、勝手に唐の将軍が
石塔に文字を刻み込んだ物と分かったとのこと。
これも、勝者の歴史に起因するのでしょう。
 再現工事が無ければ、5重の石塔と石仏、城壁跡だけが残されたお寺
それはまるで、飛鳥の山田寺跡を思い起こされました。

 

 石仏の、伽藍は無くなり、風雨に曝されていたため、丸く風化されている。
仏像の頭と、宝冠は、制作当初の物ではないらしい。

 

{扶余 陵山里古墳群}

 百済王家の古墳群であります。

現在発掘調査が終わり、整備されているのは、7基です。
負けてしまった王の墓、総ては盗掘されており、僅かに
遺された遺産を保存展示されていました。
その中には飛鳥地区の古墳の元になったと思ってしまう、壁画や、遺品がありました。  

 

 

 

 やはり、百済と、飛鳥は「ゆかり」があると、素人の私でも分かるようでした。

 

  

◎ 百済観光ホテル 

 今日と、明日のホテルに到着しました。

 

百済 白村江を求めて 韓国へ 2日目へ 

                      へ飛ぶ

2016年5月17日(火曜日)

 

{扶余/扶蘇山城}

 

 

{扶余/国立扶余博物館}

  

{韓山Hansan/周留城}

 

 

{郡山Gunsan/白村江}

 

 

◎ 百済観光ホテル


 

百済 白村江を求めて 3日目

          へ飛ぶ

2016年5月18日(水曜日)

 

{公州Yunnju/宋山里古墳群}

 

{公州/国立公州博物館}

 

{公州/公山城}

 

◎ ソウル ニュー国際ホテル

 

2016年5月19日(木曜日)

自由時間

南大門訪問

東大門車から

 

 

 


◎ 百済 白村江を求めて 韓国へ 2日目

               へ飛ぶ

 

◎ 百済 白村江を求めて 韓国へ 3日目

               へ飛ぶ


◎ 百済 白村江を求めて あとがき   へ飛ぶ


◎ 百済旅行プラン ー旅行予定ーその2ー 
   (旅行準備編) 


◎ 古代史 のんびり散歩 
   スタートページ です。
   (新作順表示)

◎ 目次ページ
   (創作順表示)

◎ 「難波宮ッテ?」
  古代史感のすれ違い

   メイン ブログです。


 すみません。私は、理系出身で物を知らないド素人の定年組みです。記載内容に、非常識な内容、不快な表現等があるかと思いますが、何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。ご指摘頂けましたなら、早急に訂正変更いたしますので、ご指摘、ご指導お願いします。 記載内容に多少の大袈裟や、特に会話記載に省略や脚色を加えております。老人の戯言と、ご容赦下さいね。


1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いやぁぁ、行ってこられて (たまWEB)
2018-09-25 16:43:31
https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/66ccd0471b65ece5033baa625aaa5991

よかったですねぇぇ、ありがたいこってす・・・
それにしても一番だなんて、研究者・学者さん眠りについておった??まぁ、日韓政治事情とかでさえぎられの遠慮だったんでしょうか??
返信する

コメントを投稿