あとがき
念願だった、百済旅行を終え、記憶が飛んでいってしまわない内に、
やっと旅行記を書き終え、ホッとしています。
念願だった、白村江の戦いの場所へたどり着くことが出来!
まさか此の歳になって、こんな幸運に巡り会うことが出来るなんて。
「バンザイ」 \(^o^)/
もしかしたら、千三百年前に、故郷から遠く離れた、百済の白村江で
無念の死を遂げた、その流された血で、白村江を赤く染めてしまった。
(唐国の歴史書より)
倭国の数万の兵が、私を導いて、鎮魂の祈りと、
その、悲運に涙を流して欲しかった、からだと思えてきました。
「黙祷」 (-_-)
旅行を終えた今、強く思っていることなのですが、白村江には、
私が見落としてしまった、かもしれませんが、どこにも、白村江の案内板も、
記念碑も、ましてや鎮魂碑も在りませんでした。
周留城の位置が韓国政府によって確立した今、整備されるのが、
人の道と思うのですが。 ( イチ古代史ファンの熱い思い ! )
それが出来ない、それをしないのは、千三百年も前から今に続いている、
二つの国の、わだかまりの、此処がその原点なのだと分かった気がしました。
計画していただいた、にこまるツアーの、綾瀬はるかさん(仮名)
我が儘な旅行者の要望に、一所懸命、答えていただいた、通訳のクムさん
本当にありがとうございました。
今回の百済旅行で、初めて気づいてしまった事なのですが、
京城:けいじょう ソウルの人達と、扶余や、群山の百済の人達とは、
明らかに、違うと言うことです。
生活態度、話し方、日本人に対する態度、そして、人相。
今回の、旅行で私は、自分の中にある、朝鮮の人達に対する認識が大きく
偏っていたことを、深く反省させられました。
そして、百済の人達を、今までの、朝鮮の人達とは同じ範疇で、縛れないことを、
理解してしまいました。
これはなにも、大げさなことではなく、日本人でも、大阪の人と、東京の人、東北人、
鹿児島県人が、お互い、同じ民族とは思えない感情を持っている事に、
似ていると思います。
もちろん、その感情とは別に同じ日本人だと、潜在意識として、認識している訳です。
私が朝鮮の人に持っている認識は、私が小さいときから、知っている、
近所に住んでいた、いわゆる、朝鮮の方々です。
体格、人相、眼のつり上がり方、話し方等。
その認識が、今回、観光地や、食堂で会った百済の人達に、
当てハマらないのです。
小さいときよく遊んだ、しょうちゃんや、えっちゃん、そのご両親、
その記憶と、認識が違うのです。
今度の、旅行2日目の、周留城を案内していただいた、地元、百済地区の
人との、3人のスナップ写真を見て下さい。
真ん中の男前は私なのですが、(言った者勝ち)、両脇の人が、
日本人と言っても、それほど違和感は無いと思いませんか?
スナップ写真のタイトルが、{奈良の遺跡の側で、地元飛鳥の人と。}
と記載されていたら、ドウでしょうか?
私は、ああそうか、と思ってしまうのですが。
群山の「8月のクリスマス」の記念写真館で、写真を撮っていた、
オバチャン きれいなお姉さんが、大阪のオバチャンと
きれいなお姉さんと同じに、見えたのですが。
隣国 韓国の事を、考えるとき、今回会った、百済の人達の事を
頭に入れて居れば、かなり違った見方が出来そうだと思えるのですが。
韓国からのニュースは、ソウルからの情報に偏り、市民のインタビューも、
ソウル市民ばかりと思うのですが。
もっと地方の人は、百済の人はどう思っているのかをニュースで
聞いてみたいのですが、民放でも、NHKでも、聞いたことがありません。
皆さんはどうですか?
嫌なことを、耳にしました。
内容が内容ですので、情報元は伏せます。
後世の、朝鮮 統治王が、
「百済地方の人民は、少し認識が劣っているから、政府の機構には
登用しないように。」
と言う、申し伝えをしていたようなんです。
明らかに、地域差別ですよね。
その差別が、今でも生きているのが、大韓民国だと考えれば、
いろいろな問題が、なかなか、決着がつかない訳が、理解できそうですよね。
通訳のクムさんと話していて、日本では、太平洋戦争の後、ベビーブムが起き、
私の世代は、とても人口が多いんですと、話をした時。
あなたの国では、朝鮮戦争の後ですか? と聞きましたなら。
「ハイ、戦争の後、ベビーブームが起こり、人口が多いです。」
「ただ、朝鮮戦争ではありません。」
「えっ! 朝鮮戦争ではないのですか?」
「はい、朝鮮戦争ではなく、韓国戦争、正式には、
大韓民国戦争です。」
「朝鮮ではなくて、韓国なんですね。」
「大韓民国です。」
この、ブログを見ておられる、皆さん、
お分かりですか、韓国ですよ。!!
私にとっては、衝撃的に朝鮮に対する認識の変革を要求された、
百済旅行を終えました。
「難波の宮って?」から始まり、
大化の改新 乙巳の変の 飛鳥の宮、
白村江の戦い以後の守りを固めた、九州 太宰府、
対外危機を乗り越えた後の、壬申の乱
大津の宮、吉野の宮、不破の関。
そして、今回の「百済 白村江探訪」 を終え、
日本にとって初めての、国難を乗り越えるまでの、
大ロマン史を読み終えた、
感激に興奮しています。
さて次は、何処へ行こうか?! (*^。^*)
「百済 白村江探訪」を終え、素人の私にも、幾つかの謎が見えてきた気がしています。
そしてそれの幾つかが、今にも続いていると分かったような、
錯覚と思うのですが、薄いけれど確かな光を感じています。
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