難波宮って? 古代史のんびり散歩

時間だけは、タップリある定年団塊世代が、ズート気になっていた
古代日本史を素人の感性でゆっくり探訪します。

百済 白村江を求めて 韓国へ ーその3ー

2016年08月29日 | 歴史

百済 白村江を求めて 3日目

2016年5月18日(水曜日)

 

 百済に来て、三日目の今日は、昨日観光してきた、百済王国最後の

都、「扶余」の前に、百済の都があったところ 

公州;こうしゅう コンジュ 百済時代は 熊津と呼ばれていた。

の観光です。

 

{公州Yunnju/宋山里古墳群}

 

百済の公州時代、歴代の王の古墳が集約して造墳されている場所です。

 

 

 日本の場合、歴代の王の陵は、同じ飛鳥王朝であっても、それぞれ別個に

少し離れて、造られているケースが多いのですが、

百済国では、扶余でも、此処、公州でも、

先代の直ぐ隣、又は斜面の直ぐ坂下に、古墳群になって、まとめられて

造墳されています。

 この地域の全ての古墳は、この国でも、やはり古墳荒らしに遭っており、

中の遺物は、無惨にも殆ど盗まれていたのですが、武寧王の古墳は、

熊津を見下ろす斜面に造られ、古墳と、古墳の間のその上列にあり、隙間になって、

見つかりにくかったおかげで、古墳荒らしに遭わずに、奇跡的に無事に、

発見されずに残されていて、近年、下の古墳の間の排水路の整備をしているときに、

偶然発見されたそうです。

 再現された、武寧王の墓の内部は、私にとって近年発掘された、飛鳥の古墳と

造りや、内部の天井に描かれた星座等、あまりに類似しているように思え、

百済と、飛鳥の ゆかり を強く実感させられました。

 

 

 武寧王の墓は、夫婦合葬で、棺が仲良く並んで埋葬されていました。

おそらく、王が先に亡くなった時に、古墳が造られ、後に亡くなった后を、

王の棺の横に、予め、設けてあったスペースに並べて、埋葬されたのでしょう。

 

 ちなみに、飛鳥の、天武天皇陵は、夫の天武天皇は土葬で石の棺に、

后の持統天皇は何故か、死後その当時としては珍しく火葬され、火葬後、

遺灰を黄銅の骨壺に入れて、天武天皇の石棺の横に、本来石棺を並べる場所に

埋葬されていました。

まるで、 「死んでまで、一緒に居たく無いわ。」 と言わんばかりに。

よほど、亭主の天武天皇の浮気性が(額田姫王 等) 嫌だったんでしょう。

 浮気性の旦那さん、奥さんをお大事に。

 武寧王の墓の入り口から、墓を守る想像上の動物の、石像が出土し、

私には、とても愛嬌があるように思えたのですが。

日本の古墳からは、まだ同じ様な石像は出てきていないなと思い、

その差が、死者に対する思いの違いなんだと、思ったのですが。

  

{公州/国立公州博物館}

 武寧王の墓から出土した、発掘品を、中心に、展示されていました。

 

 武寧王の名前が書かれた、墓誌石は将に、後世の人民への遺言と映りました。

 埋葬品の素晴らしさに、武寧王の権威の凄さを感じさせてもらいました。

夫婦で埋葬された、その木棺がなんと、日本製の高野槙で作られていました。

 そう言えば、通訳のクムさんが、車の中から、窓の外を流れる山の景色を

見ている時、韓国の山は、松が多く地質の性で、杉などは殆ど有りません。

と言っておられました。

最高権力者の、木棺の材質が、日本製だなんて、いわく因縁にとても興味を覚えました。

 韓国の団体さんが、展示物を見ておられました。

何人かの案内員さんが、木棺のところを、何故か素通り。

私の、何時ものヤンチャ心が、騒ぎ出しました。

「ディスイズ こうやまき。メイドイン ジャパン。」

「フロム ジャパン」

見ておられた、韓国の中年女性に話してみました

 その婦人は、 「えっ???」

見かねた、通訳のクムさんが、ハングルで、何なんだろうと、

集まってきていた、近くの観光客の人達に、高野槙のことを、

説明してくれました。

聞いている人は、皆、 「へー!!!」 (ハングルで) 

 

 

{公州/公山城} 

 公山城;こうざんじょう コンサンソン

 高句麗に朝鮮中央部(京城)を追われ、此処、公州に、

都を移したとき、築かれた城です。

かなり、大きく威圧的な城壁が、巡らされています。

 歴史的には、後に唐に、公州を攻め取られ、公山城も唐に

取られてしまい、のちに、唐の、統治拠点にされたとのことです。

歴史的に、何度か代替わりし、作り替えられたようです。

近年、政府により発掘調査がされ、百済時代の原型が

発見されたと発表されたそうです。

 もちろん、昨日見てきた、周留城とは規模が違うと想像できるのですが、

その、城壁の石垣の造りが、同じ物と思えました。

 

  公山城から、錦江を望む。

 白村江(錦江河口の群山)から、約70km以上も上流ですが、

 (大阪 淀川河口から、京都を越え、琵琶湖の大津ぐらいの距離でしょうか?)

河幅は広く、白村江の戦いのとき、唐の船団が、錦江の上流公州から、

周留城を、攻めるため、下っていき、百済救援に来た、日本軍船団とぶつかり、

戦闘になった歴史を、日本書紀の記載内容の信憑性を、強く確信できました。

 つまらないことですが、最近出版された、歴史ジャンルのグラビアで、

白村江の戦いが掲載されているページに、 「場所は、錦江の河口で、

戦いがあり、日本軍は壊滅した。」 と言うような記載があったのですが、

そのページに掲載されていた、写真が、 「錦江、公州付近」 となっており、

「そこは、白村江ジャー無いだろう。」 と今回の百済旅行で白村江を

確定できた私は、その雑誌をあざ笑てしまいました。

 

百済見学を終え、ソウルに向かいました。

 

◎ ソウル ニュー国際ホテル

 


 百済 白村江を求めて 4日目

2016年5月19日(木曜日)

 

自由時間

 

 百済滞在4日目(旅行最終日)、今日は、3時に仁川空港へ

送りに来てもらうまで、一人で自由行動。 

 泊まったホテルは、ビジネスホテルで、気楽に、過ごせました。

 

 3時の出発まで、荷物を預け、のんびり、あてもなく、ソウル徘徊。

 まず腹ごしらえ、朝飯は、ホテルのコーヒーラウンジで

 (スタバのようなシステム)

「コールドコーヒー、アンド、サンドイッチ、プリーズ。」

「コーヒー イン ミルク、アンド、シロップ。」

 告白します、中学、高校時代、英語は何時も、欠点ギリギリ。
 社会人になったら、きっと、日本語が、世界共通語になる、世界にしてみせる。
 そんな、夢を描いて頑張ってきたのですが。
 夢やぶれる!!

 そんな人多いんジャーないですか?
 えへへ (=_=;) 

 コーヒーラウンジで、私の英語?を聞いて、店員さんが、直ぐにバトンタッチ
「アイスコーヒーとサンドイッチですね。」
「サンドイッチの種類はいかが致しましょうか?」
 見事な日本語。

 英語を毛嫌いせずに、もっと勉強すれば良かったかな。
そうすれば、私の力で、日本の歴史は大きく変わっていたかも!
 えへへ (゚Д゚)

 此のホテルでは、外国人客が多く、中国人、台湾人、東南アジアの人に
対応するため、多国語に対応できるようになっておりました。

 朝食を済ませ、ソウル市内一人観光へ。

 取りあえず、今93歳の母親が、戦前に嫁いで来たという、南大門通りへ

 ホテルの近くで、イベントが開催されていました。
 もちろん、ハングルのタイトルだったので、意味不明でした。 

 

南大門訪問

 

  南大門です。

 此の近くに、母が嫁いだ、商家があったらしいのですが。
もちろん、戦前で今から70年以上前の話です。
歩いて、散策したのですが、史跡の前は、南大門市場になっており、
韓国が、ギュット詰まった商店街です。

関西地区の、年輩の方なら、昭和40年以前の、都市整備される前の、
大阪梅田 阪神デパート裏の商店街を、思い出して下さい。
あのバラックを寄せ集めた、闇市を覚えておられますか。
日本の戦後復興期と同じ、将にその町並みを思い起こさして貰えました。

もちろん、スッキリトしたスマートな店も沢山あり、観光客が
多く溢れているのが頷けました。

 余談ですが、海外からの観光客が多く、特に、中国からの旅行客が
目に付きました。
別に偏見は無いのですが、そのマナーの悪さが気に成ってしまいました。
特に、あの何処でも平気で痰を吐く仕草には呆れてしまいます。
この偏見は、今回、白村江の戦いを見てきて、倭国の相手、唐を強く意識している
せいかもしれません。 (゚Д゚) 

 因みに、日本人の観光客は本当に少なく、日本人客目当てに作られたと思える、
料理店は、閑古鳥が鳴いているようでした。
韓流ブームは終わってしまった事が、痛感させられました。

 

東大門車から

 

 ホテルへ迎えに来てくれた、通訳のクムさんの車に乗せて貰って、 
仁川空港に向かう途中、東大門の側を通って頂きました。
その町並みは、ビジネス街という感で、大阪なら御堂筋と云うところでした。

 その後、海外旅行ではお決まりの、ツアー会社御用達のみやげ物店へ。
 仁川空港で、本当にお世話になった、通訳のクムさんに心からの 
お礼を言って、百済国を後にしました。 

 

 


あとがき へ飛ぶ 

 念願だった、百済旅行を終え、記憶が飛んでいってしまわない内に、
やっと旅行記を書き終え、ホッとしています。

 念願だった、白村江の戦いの場所へ行くことが、出来!
「バンザイ」 \(^o^)/

 計画していただいた、にこまるツアーの、綾瀬はるかさん(仮名)
 我が儘な旅行者の要望に、一所懸命、答えていただいた、通訳のクムさん
 本当にありがとうございました。

 


 

◎ 百済 白村江を求めて 韓国へ ーその1ー 

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◎ 百済 白村江を求めて 韓国へ 2日目

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◎ 百済 白村江を求めて あとがき   へ飛ぶ


◎ 百済旅行プラン ー旅行予定ーその2ー 

 


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 すみません。私は、理系出身で物を知らないド素人の定年組みです。記載内容に、非常識な内容、不快な表現等があるかと思いますが、何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。ご指摘頂けましたなら、早急に訂正変更いたしますので、ご指摘、ご指導お願いします。 記載内容に多少の大袈裟や、特に会話記載に省略や脚色を加えております。老人の戯言と、ご容赦下さいね。


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